彼の実家に誘われて
「今年の年末年始は俺の実家で過ごそう」
彼にそう言われて私は舞い上がっていた。
付き合ってもう1年になるけれど、彼の家族の話は聞いたことがなかった。
向こうから話さないので聞いちゃいけないのかなーと思って遠慮してた。
一度、私の父がやってるおでん屋(父は飲兵衛で芸術系の大学出たくせにおでん屋、つまり赤提灯の飲み屋やってるおっさん)に無理やり連れて行って、紹介した。
でもその時も、父と和気あいあいと楽しんでいたようにみえたけど、彼は自分の親の話はしなかった。
飲み屋商売で人の触れちゃいけないところは見る目のある父が、彼に家族の話を訊こうとしなかったってことは、そういうことなのかなーと、小学校のころから酔っ払い相手に店番して空気だけは読める私は、思ったりもしていたのだ。
なので、一週間も実家に誘われてしまって、スーツケース片手に彼と駅で降りた時には、緊張もしていたがすっごくワクワクしていた。
タクシーで向かう途中に、この辺りが温泉街だという話とか、たくさん旅館があって賑わっているという話をしていたが、止まったのが駅からかなり離れてはいたが、わりと大きな旅館のエントランスだったのが驚いた。
もしかしたらボンボンの玉の輿?と、スーツケースを預ける彼に、番頭さんらしき人が「おかえりなさい」と挨拶した時は思ったものだ。
入り口をくぐると女中さんも「お帰りなさいまし」と挨拶してくれて、私と彼は部屋へ通された。
中は畳敷でこたつもあるごく普通の旅館の部屋だった。まあ、普通よりちょっとは豪華めだったかな。
テレビにはゲーム機や録画機材も付いていた。眺めのいい窓辺には旅館によくある板間があったが、そこに向かい合わせの藤の椅子とテーブル以外に、端の方にシンプルなパソコンデスクが置いてあって、漫画と文庫本が数冊あった。
なんとなく家っぽい雰囲気がするのも確かで、ここがどういう部屋なのか把握しかねたけど、まあ彼がそのうち説明してくれるだろうと思ってた。
旅館が実家だったら、彼の私室もその一部屋を使ってるのか、たまたま何かの事情で元々の彼の部屋が使えなくて、里帰りだけここを使うのか、いろいろありそうだったからだ。
「まあ。潤ちゃんおかえりなさい」
私たちが部屋で荷物を落ち着けて、こたつに座ってお茶でも飲もうかと話していたときに、女将さんらしい女性が入ってきて彼にいった。
「うん、母さんただいま。今年もまた帰ってきたよ」
「あらまあ、丁寧な挨拶して。彼女さんがいるから?」
と女将さんがわらって私をみるので、居住まいを正して名前を名乗った。
彼は、「そう、彼女だよ」と言ってくれて、それはとてもうれしかった。
「仕事はどうなの?大変じゃないの?」「うん、なんとか今年は休みがとれたんだ」「あらよかった」
楽しそうなふたりのやりとりを私は笑顔を作って聞いていた。
最初は気づかなかった。でも聞いているうちに引っかかってきた。
彼と女将さんのやりとりはなんだか変だ。
もちろん親しげな雰囲気はあるけれど、言葉遣いや距離感が、どう見ても本当の親子って感じじゃない。
私だったら実家にかえったら、余計な説明の前に今日のご飯とか飲兵衛親父の最近の酒の好みとか、買ってきたお土産の自慢とかどうでもいいことを話す。
男の人が母親に話す時はこんな感じなんだろうか?
でもそれにしても、家族にはさらけだす個人的な顔ってもんが全然ない。
特に、同じ女性であるこの女将さんからそれを感じない。
「じゃあ、またあとでご飯持ってくるから、それまでゆっくりしてね」
と言って女将さんが出て行ったあと、私はよっぽど事情を聞こうかと思ったが、結局聞けなかった。私にはわからないような複雑な事情があるのかもしれない。
継母なのだろうか?それとも養子とか?子供がいない家庭で財産があったりすると、兄弟の子を養子にとるなんて話も聞くことはある。
気にはなったけれど、顔に出さないようにして、彼にきいてみた。
「あれが、お母さん?」
「ああ。母さん。いいところだろ?ここ。連れてこれてよかったよ」
そう彼に言われては何も言えない。
そのあと温泉にはいり、テレビを見ているうちに食事が運ばれてきた。
女将さんがまたきてくれて、「潤ちゃん、今日のご飯はあなたの好物を作りましたからね」とテーブルに並べてくれた。
お刺身と鍋が付いていたのは旅館ぽかったけど、それ以外はナスの炒め物にきんぴら、芋の煮物、なめこの味噌汁、干物にご飯。
それを彼は嬉しそうに見て、「やっぱり実家が一番だな」とご満悦だ。
女将さんは彼にビールのお酌をして、ひとしきり世話を焼いたあと、「じゃあ母さんいくからあとは彼女さんにやってもらって」
と私に笑いかけて出て行った。
そのそぶりがとても自然だったので、私はさっきのは私の思い違いかな?と食事を楽しんだ。
モヤモヤはしていたけれど、初日はそのくらいですんでいたのだ。
私が傷ついたのは、次の日の朝。
早朝、まだ朝ご飯の前、エントランスの売店までいつも飲んでいるビタミン入りの飲み物を買いに行ったときだった。
入り口から一人の男の人が入ってきた。旅館のお客さんだ。
そして、入り口で荷物を受け取った女中さんが言ったのだ。
「おかえりなさいませ」
私たちが言われたのと同じ言葉。
私はどうしても気になってしまって、その男性と女中さんの後をつけていった。
男性が案内された部屋の廊下の脇にある庭が見える休憩スペースに座ってスマホを見るふりをして待っていると、女将さんがやってきた。私は静かに後をつけ、中に入る女将さんの声が聞こえるまで近づいて、男性の部屋を開け入っていった彼女が開口一番こういったのを聞いた。
「あら、たけちゃん、おかえりなさい」
「どういうこと」
私は彼にスマホを突き付けた。
『実家帰りプラン』
そこにはこの旅館のサービスが書いてあった。調べたら疑うようで彼に悪いと思って、昨日調べなかった私がバカだった。
『事情が会って帰れない、今はもう実家がない、様々な事情で里帰りのできない皆様、ぜひこの『実家帰りプラン』で我が家に帰ってきてください。女将はあなたのお母さんです。仕事の話、恋愛の話、なんでも聞きます。ご飯は家庭の手作りを感じさせる懐かしいメニュー。ゲーム機オプションあり』
「ああ、やっぱり気付くよな。説明しなくてごめん」
彼が大して悪びれないのが余計に腹がたった。
「何か事情があるんなら、こんなことまでして無理に家族を紹介しようとしないでよ。意味わかんない。言ってくれたらそれでいいのに。こんな旅館のプランで騙そうって信じらんないよ」
頭に血が上っていた私は、彼の言い分など聞かずにぶちまける。
「騙せると思ってるのがむかつくよ。それに、私の里帰りぶち壊して。何考えてんの?こんなとこ来るくらいなら、実家で年越ししたかったよ。ああもう。そうか、まだ31日だもん、今から帰るね、私」
私は全てがショックで、一刻も早くここから立ち去りたかった。
話を聞く気にもなれない。
どんな事情があったって、騙すことはない。騙せると思うのが腹たつ。
そういう男を好きになった自分が許せない。
父と違って真面目そうなところが好きだったのだけれど、私には酔っ払いのだらしない男が向いているのかもしれない。父は飲兵衛で仕事も適当だし私にたいしたことをしてくれないけど、嘘はつかない。
荷物をまとめる私に彼が何か必死に話すが聞こえない。
扉を開け、私はズンズンと歩いた。
彼は私の手を掴み、「待って」というが、なぜ待たなきゃいけないのか。私はそれを振り払う。
食事ができた、と私たちを呼びにきたらしい女中さんを押し除けて、私は廊下を進んでいった。いつの間にか目には涙が溜まっていて、堪えるのが必死だ。
こんなやつに涙を見せてたまるか。
彼が私を呼ぶ大声が廊下にひびき、廊下の先でほかの女中さんが慌てている。
そして、誰かが呼んできたのだろう。女将さんの姿があった。
私が無視して横を抜けようとすると、彼女はぐいと体で遮った。
「邪魔しないでよ」
「ごめんなさい。でも、今のあなたをそのまま返すことはできない」
「なんですって?この旅館は客を閉じ込めるの?ふざけないで」
女将さんは首を振る。
「そうじゃなくって、私は潤一の母として、恋人のあなたを、勘違いしたまま返すわけにはいかない」
「母ですって?勘違い?」
私は頭がどうかしそうだった。どこまで、どこまで人をバカにすれば気が済むのだろう。
「ふざけないで!!」
叫ぶ私を女将さんが優しく抱きしめる。そして私にいう。
「本当にごめんなさい、でも、ほんの一分、一分でいいからこっちにきて、私の話を聞いてくれる?」
「一分?ほんとね」
こんな茶番で怒ったり泣いたりさけんだりするのがバカらしくなってきた私はそういった。
そして、後ろに立っている彼にいう。
「一分たったら帰る。もう二度と連絡しないで」
悲しそうな顔で彼はうなづく。
女将に手を引かれてたどり着いたのは『大広間』と書かれた部屋だった。中では話し声と、食器のかちゃかちゃぶつかる音。
旅館の客が朝食のために集まっているのだろう。こんなところに連れてきて、何を考えているのか。
人がいるとわかった私は振り乱した髪を少し整え、顔もなるべく普通に取り繕う。
女将が扉を開くと、客たちは一斉にこちらをみた。
「おーっ、潤、こっちこいよ。一緒に朝飯食おう!」
「潤きたー。お姉さん待ってたんだぞ」
「遅いぞ潤、お前が彼女連れてきたって母さんがいうから、みんな首長くしてまってたんだぜ」
「わ、まさかそれが潤の彼女?」
たくさんの笑顔と笑い声、親しげな呼び声が私たちを出迎える。
「はい、そうです」
後ろにいた彼が前にでて、私の横に並び笑顔で答える。
「へえ、美人さんだ!」
「どうやって捕まえたの?」
「やるじゃないか、潤」
「さあ、彼女さんも、こっちで一緒に朝飯食いましょ!!」
年齢も顔も性別もバラバラだけど、みんな彼を心から迎えている。
まるで本当の家族のように。
「母さん、何してんの、みんなで食べましょうよ」
「ほらほら。ご飯は俺がよそうから、たまには休んでよ」
「はいはい」
女将さんは答え、私を見た。
「あなたがどう思ったかわからないけど、みんな私の子供たちよ」
ワイワイと談笑する楽しそうな人たち。
朝私が見た男性も、中に混じって話をしている。
「ここには、いろんな事情で里帰りができない方達が、毎年年越しをするために集まるの。20年まえ、はじめたときは、もちろん旅館のサービス、ちょっと変わったプランのつもりだった。
でもね、一年目から、みんな、自分がやりたかった年越しがようやく出来たって喜んでくれて。それから大勢の人が、毎年繰り返しきてくれて、お客さん同士も本当の家族みたいになっていって」
そして女将さんは彼を見る。
「潤ちゃんは、もう10年もここに来てくれてる。彼の両親は彼を捨てていなくなったの。ごめんね、潤ちゃん、彼女に隠していたのね、きっとあなたに迷惑をかけたくなかったからでしょ?
天涯孤独だと打ち明けることは、相手にものすごいプレッシャーを与えるものね。もし自分が彼を突き離したら、彼はどうなってしまうのか、とか考えるでしょ?恋人って。相手が優しくていい人であればあるほど言えないものよ。それが相手を縛りつける武器みたいになっちゃうから。
だから彼は私を母だと紹介したかった。そしてそれは嘘じゃない」
女将さん、いや、彼の母は、私の手をとって握るといった。
「あなたが騙されたと思ったのもわかる。でも、この旅館で年越しをするお客さんは全員、本当に私の子供達、家族なの。だから、潤ちゃんを許して上げて。ね」
「何をしんみりしてるんですか?こっちでみんなではなしませんか?」
「そうですよ」
男性が二人近づいてきて私にいう。
「潤のやつ、どうですか?迷惑かけてませんか?兄としてはこいつは真面目すぎると思っているんで、もしかしたら固すぎてはなしが通じなかったりが心配なんですが」
「そうだぞ、もうちょっと融通きかせろ?彼女さんにはちゃんと合わせるんだぞ」
彼の頭を、本当に昔からの兄弟のようにぐりぐりとこづき、彼も見たことのないくったくのない笑顔で答えている。
「あら。彼女さん泣いちゃったじゃない」
「何やってんだよ潤!」
周囲が心配して大騒ぎのなか、私は安心と嬉しさで泣いていたのだ。
彼は嘘を付いていなかった。彼は本当に家族に私を紹介してくれた。
「あの、本当に融通聞かなくて、ごめん。自分はここが実家だとおもってるから、その、変に説明したくなくって。嘘をついたと思ったらごめん、そんな気はなかった」
「いいよ。私の勘違いだった」
私は彼に答えた。
「あなたの実家、賑やかでいいところだね」
彼が笑った、今までみたどの笑顔よりも、隙だらけの、家族にだけ見せる笑顔だった。