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ある猿の事

作者: 杉谷馬場生

 猿はなんとも言えない気持ちになっていた。どちらかと言うと気持ちが沈んでいる。同行者、それは猿に対してはご主人様の関係になるのだがなんとも猿に対して不機嫌なのである。

ご主人様の名前は桃太郎と言った。鬼退治に誘われて見事鬼を退治した帰路の途中である。

鬼は鬼ヶ島という小島におり、猿達は現在船の上であった。船には猿達の他に鬼から召し上げた金銀財宝が積んである。

これだけの財宝が手に入ったのならば普通は喜ぶだろう。なのに桃太郎の顔は不満に満ちている。

猿にはご主人の桃太郎の他に同じ従者である犬と雉がいる。犬と雉もどちらかというと猿から距離をとっている節がある。

皆が猿に対して距離をとっている。桃太郎となっては明らかに不満を持っている。それは猿にもある程度理由を察することができた。

功績が良すぎるのである。

犬は鬼に噛み付くのを主に戦っていた。雉は上空から飛来しては鬼の目の当たりを突いたり上空から小石を落としたりして攻撃をしていた。

ご主人の桃太郎に至っては刀を持っている。その刀で鬼に致命傷と言わずも戦意を喪失させるのに充分のダメージを負わせた。

その一方で猿は持っていた棒で一気に蹴散らす。毛を吹いて分身を生み出す。雲を呼んでビュンビュン飛び回るなどをして他の仲間が鬼を一人倒す間に猿は何人も倒しているのだ。

それに桃太郎は驚きと同時に嫉妬して犬と雉も自分の非力さに負い目を感じてしまったのだろう。

元々猿はこの島国の生まれではない。生まれたのもずっと昔でもはやただの猿ではないのだ。

生まれは大陸の方で花果山という山の頂にできた岩の卵から生まれた。本来は孫悟空という名前があるのだが説明も面倒くさいと思いこの旅では何も言わなかった。

このような旅も初めてではない。大陸では長い間、ありがたい巻物を求めて旅をしたこともある。それに比べれば今回の鬼退治は短いものであった。

どうも桃太郎は我々従者をモノ扱いしている節がある。現に我々に対して名前をつけていない。猿は猿だし犬は犬だし雉は雉としか呼ばない。あくまで自分が目立ちたいのだろうか。

吉備団子ひとつで従ったというのに。

思えばかつて大陸で旅をした時のご主人様は怖い思いもしたが優しさを持ち合わせていた。自分では何もできない人であったが猿を含めて他の二人の問題の多い妖怪の従者を見事に従えたものである。従い甲斐があったというものだ。

桃太郎は船の先頭に座っている。背を丸めていじけている様だ。いつもは腰にぶら下げている袋を手に持って中から吉備団子を取り出してモグモグやっている。独り言なのか小声で「固い」と聞こえる。「せめて焼きたい」と聞こえる。

なんとも小さなご主人様だなと猿は陰鬱な気持ちになる。かつて従ったご主人様が偉大だっただけにその思いはひとしおだった。

かつての旅を終えた後、猿はどうすることもできた。天上界で悠々自適に暮らす事もできたし故郷である花果山に戻る事もできたが数百年経った後に飽きてきてこの島国に渡った。渡って数日海を見ながらのんびりしていたところに声をかけられたのだ。吉備団子を渡されて鬼退治に報酬がこれでは釣り合いが取れぬとは思ったが、かつての旅では報酬そのものがなかったのだ。暇潰しついでと思って旅の同行を了解したのである。

桃太郎もただの猿だと思っていたのだろう。そもそも鬼退治に犬や雉やただの猿を共にするというのもどうかと思うが、今考えるとこの自尊心の強いご主人様は自分が目立ちたかったのかもしれない。

煩悩の強いご主人様だなと思う。かつてのご主人様がお坊様だっただけに余計だ。

やがて桃太郎は立ち上がり猿達のいる場所まで移動すると「ほら」と吉備団子を差し出した。犬はなんだかんだで尻尾を振って齧り付き、雉は渡されたというより嘴に突き刺されたのでどうしようもなくあたふたしている。猿に至っては手を差し伸べたのに船の床に置かれた。

従者に八つ当たりをしている。動物だと思って舐めているのか。

猿は桃太郎に一言言おうとも思ったがもう何百年も生きている猿である。こんな人間もいるさとどこかで受け流して吉備団子を食べることにした。

猿は吉備団子をかじる。さっき桃太郎が言っていた様に出立の時に作られた吉備団子はすでに固い。猿は妖術を使い、指から小さな火を出して吉備団子を炙った。そして柔らかくして口に放り投げる。香ばしくもあり、美味しく食べることができた。

それを見て唖然としたのは桃太郎である。口をあんぐり開けたと思ったら嫉妬の籠った目で猿を見つめた。猿はやれやれと思いながら桃太郎に話しかけた。

「吉備団子をくださいよ」

「お前、まだ食うのか。食い意地が汚いぞ」

「違いますよ。焼いてあげますよ。食べたいんでしょう」

猿は桃太郎から奪い取る様に吉備団子の入った袋を取ると中から数個取り出して妖術で炙った。それを桃太郎に渡した。

「ふん、なんでもできる奴め」桃太郎は吉備団子を受け取ると背中を向けてそう言った。捻くれ者なのかツンデレなのかよくわからない。

やがて船は小さな港に着き、財宝を荷車に積み替えて陸の旅になる。そうして猿達は桃太郎を育ててくれた老夫婦の家にたどり着いた。

老夫婦は桃太郎を優しくねぎらった。とても温和で優しそうな老夫婦だった。

桃太郎は「僕の従者です」と猿達を紹介すると鬼ヶ島で自分がどれだけ勇猛に立ち向ったかを身振り手振りで伝えた。

猿はそれに呆れた。その内容は猿のことではないかと思ったのだ。その語りは捏造だった。

桃太郎の老夫婦に語った内容によると桃太郎は旅の途中に不思議な力を手に入れて鬼退治の際にそれは大いに役立った。自分の毛を抜いて分身し、雲を呼び寄せてそれに乗り上空から鬼を蹴散らし、刀を自由自在に伸ばして鬼達を薙ぎ払った。従者達も色々頑張ったが僕の足元にも及ばなかったと。

流石に犬と雉も呆れた様である。犬は振っていた尻尾をだらんと垂らし、雉は桃太郎の肩に乗ったかと思うと桃太郎の耳をつつき始めた。桃太郎は「痛い痛い!」と雉を払おうとしたが雉は怒っている様で耳をつつくのをやめようとしない。やろうと思えば目をつついてもいいのにそこはまだ優しさがあるのだろう。

老夫婦はその風景を呆然と眺めていた。そして猿は何も言わずにその場を去ったのである。

しばらく歩いて誰からも見えない場所で猿は雲を呼んでその場から飛び去った。もう人間に従うのは懲り懲りだ。天上界にでも戻ってゆっくりしてやろうか。

その前にせめてこの気持ちをこの島国に残したかった。猿はしばらく雲で飛んでいると程よい山を見つけてそこに降りた。そこは現在の栃木県である。

何やら大きなお社が作られようとしていた。その一角に猿の彫刻が彫られている途中である。猿はこれ幸いと思い、自分の毛を三本抜くと分身を生み出した。

その内の一匹は「もう人間の卑しい姿なぞ見たくない」と目を塞いだ。

もう一匹は「もう人間の言葉なんか聞きたくない」と耳を塞いだ。

最後の一匹は「でもそんな人間の本性を誰にも言いたくない」と口を塞いだ。

その「見ざる、聞かざる、言わざる」の三匹の猿の分身はそのままの姿で彫刻に化けた。そうして東照宮の厩の飾りとなった分身を見て満足した猿は雲に乗って天上界に上がっていった。

今や誰も桃太郎の真実と日光東照宮の三猿の真実を知る者はいない。知っているのは天上界で横になってぐうたらしている孫悟空こと猿だけである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。まさか日光の三猿にそのような謂れがあったとは。
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