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ゴンベエ花子えモン

「ここはどこだ?」

「どこって言われても……」


 少女は困っている。言葉で言うのが難しいのだろうか。


 白大理石の壁に、高い天井。壁には松明がかかっている。

 神殿というイメージがぴったりだ。

 少なくとも日本ではないだろう。


「えっと、オレの名はアキトっていうんだ。君の名前は?」

「ないよ」

「はあ?」

「無いものはしょうがないよ!」


 少女はツリ目になって、片方の頬だけ膨らませた。


「だけど、名前がないと呼びにくいしなあ。いつもなんて呼ばれていたんだ?」

「世界の卵とか、理のあるじとか。他にもたくさんあるよ」


 正体不明のこの場所では、そういう風習が一般的なのだろうか。


 日本でも時代劇では信長って呼んでいるけど、実際には武将同士が名前を呼びあう習慣はあまりなかったようだ。

 『上総の守』とか『上総の介』とか呼ばせていたらしい。

 

 とは言うものの、人を役職呼ばわりとはやりにくい。ましてや、卵なんてなあ……。


「君は名無しの権兵衛さんか」

「ゴンベエって誰?」

「いや、なんでもない」


 何も知らない少女を、ゴンベエと呼ぶなんてひどすぎる。 


「何か好きな。呼んでほしい名前ってないかな」

「ポチとかタマなんてどう?」

「そりゃ、犬と猫の名前だ」

「じゃあ、桃太郎」

「……男の名前だ」

「じゃあ、女の子の名前って何?」


 とっさに花子っていう言葉が思い浮かんで、オレは首を振った。

 一体いつの時代のセンスだ。


「何か好きなものはなかったか。絵をたくさん見たんだろう?」


 宗教画と漫画がごちゃ混ぜになっているくらいだから、一応は世の中のことは知っているみたいだし……。

 アニメキャラのような名前でも、この外見ならぴったりと合うに違いない。


「あのね、色のついたガラスに光が差し込んでキラキラしていた絵があったよ」


 ステンドグラスのことか。


「赤ん坊を抱いている女の人の頭に輪がついていて、綺麗だったなあ」


 目を閉じて幸せそうにつぶやく少女。

 たぶん、聖母マリアのことを言っているのだろう。

 オタク趣味で来るかと思ったら、高尚なセンスを持っているじゃないか。


「それじゃあ、マリーっていうのはどうだ?」


 少女は目をぱちくりさせながら、オレを見つめる。


「マリー?」

「嫌なら別の名前でいいぞ。ええと――」

「ダメ!」


 適当にヨーロッパ系の名前を思い返していると、少女は怒ったような声を出した。


「マリーがいいの!」

「お、おう」


 身を乗り出して、間近で睨み付けられてはうなずくよりほかにない。


 マリーはマリアの愛称で、ヨーロッパではありふれた名前だ。

 聖母から研究者、女傑から陰謀家まで様々な人物に名づけられてきた。

 この少女は果たして、どんなマリーになるのだろうか。


「ねえねえ、日本人って名前が二つあるんでしょ? 家族の名前と自分の名前と」


 苗字と名前のことか。

 なかなか、勉強しているみたいだ。


「それに日本語は漢字を使っていて、一文字ずつに意味があるんだよね」

「まあ、そうだな」

「アキトはどんな漢字を使うの?」

「オレはただのアキトだよ」

「なんで?」

「アキトだからだ」


 理由を言えば突っ込まれそうだったので、言葉少なく言った。

 名前の由来に楽しい思いでなんて何もない。


「じゃあ、私が日本人みたいな名前にするよ」


 マリーは腕組みをして、考え込んだ。


「マリーえモン!」

「衛門は男の名前だ。っていうか、たぶんそいつはロボットだぞ」

「違うもん。青くて、丸くて、髭が生えていたもん!」


 うん、絶対に間違いない。


「赤い尻尾も生えていただろ。とにかく、人間じゃない」

「ううー」


 少女は不機嫌にうなる。

 

「じゃあ、マリーマン!」

「それは日本語じゃない」

「うそだよ! 日本のお話の主人公には『マン』がついていたもん。頭が良くて、物知りなアメリカ人もいたんだよ!」

「だけど、みんな男だっただろ?」

「………」


 やっぱり昭和時代のマンガとアニメだな。この子が見ていたのは。


「ううーー、全然思いつかないよぉー」

「アニメと漫画以外に勉強はしていなかったのか?」


 今度は両方の頬が膨らんでゆく。顔がトマトのように紅潮していった。

 図星だったらしい。

 片方のときより、倍は怒っているのだろうか。


「君はマリー、オレがアキト。ただの名前、それだけだ。それでいいじゃないか」


 名前は名前だ。漢字でもカタカナでも構わない。だけど、自分の名前が嫌いってことは、自分を嫌いだってことだぞ。

 アキトを漢字で書くと変だと、それがイジメの原因になったとき、小学校の先生がそう言ってくれた。


「ダメか?」

「……いいよ」


 頬から空気の抜ける音と共に、マリーはつぶやいた。

 不満がゼロというわけではないが、納得はしたらしい。


「それじゃあ、改めて。俺はアキトだ。よろしく、マリー」


 手を差し出すと、マリーは眉をしかめて戸惑った。しかし、突然にっこり笑うと、俺の手をしっかりとつかんだのだ。


 苗字は家族との血のつながり、漢字は日本という場所につながる。

 肉体と故郷から切り離されたオレは、ただのアキトでいい。

 ただのアキトから始めたい。そう思った。


「これは握手っていうんだよね。お友達の印なんでしょ?」

「……そうだよ」


 満面の笑みを浮かべる少女は一枚の名画のように俺には見えた。

 死んで見るのも悪くないな、と俺は思った

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