「騎士」と「従者」
街のざわめきも細くなり、夜はひときわ深くなる。
賑やかだった酒場の灯も落ち、王都はまるで、さきほどまでの喧騒が幻だったかのように静まり返っていた。
王都の外れ、南の高台。
騎士たちのために整備された墓地の一角、そこだけに設けられた石碑には、無数の花が積まれていた。
王都中から集められた花々が、まるで生き物のように咲き乱れ、亡き剣士の記憶を守ろうとしている。
その前に、男がひとり膝をついていた。
月の光が、纏う喪服の黒と対照的に、彼の黄金のように輝く髪を照らしている。
その下から見える顔は彫刻のように整っており、若さと覇気が満ちているように見える。
その肩書や鎧に不釣り合いな美貌は、彼の目下の悩みの種でもあるが、同時に貴婦人や民衆に好まれるところでもあった。
彼の背後に、音もなく影が現れる。
「ありがとうございました。アーサー殿」
女の風のようにか細く、それでいて夜気に染みるように優しい声が憂いを帯びて語り掛ける。
「あの人を静かに弔わせてくれて。……骸の無い棺で皆様を納得させるには、骨を折ったでしょう?」
「いいんだよボタン、他ならぬ君の願いだからね。」
アーサーが、傍らに現れた黒い髪の小柄な女に語り掛ける。
線が細いが偉丈夫のアーサーと女の身長差は大人と子供ほどもあったので、傍からみれば大人と子のようにも見えるだろう。
「王は情け深いお方だ。快く承知してくれたよ」
「相変わらず、貴方はお優しいです」
「よしてくれよ」
実際のところアーサーの言葉には一部に嘘が混ざっていたが、ボタンと呼ばれた彼女はそのことを承知しているように優しく微笑む。
若々しい金髪の青年は少し困ったように端正な眉を歪ませて、顔を背けるが、そのような仕草がより周囲に若々しく取られるのだと、彼以外のかつての仲間は知っていた。
皆それを微笑ましく見るのみで、ついぞ指摘することはなかったが。
懐かしい記憶が黒髪の女の笑みに加えられ、ころころとした鈴のような笑い声が人気のない墓前に添えられる。釣られて金髪の青年も手入れの行き届いた管楽器のように澄んだ声を震わせ、まるで優雅なソナタを思わせる声色を響かせ、笑った。
ノスタルジーが彼らを満たし、今この時だけこの場は、彼らが共に旅をしていた頃に戻ったかのようであった。
青年が小さな杯にエールを注ぎ、慎ましく杯同士が触れる音が続く。
どちらともなくつらつらと語られる旅の思い出話は、月が高くなり、風が少し冷たく感じるまで続けられた。
おっと、と呟きアーサーは都の方向を仰ぎ見る。
既に灯りは無く、あと少しもすれば朝日が昇る。
「いやあ、まいった。つい長話をしてしまった。こうして昔話を愉しむようになってしまって、年を取ったかな、僕も」
「アーサー殿、女性の前で年齢の話題は厳禁ですよ」
「む、そ、そうだね。すまない」
はっと口を押えて詫びる青年に、ボタンはまた笑みを深める。
「まったく、ある……夫も、貴方もそういうところは変わりませんね。私は構いませんが、エイレン様の前ではいけませんよ?……彼女にも今回はお世話になりましたから。」
「承知しているよ。僕も他の皆が居ない分、彼女には頼りにさせて貰っている。全く、かつての勇者パーティのたった半数しか来てくれないなんて薄情者たちめ。」
「特にジグ殿はこういった政を嫌っていましたからね。でも、夫の墓前には来ていただきましたから。」
「そうなのか?」
「はい、昨日訪ねられたようです。式の時と同じように、持参の品と手紙が添えられていましたから。」
驚くが、彼らしいなとかつてのパーティのシーフを思うアーサー。
変に神経質で、金に煩いきらいがあるが、芯のところでは律儀で誠実な男なのだ。
彼とはパーティの解散以来、顔を合わせていない。
「もしかして、ほかの2人も?」
「いえ、あの方たちはまだ。勇者さまについてはおそらく耳にも入っていないかと」
「そうか……まあ、忙しく飛び回っているようだからね。偶には帰ってきてくれれば、こちらも色々と助かるんだが……」
かつての王命を受けて集められた仲間たちは、今や散り散りにそれぞれの人生を送っている。
王都に残るは王国騎士団長アーサーと、いまや宮廷魔法使いとなった魔女のエイレンのみであり、彼らが戦後の様々な政や苦労を引き受けることになったのは言うまでもない。
「まあ、仕方ない。地獄門を閉じた時点でアイツも、皆も、一生分の働きをしたんだ。楽をさせてやるのも、僕の役目か」
肩越しに笑う金髪の青年に、ボタンが不思議そうに首を傾げる。
「?しかし、その理屈で言えばアーサー様は」
「僕は、騎士だからね」
腰に帯びた剣の鞘を、彫刻のような指先が撫でる。
「例え地獄門が消えても、まだまだ小規模な異変や残党の報告はあるし、今度は人間同士の問題だってある。
民を守り、王を助ける。その役割は最初から、きっとこれからも変わらない」
「……ご立派です。とても」
静かに微笑んでそう告げるボタンに、アーサーの視線はどこか泳ぎ、すぐさま照れたように言葉を継ぐ。
そこには、先ほどまでの騎士然とした凛々しさは消え、見た目通りの若々しい情動に突き動かされているように見えた。
「そ、そうとは言ってもね。大戦の爪痕はいたるところに残っているし、僕と騎士団、それにエイレンだけじゃ手が回らないこともあるだろう、から、その」
少し言い淀みながらも、彼は泳いでいた視線を彼女に向け直し、真っすぐに彼女の視線を捉えて言った。
「君さえ良ければ……このまま、王都にいてくれないか?」
その言葉が心底予想外のものであったのか、それまで黒髪の間から覗いていた柔和な笑みが消え、代わりに小さな驚愕の表情がボタンの顔に浮かぶ。
「私を、王都に?」
「あ、ああ!平和になってから先に補充された新兵たちは数ばかり多くて全然訓練も心構えもなっていなくてね。かといって僕も全然手が回らなくて。ああ、それに…… 勿論、部屋は用意するし、身元は、うん。騎士団の相談役として整えることが出来る。だからつまり、僕は、君に任せたいと、思っているの、だけど」
まくし立てる言葉が、段々と尻すぼみになっていくのをアーサーは冷えていく首筋の感覚と共に自分自身で感じていた。
「貴女が……その……落ち着けるまで」
渾身を込めて続く言葉を絞り出そうとした彼が、それと同等以上の努力で飲み込んだのは、目の前の女の表情に気づいたためだった。
女は一言も発しない。
ただ、先ほどと変わらぬ、柔和な笑みをアーサーに向けていた。
それだけで、金髪の青年には答えが分かってしまったのだ。
「……すまない、急にこんなことを。僕は……ただ」
アーサーは、情動のままにまくし立てた自分を、今更ながら恥じた。
それは彼のこれまでの人生で幾度も経験した苦い部分であったが、今になってなお直らない自分の悪習を、彼は呪わずにはいられない。
「貴方は変わらないですね、昔から。まっすぐで、正しくて、優しい。」
そんな彼の内側を知ってか知らずか、
鈴のような声は、まるで過去に語りかけるように穏やかだ。
「貴方のそんな誠実さに惹かれて集ったのです。皆様も、夫も、そして、私も──」
数泊の沈黙が彼らの間を満たす。
アーサーは暫し俯いたままであったが、切り替えて顔を上げた。
「……これから、どうするんだい?」
「今は……王都を離れて、別の土地へと考えています」
「東の国へ帰るのかい?」
「いいえ、故郷にも、ここにも、あの人との思い出が多すぎますから」
「……そうか」
かつての仲間に明確な別離を継げる彼女の目は、どこまでも静かだった。
その銀色に光る瞳から彼女の内心を推し量ることは、金髪の青年には永遠に不可能のように感じた。
その事実が無性に悲しい。
「最後に聞かせて欲しい。君にとって、シュローはどんな人だった?」
ボタンは少しだけ目を伏せ、言葉を探すようにゆっくりと話し出した。
「そうですね……私にとっては、恩人であり、主と定めたお方であり、私のような卑しい者を、受け入れて、妻としてくれた。」
まるで遠い空に語り掛けるような、それはアーサーの知らない顔だ。
「……世界が終わっても、あの人が傍にいれば、大丈夫だと思える人でした。」
アーサーは、何も言えなかった。
彼の中にいたボタンは、少し違った。
もっと寂しげで、脆くて、だからこそ守ってやりたいと思っていた。
だが今隣にいる彼女は、夫を失うという喪失の中にあってなお、誰にも触れさせぬ強さを胸の奥に抱いていた。
そしてその何かには、彼はきっと、一歩も踏み込めないのだと知った。
だから、最後にせめて──
「……なら、せめて、ひとつ。僕に誓わせてほしい」
彼女が振り返る。
その眼差しに、彼は真っ直ぐ向き合った。
「君がもし、どこかで困っていたら、苦しんでいたら、誰かに脅かされていたら──その時は、必ず僕が駆けつけます。呼ばれずとも。たとえ王命がなくとも」
真剣なその顔に、ボタンは一瞬だけ目を見開いた。
「いいのですか?貴方には守るべき民と、仕えるべき王が」
「これは、僕個人のものだ。騎士としてはない──唯の“アーサー”としての、個人的な誓いだ」
下唇を軽く噛み、頬を薄く紅潮させたその表情は、虚飾なく彼という人物を表していた。
夜風が花を揺らし、月が彼の肩に光を落とす。
琥珀色の瞳が真っすぐに銀色の瞳を捉え、その瞳に自身を映している。
その表情は、どこまでも優しいまま変わらない。
銀色の瞳がゆっくりと閉じられると、小さな黒い影は深く頭を下げた。
「さようなら、アーサー様。どうか、いつまでも真っすぐなままの貴方で」
それが彼女からの最後の言葉だった。
沈黙が数拍。夜風が、白い花々を微かに揺らす。
そうして踵を返す小さな背中を、ただ見送る。
深まっていく夜闇が、アーサーの視界から小さくなっていく彼女の姿を覆い隠し、静かに朝焼けを待つ闇の中へ溶けていった。
諸々の理由で引出しに眠っていたた小説の供養です。
悪役令嬢の母ですが、の次更新までの繋ぎに是非




