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『恋する乙女の決断と、伊佐木周の決意』

 千代田千夏ちよだちなつ


 彼女は千春ちはるの実の妹。年は二つ違いの今は中学三年生の少女だ。


 姉の千春と妹の千夏は、双子のようにそっくりで仲良し姉妹だったが故、近所の人達ですらたまに千春()千夏()の見分けが付かなくなるレベルだった。


 視線を一度下げたあと、再びあまねを見詰める千夏は、やはりどことなく嬉しそうだ。


「やっぱりお兄ちゃんは気付いちゃうんだね……」


 千夏は表情を変えずそのままだったが、声のトーンは心なしか下がっているようだった。


「いつから?」


 千夏が口にした『いつから?』は『いつから私が千春(お姉ちゃん)ではなく千夏わたしだと気付いていたの?』と言った意味。


 だから周は、その千夏の訊ねに、


たぶん(・・)、最初から」


 そう素直に答えた。『たぶん』と付けたのは、初めから違和感はあったものの、それに確信があったわけではないから。


「そっか……そうなんだ……」


 吹っ切れたように、だがまだ何か心に残っているかのような表情を浮かべ、ため息を零した千夏は、目の前に広がる景色に身体を向ける。


「なあ、千夏。なんで千夏が、実の姉である千春の真似フリをするんだ?」


 周の訊ねに、今度は顔だけをこちらに向けた千夏は、困ったような顔で微笑んだ。


「とりあえず、そのことは帰ってからでもいいかな?」


 千夏の言葉に周は納得し、「わかった」と、千夏と並んで展望テラスをあとにした。


 *


 アクアートからバスで星海駅へ戻ったあと、電車に揺られ、三十分ほどで周と千夏は周の自宅前に到着した。


「家あがってくか?」


「んーん、いい」


「そうか」


「今日はごめんね。わたしが、お姉ちゃんの真似フリなんかして……」


「どうして千夏が、千春の真似フリなんてするんだ?」


「……それは……」


 千夏は目を逸らし、口をぱくぱくとさせる。見るからに言葉が出なさそうな様子だった。その光景を目にした周の中にひとつの仮説が浮かんだ。それは、周自身、あんまり考えたくなかった最悪なもの。


 それを確信に変えるため、周は千夏の続きの言葉を静かに待った。


「実は、お姉ちゃんは……半年前に、交通事故で……」


「もう言わなくて大丈夫だ」


 それだけで、そのあと続く言葉が何なのかが予想出来た。


 周は軽く深呼吸をしながら、ゆっくり瞬きをする。


「隠してて、ごめんなさい」


 千夏は申し訳なさそうに深く頭を下げる。


「謝らなくていいよ」


 そう声をかけると、千夏はゆっくりと顔を上げた。


「けどなんで僕に、姉の真似フリをしてまで隠そうとしたんだ?」


 訊ねられた千夏は、「それは……」と再び言葉が出なさそうだったが、今度はすぐに続きの言葉を口にした。


「……わたしがお姉ちゃんの代わりを演じれば、お兄ちゃんが悲しい思いをしなくて済む、そう思ったの。そんなことしても意味ないのにね……」


「そんなことしなくても、普通に教えてくれれば……」


 だめだよ、と千夏は周の言葉を遮る。


「だってお兄ちゃん、お姉ちゃんのこと好きだったから」


「……」


「ずっとお姉ちゃんのこと目で追ってて。好きなのバレバレだったよ? たぶん、ほとんどの人が知ってる。お姉ちゃんに関してはわからないけどね」


 千夏にそう言われ、若干恥ずかしくなった周は千夏から目を逸らしてしまった。


「——わたしはそんなお兄ちゃんのことが、大好きだったの」


 やわらかな笑みを浮かべる千夏のその様子は、若干、涙を堪えているように見えた。


「お姉ちゃんを見てるときのお兄ちゃんのが好き。お姉ちゃんと喋ってるときにたまに見せるお兄ちゃんの笑顔が好き。お姉ちゃんのことが好きなお兄ちゃんの横顔が好き。だから、お姉ちゃんの代わりを演じるのことは、わたしのためでもあるの。だけど、今日一日、お姉ちゃんとしてお兄ちゃんと接して嫌と言うほど実感したよ」


「え……?」


「お兄ちゃんが、まだお姉ちゃんのこと好きだってこと。お姉ちゃんは、幸せ者だね……」


 千夏はえへへ、と笑みを浮かべてみせた。


 だが、その笑顔は、まるで無理矢理に張り付けたような笑顔のように思えた。その証拠に、今にもその笑顔は剥がれ落ちそうだった。


 そんな千夏に、周は心の底から思ったある言葉をかける。


「ごめんな、千夏」


「え……? なんでお兄ちゃんが謝るの? わるいのは、お兄ちゃんのことを騙すような真似をしたわたしの方だよ……」


「だからだよ。気を遣わせて、ごめんな」


 半開きになった千夏のくちびるが小さく震える。


 そんな千夏の頭の上にそっと周は右手を乗せ、優しく撫でる。その瞬間、千夏の笑顔が剥がれ落ち、瞳からは涙が零れた。ぽたぽたと頬を伝うその雫を千夏は一生懸命に拭い続ける。


 だが瞳から溢れるその涙は、なかなか止まらず、周はその間そんな千夏の頭を優しく撫で続けた。


「……ねえ、お兄ちゃん」


 呼ばれた周は右手を引っ込め無言のまま、千夏の次の言葉を待った。


 顔を上げた千夏は、周の目をまっすぐ見詰める。そして今度は張り付けたような笑顔ではなく、千夏本来のかわいらしい笑顔を浮かべてみせた。


 だからだろうか。


 何か決意が籠ってるように見えたのは。


「わたしはまだ、お兄ちゃんのことが好き」


「そうか」


「お兄ちゃんもまだ、お姉ちゃんのことが好き?」


 その質問に、周は一瞬頭を悩ませる。


 千春と疎遠になってから今日までずっと、千春に対して好意があったかを問われると、そうではないと答える方が正しい。


 だが、今日一日こうして千春とそっくりな千夏(彼女)と過ごして実感した。


 自分はまだ、千春のことが好きなんだと。


 だから、千夏のその質問に対して周は、


「ああ、好きだ」


 と答えた。自然と『好き』という言葉が口から出た。


「だよね。けど、それで良いや。その方が良い」


「……?」


「わたしが、お姉ちゃんのことを諦めさせてあげる」


 言いながら、千夏はすこし背伸びをする。千夏の顔がどんどん近付いてくる。


 そして、次の瞬間。それは(・・・)一瞬だった——


 突如、周のくちびるに驚くほど柔らかな感触が伝わってくる。それに加え、微かに甘い匂いが周の鼻腔を擽った。


 背伸びをやめた千夏は、すこし頬を赤く染め、恥ずかしそうに周から目を逸らした。


「これが、わたしの気持ち。お兄ちゃんには、わたしのことを好きになってもらうから。覚悟しててね」


 その告白は、周にとってなんとも反応に困るものだった。だから周は、千夏の告白に対してうんともすんとも返せなかった。




 しかし周には、千夏の告白に真剣に向き合う必要がある。


 千夏が千春()を演じていたことに関しては、気を遣わせてしまった周に責任があった。だけど、今の周には、目の前の千夏(彼女)が千夏として見れていない部分があった。その証拠に、今なお千夏に、千春の面影を重ねて見てしまっている。


 だからいつか、目の前の千夏(彼女)を、千夏として見れるように——


 そして、千夏がしてくれた告白に対して、ちゃんと返事が出来るように——

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