伯爵に転生
「坊ちゃん!閣下が危篤状態です!今すぐお越しください!」
けたたましい声でケインを起こしたのは、丸眼鏡をかけた長髪のイケメンだった。
「ただいまお車の準備が整いました!身支度をお願いいたします!」
「な、なに!?」
ケインは、起き抜けの頭で物事を考える余裕を持っていなかった。
言われるがまま服を脱ぎ、スーツに着替える。
既に亡くなっているはずの父が危篤状態という理解不能な情報でも、後回しにしてしまうほどその場の空気は緊迫していた。
言われるがまま車に乗り、どこかを目指している。
「ターミナルに着きましたらご用意しております船より、首都中央病院に向かっていただきます」
車でしばらく時間を開ければ、現状がいかに現実離れしているのかを理解していく。
「ん?ターミナル?というか、ここどこ?」
底知れない恐怖と共に発汗し、手が急速に冷えていくのが分かった。
見慣れない車に初対面の男、見たこともない外の風景に底知れない恐怖が襲う。
これまで見知った日本という国にいたケインは、知らぬ間に見知らぬ場所で見知らぬ人間に、首都の病院に連れていかれようとしていた。
左右を見て、困惑し、冷えた手をさすれば、その小さい手に気を移す。
「・・・なんか、小さい」
右往左往しているケインをいぶかし気に見る丸眼鏡の人物は、ケインに呼びかける。
「ケイン様?いかがいたしました?」
その目は不自然な動きをするケインに対し、異常を感じ、疑っているような目をしていた。
ケインは、車に自身とその青年しかいないことで、ケインが自分であると考え、あえて通常を装い返答する。
「な、なんだ?」
向こうが敬称をつけているうえに、彼は自身の年下に見えたため、ため口を選択した。
「いえ、様子がおかしかったので、ご気分でも悪いのかと」
彼は、中央にあるボックスからコップと氷を出し、中に炭酸水を注ぎ、ケインに差し出す。
「い、いや!何も問題はない!それより、これから首都に向かうのか?」
話題を転換し、今後の動きに関してと自身の立場に関して探りを入れようと画策する。
「ええ、旦那様が本日危篤状態になったとの知らせが入りましたので、急遽首都病院に向かっている次第です。到着は14日後の午前中になるかと思いますので、旦那様の最期には間に合うかと」
「そ、そうか、父が危篤か・・・」
日本において既に父がいないケインにしてみれば、見たことのない自身の父の最期に立ち会うという異様な状況に関して、思うことが多々あるが、自分という存在の定義ですらおぼつかない現状において何かしらの行動をすることは非常に危険であると考える。
「時に、父は何歳だったかな?」
「90歳でございます。ケイン様がお生まれになった時、旦那様はすでに75歳でしたので」
75歳で息子ができる世界という情報から、身の上を想像してみた。
母は若く、盛んな人間だったのだろう。
夫婦生活はうまくいかず離婚、一人息子のケインを残し母は去り父は仕事に没頭、故にケインが今一人なのだろうと考察できる。
父に会う際、どのように声を掛けるべきか模索するうえで、父が息子であるケインをどのように思っているのか、どういった性格なのかをある程度知る試みに、いくつか窯かけをすることにした。
「だいぶ長生したな。父としては、まだやり残したことがあったのかな?」
彼は、ただ淡々と事実をケインに語った。
「70代になり、不安視されていた跡取りを残し、後継者も一人に定めたのです。旦那様がこの世に求め得ることは何もございますまい」
彼の言葉から、飾りも感情も感じず、ケインはただ、居ることのみを望まれていた人間だったのではないかと、そういった考えがよぎった。
日本に生き、両親に愛されて育った、そう言える自身もまた、数年以内に結婚し、子供を持ち、愛情を注ぐことを望んでいた。
それが、父親としてできることであり、したことであると思っていた。
「・・・そうか」
ケインにとって、機械的子育てには何ら意味がないと考えている。
ゆえに、この時点において、ケインの父親という存在への興味、あるいは期待は失せた。
これから会いに行く見ず知らずの父よりも、今後のケインという人間、15歳であるがゆえに未だ少年のこのからだの行く末、何をもらい受け、どのような問題を抱えるのか、自身の将来の不安が先立つようになる。
「俺は、これからどうなるんだろうな」
窓の外を見れば、日本と大差のない風景が流れていた。
都市の中を進む高速道路、左右に立ち並ぶ高層ビル群。ただ、違うとすればその高さがいささか低いことである。
「ケイン様は、ランベール伯爵家の正当な後継者として、伯爵となります。引継ぎに関しましては、残念ながら、旦那様のワンマン政治でしたので、我々が知ることは困難となります。ケイン様には、改めて政務を一から行っていただくことになるかと存じます」
「そうか」
熱量があり、その若さゆえの底知れぬ力もある。
しかし、その静寂な心根は、ケインという少年が持ち合わせていなかった、冷静沈着な部分である。
彼は、ケインという少年に転移してすでに、彼の特徴を変質させ始めていた。
そして彼は、庶民の出であるが故、貴族、金持ち、特権というあらゆる分野において、無頓着であった。
故に、彼は今後の苦労などつゆ知らず、のうのうと今の時間を過ごしていた。
この世界が、異世界であるという認識もせずに。