届かない日差し
松山部長を削除させてしまってから何ヶ月経っただろうか、俺は妹の生凛の説得もあり、1週間後には辛うじて高校に通っていた。
友人の春咲玲弥の献身的なサポートにより、少しずつ、ほんの少しずつだが、今置かれた現状に目を向けることができるようになった。
「人は、生き返れない」
そう、人は生き返れない、死ぬことは出来ても生き返ることは、不可能だ。これは断言できることであり、覆ることは無いだろう。
夏もそろそろ終わるだろうか、もう9月だと言うのに遠くには陽炎がゆらゆらと空間を揺らがせる。
最近まで五月蝿く鳴いていたアブラゼミも静かになり、本格的に夏の終わりと言って良いのかもしれない。空は相変わらず蒼く、雲は白い、日光は人々の身体に透き通るように注いでいる、だが俺にはそれは届かないのだった。
「久しぶりに図書館に行こう、あそこは静かだし何か見い出せるものがあるかも知れない」
それに、松山部長に薦められた本をまだ読んでいない、今まで避け続けた現実をいい加減堂々と見なければならない。
この廊下、何回迷っただろうか、まだ入学してから五ヶ月と言うのに何故こんなにも想い出があるのだろうか、これじゃあ松山部長のことも忘れられないじゃ無いか……
思わず泣きそうになってしまった、俺はこんなにも涙脆くなってしまったのかな、涙は人を強くするというけれど、それとは違う涙だ、人を濁らせる、そして透き通るような日光も届かない程俺は、俺の心は濁っている。
図書館にもう迷わずに着くと、何も考えず、松山部長に薦められた本、『タイムトラベルの可能性』の下に向かった。
そしてそこにはその本を手にとろうとしている女性が居た。どこか松山部長に雰囲気が似ている。
茶色の長い繊細な髪の毛に、深く澄んだ群青色の瞳、とても落ち着いた表情で、悟りさえも感じられるほどだ。
「あの、すみません」
「なんですか?」
「松山 聡という人を知りませんか?その本が好きだったので」
まるで故人かのような紹介だが、あながち間違ってはいないのかもしれない、でも彼は、松山部長は死んでなんかいない、俺はまだ諦めていない、『if』の可能性を。
「私は松山 輝だけど、親戚にもそんな名前の人は居なかったと思うわ」
「すみません、お母様のお名前を教えて頂けたりできますか?」
俺はこの可能性に賭けた、これで『if』の可能性に賭けるべきかどうかの答えがでる。
「松山 夏子よ、こんなこといきなり聴いてどうしたのよ」
「いえ…すみません失礼なことを聴いてしまって」
やはり俺の推測は当たっていた、俺がこの数ヶ月間何も考えていなかった訳ではない。
結論から言おう、松山 輝、彼女は松山 聡の埋め合わせだ、松山 聡が居ないこの世界でバランスを補う為に存在する人物だ。
その結論に至った理由はただ一つ、先ほど言っていた彼女の母親、松山 夏子は松山 聡の母親であり、兄弟は居ないと言っていたからだ。
「はじめまして、自分は櫻楽 慎耶です。その本を丁度探してたんです」
「私はもう何回も読んでるから、よかったらお譲りするよ?」
「本当ですか!?是非そのご好意に甘えさせていただきます」
輝はそれを聴いてくすくすと笑った。
「君、櫻楽くんって言ったっけ、どこか親しみを感じるのよね」
親しみ……か、それは俺と面識がある松山部長の記憶なのか、それともただの比喩なのか、俺には分かりようが無かった。
俺は輝が持っている本に手を伸ばし、受け取った。それはどこか聡に似ているような気がした、まるで日差しのように眩しい笑顔、俺はその光、その透明さに憧れていたのかもしれない、そして憧れた故に濁っていったのかもしれない。
「親しみ、ですか。自分も確かに親しみを感じます」
輝さんとはこれから縁があるかもしれないな、聡の生まれ変わりというのもあって。
「ふふふ、よろしくね櫻楽くん」
「挨拶が遅れてすいません、よろしくお願いします」
何故だか自分よりも年上な雰囲気を感じる、決してこれは老けているとかそういう意味合いではなく、大人びている、という意味合いでだ。
「そんなに畏まらなくても良いのよ、同じクラスなのに」
「そ、そうですね」
同じクラスに居ましたっけ…そう言えば松山とかいう人が居た気がする、多い名前かと思って気にしていなかったが、もっと気にしておけば良かった……
「じゃ、またね」
「ありがとうございました」
深くお辞儀をしたが、それを見て輝さんはまたくすくすと笑って教室に帰って行った、その後ろ姿に何故か見入ってしまった。
「さて、この本を借りることもできたことだし、休み時間もまだある、少し読んで行くとするか」
図書館にある椅子に腰を沈める、ソファのように柔らかく深く沈みサスペンションが効いている、こんな椅子が家にあれば…とここに座っては何回も思うものだ。
タイムトラベルの可能性……か、相変わらず胡散臭いタイトルだ。
数ページ読み進めると俺は1つの言葉に目を奪われた。
『この世界には複数の世界、俗に言うパラレルワールドが存在する』
パラレルワールド、これは大抵聞いたことがある単語だろう、意味はもちろん、複数の世界が1つ1つの出来事で分岐して様々な世界が存在するという想像の時に使われる単語だ。
これはあくまでも想像上の存在の筈だ、パラレルワールドがもし存在するというのなら、俺はもうとっくに3回もパラレルワールドを行き来していることになるからだ。
やはりこういう類のものは信じるには足りないな、しかし謎は深まるばかりだ、これでは『if』がどうやって俺の願いを叶えたのかなんて結論どころか考え始めることも出来ない。
始業5分前のチャイムが校内に鳴り響いた、俺は慌てて本を鞄にしまい、教室に向かって急いで走る。
ここで何故走るのか分からない人の為に説明しよう、俺のいるこの稲山高校はとてつもない敷地面積を誇っている、5分で図書館から教室に戻るなど、陸上部員でも急がなければ間に合わないだろうという程だ。
全力で走ってなんとか間に合ったが……もしかして俺は陸上部の方が向いていたのかもしれないな。
席に着くと、次の教科を確認する、次は歴史?嘘だろ…昨日は公民と書いていたはずだ、流石の俺でもそんな間違いはしない。
「おい、玲弥」
そう言いつつ俺は友人である玲弥を睨みつける。
「な、なんだよ慎耶、俺は何も盗ってなんかないからな! 」
「俺は盗られたなんて言ってないぞ」
「あっ…て、テヘペ…」
言い終わる前に殴った、大丈夫、手加減くらいちゃんとしている。案の定こいつが持っていたか…常習犯過ぎてバレバレなんだよ。
「くそっ…親父にも殴られたことは無いのにっ」
次いでにもう一回殴ってやった、何処かで聞いたことがあるフレーズだがよく思い出せない。
「2度も殴ったな! 」
ガツッと重い音が鳴ったが、懲りない玲弥が悪いのだ。