第一話 5月病、なめてませんか
5月病とは
医学的な病名ではなく、5月の連休後に憂鬱になる/なんとなく体調が悪い/会社に行きたくないなどの軽いうつ的な気分に見舞われる症状のことである。
(引用 一般財団法人日本予防医学協会)
5月9日 月曜日
中島 均がその異変に気がついたのはゴールデンウィークが明けてから初日のことだった。入社1年目の中島はまだまだ新人で、部署の誰よりも早く出社していた。
「おはようございまーす」
初日ということもあり中島は気合を入れるため元気よく挨拶をする。だがその挨拶に対する返事が返ってくることは無かった。その日は朝の定時時間になってもほとんどの社員が出社しておらず、お昼頃になっても自分の部署のメンバーは誰も現れなかった。
「あれ、もしかして今日ってまだゴールデンウィーク?」
そう思って何度もスケジュールを見直したが、どう見ても平日の出勤日だ。更に驚いたのは午後イチで取引先とミーティングがあったのだが、その時間になっても自分以外の部署のメンバーも、取引先のメンバーも現れなかった。
上司や同僚に連絡を取ろうとしても連絡が付かず、中島はやることが無いため定時前に仕事を終えて退勤した。
彼が働いている新橋はサラリーマンの聖地と言われるほど会社員が多く平日の夕方は仕事帰りの人の群れでごった返しになっている。しかし今日は異様に人が少なく、中島はここでも違和感を覚えた。
5月10日 火曜日
中島の違和感が確信に変わったのはその次の日だった。出勤しようと一人暮らしのアパートを出て駅に着いた時、いつも同じ時間に乗っている電車が来なかったのだ。おかしいと思いスマホで何度も路線検索しても自分が間違っているわけではない。そもそも駅のホームで待っている人も自分以外いない。
『ピンポンパンポーン。本日は乗務員が不足しているため告知はしておりませんが電車の本数を減らしております。次に来る電車は12時になります。ご迷惑をおかけして申し訳ありません』
「12時!?今から4時間半後じゃないか!」
中島が住んでいる場所は決して地方ではなく、むしろ都会寄りだ。電車もいつもは5分に一本来るはずなのにどう考えてもおかしい。
代わりの交通手段としてバスやタクシーを検索したが、そちらも状況は同じでほとんど機能していなかった。
「会社に電話しても繋がらないし、ほんとどうなってんだ?」
会社への連絡も、移動手段も絶たれた中島は出社を諦め一旦家に帰宅することにした。その帰り際に近所の商店街に立ち寄ってみると、いつもならすでにお店を開けている時間のはずがほとんどの店がシャッターを閉めていた。わずかに開いているお店もあったが店員はおらず、灯りだけついている状態だ。
そして中島は家に帰り、ネットやテレビを見て初めてこの現象が自分の周辺だけでなく日本中で起こっていることを知る。ニュースによるとゴールデンウィーク明けより会社や各々の職場に行かず家に引きこもる人が急増しているとのこと。
国は総力を上げてこの事態への対処を行なっているが、政府でも同じ症状の人が多く、人手が足りていないらしい。
そんな中、ある心療内科の専門家が仕事をしなくなった人に共通してうつ病に似た症状が出ていることを指摘し、且つこの集団的うつ病発生現象をこう言い表した。
”5月病“
にわかには信じられなかった。5月病なんてただの概念的なものかと思っていた。しかし急激に鈍化していく日本の経済活動を見ると5月病の深刻さを理解せざるを得なくなった。
そしてゴールデンウィークが明けてから2日目、日本の経済活動は完全に停止してしまった。
—-
5月11日 水曜日
ゴールデンウィークが明けてから3日目の朝、中島は食料を買いに家を出た。近くのスーパーに向かうが閉まっていたので、コンビニに寄ることにした。
「すみませーん、誰かいませんかー!」
コンビニは開店していたものの店員も従業員もいなかった。食料品コーナーを見てみるとサラダや弁当といった日持ちしないものは変色し始めていた。中島は冷凍食品をいくつか拝借し、取った分の代金をレジの上に置いて店を去った。
中島は昨日今日で会社の人だけでなくあらゆる友人と連絡を取ろうとしたが、全員音信不通だった。一人だけ大学の頃の同級生と連絡が取れたが、途中で会話が面倒だからと電話を切られてしまった。
テレビもすでにどの報道局も番組を放送せず、ただ同じようなCMがずっと流れているだけだ。
現状、今まで社会を動かしてきた労働者達が一斉に5月病にかかってしまったのである。5月病がここまで恐ろしい病だとは、誰が想像できたであろうか。
そんな中、中島はとある一軒家にたどり着いた。そこには中島が小学校から高校までずっと仲良くしていた親友が住んでいる。ただ、そいつは高校三年の受験期を迎えた頃突如学校に来なくなり、そのまま引きこもりになってしまった。
ピンポーン。この家のドアのベルを鳴らすのは高校三年の時以来だ。あの時は何度鳴らしてもあいつは出てこなかった。
しばらく待っていても誰も出てこなかった。中島は諦めて引き返そうとした瞬間、ガチャ、と後ろから扉が開く音がした。
「この世の終わりに誰が来たンかと思ったらお前だったか」
「英太!!」
扉の向こうから現れた上下灰色のトレーナーを着て、髪が肩まで伸びっぱなしの中島の親友、遠藤 英太とは実に7年ぶりの再会になった。
・・・
家を訪ねた中島はその後すぐに遠藤の自室へと連れてかれた。なんせ7年間も引きこもっていたのだからさぞかし部屋は汚いだろうと腹を括っていたが、思いのほか綺麗だった。
「なんか意外だったな。ずっと引きこもっていたのに、こんなに元気そうにしているとは思わなかったよ」
「そうか?まあ別に後ろめたい理由で引きこもッていた訳でもないしなー」
「え、そうなの?てっきり知らないうちに..いじめにでもあったのかと思ったよ」
「いじめぇ!?ハハッ、俺がそンなん気にしないって知っているッしょ!」
そう言い遠藤は大いに笑う。確かに、子供の頃からメンタル強者だったこいつが精神的な理由で塞ぎ込むとは思えなかった。
「….単純にさ、学校が面倒になったンだよね。学校というよりその後の社会の流れかな。大学行って、社会人になって、楽しくねー仕事を週の大半やって、気がついたら老人なンてまっぴらごめンだーって思ってね」
「……」
その気持ち、学生の頃だったら何甘えたこと言っているんだと一蹴してしまうが、今なら分かる気がした。中島は社会人として働いているものの、会社には就職難の中なんとか入れたのもあって、興味のない仕事を一日中やるのは苦痛を感じていた。
「まあだからって何もせずに引きこもンのが一番悪いんだけどさ。で、均は何をしに遠路はるばるうちまで来たンだよ?」
急に話題を変えられ、中島は少し姿勢を正す。
「英太はさ、今の日本の状況理解しているか?」
「そりゃあ分かってるよ。5月病だろ?馬鹿げてンよな、そンなンでみんな働かなくなっちまうなンて」
元から働いていないお前が言うか?と心の中でツッコむ。
「数日前から母から飯が提供されなくなってね。気になって様子見に行ったら何もしたくねーつッて寝たきりになってンよ。まさか引きこもりの俺が母の面倒を見るとは思わなかったよ」
「….んまあ、無事なら何よりだよ。てかやっぱり英太のお母さんも5月病になっていたか」
「まあね。で、お前がうちに来た理由は急に俺に会いたくなったンじゃなくて、引きこもりの俺がどうなってンのか見にきたンだろ?」
「う、いや、もちろん会いたかったのもあるけど、もしかしたら引きこもりのお前なら5月病になっていないんじゃないかなって思ってね」
図星を突かれて中島は言い淀む。そこに畳み掛けるように遠藤は話を続ける。
「それで、これもまた俺の推測なンだけど、もしかして均、今のこの日本を5月病から救おうと考えてるンじゃないか?」
この質問に対し、中島は真剣な眼差しを見せる。その表情を見た遠藤は顔をしかめた。
「均..お前のそン性格は昔から分かっていたけどさ。流石に今回は規模が大きすぎるンじゃないか!?」
「だからってこのままじっとしていても何も事態は悪化する一方だろ。だったら俺達で出来ることを..」
「俺たちって、ペーペーの社会人と引きこもりの二人でか!?俺たちが下手に動くより他の誰かがきっと動いているさ!」
「そんなの分からないじゃないか。もしかしたら今この日本で動けるのは俺達二人だけかもしれない、そうだったらこのまま指を咥えていたら日本が滅びてしまうぞ」
遠藤は少し言い負けた顔をした。
「….ンとにかく俺はパスだ!英雄になる気なンてねーよ。やンなら一人でやンな!」
その言葉に、中島はあからさまに肩を落とす。
「……分かった。突然訪ねてきて悪かった。久しぶりに話せて楽しかったよ。じゃ、これでお暇するよ」
「お前、この後どうするつもりだ?いくあてはあンのかよ?」
「…………邪魔したな!」
中島はその問いに答えず、そのまま家を飛び出した。遠藤はその背中をじっと見つめていた。
均、あいつは昔からこういうやつだった。普段は大人しいくせに、いざ誰かが困っているときは驚異的な行動力を発揮する。
小学校の時、全校生徒の前で発表する同級生が直前で嫌になって泣き出したことがあった。俺は引き受けた自分が悪いと思って無視したが、均は違った。あいつは黙って発表するやつから原稿用紙を取って、代わりに全校生徒の前で発表をした。
練習無しのぶっつけ本番だったから、均は見事に下手な発表をして大笑いされた。でも何故だろう、その時のあいつは、あんなにダサかったのにめちゃくちゃカッコよかったことをよく覚えている。
「オイ!待てよ均!」
遠藤の家を出て、数歩あるいたところにいた中島を呼び止める。
「じゃあなんで俺ンところに来たんだよ?別に俺じゃなくても他にも頼れる奴がいたンじゃないのか?」
「確かに他にもいたかもしれない。でも俺が本当に困っている時はいつもお前が助けてくれていたことを思い出したんだ」
その言葉を聞いて、遠藤は何かが込み上げてくる感覚に襲われた。
「….クソッ!これでお前を助けないなンて選択肢あるわけないじゃンか!いいよ、手伝うよ!」
「っ!本当か!?ありがとう!!」
そう言って駆け寄り握手を求める中島に対し、遠藤は少しため息をつきつつも差し出された手を硬く握りしめた。
ーーー続くーーー
ここまで読んでいただきありがとうございました。7話完結予定です。