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プロローグ:古典は嫌い、この教室も嫌い。そして異世界へ。

「……知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る……」

「請泉さん、もうすこし大きな声でお願いできる?」

 私は、古典教師からふと掛けられた言葉に委縮し、声が詰まってしまう。横目で周囲を見渡すと、私のひるんだ様子が面白かったのか、目についたクラスメイトの口端が、馬鹿にしたように歪んだのが見えた。くそ、馬鹿にしやがって!!お調子者の雁島なんかは、さっきまで寝てたくせに「聞こえませ~ん」なんて言いながら椅子の上でふんぞり返っている。

 だったら最初から当てなきゃいいだろ、「今日は27日だから、出席番号の下一桁が7の人~」って、素直に27番を当てりゃいいだろうが!!

 心の中で悪態をついているが、饒舌な頭の中とは裏腹に、心臓がうるさくて、冷や汗が首を伝って、声はなかなか音に変わらなかった。

「……ま、た知らず、仮の宿り、たがために」


キーンコーンカーンコーン


 どうにか読み始められたと思ったら、すぐに昼休みを告げるチャイムが鳴った。

「はい、それでは以上ね。次回の授業は『知らず、生まれ死ぬる人』のところからにしますので、現代語訳と品詞分解の予習をしといてね。」

 起立、気を付け、礼。ありあとしたー。気の抜けた挨拶が終わり、カチャカチャとクラスメイトが教科書や筆箱を片付けだす。音読が有耶無耶のまま終わったのに、安堵と少しのやるせなさを感じながら、弁当箱をカバンから取り出した。

 スマホの画面を見ながら、弁当箱をつつく。友達と笑いあいながら食事をとるクラスメイトが憎かった。しかし、小学生時代や中学生時代に、あからさまに嫌がらせをしてこないだけ、こいつらはましな部類だった。


「桜も散っちゃったねー、」

「ねー。でももうすぐゴールデンウィークだよ!」

「うわ榛媛は余裕だねー、受験生なのに遊ぶ気満々?」


 あははは、はは、何が楽しくて笑うことやら。本当に楽しそうでなによりです、はい。

 胸に渦巻く不快な気持ちが澱になって溜まってきたら、私は右斜め後ろの席を見る。その席には誰も座っていない。一番前の列の一番窓側の席を見る。その席にも誰も座っていない、が、何も机の上に載っていない右斜め後ろの席と違って、机の上に教科書とノートが授業を受けたままの状態で放り出されている。おそらく村仁の好きなイチゴ牛乳を購買に買いに行く命令が下されたのだろう。パシリの新祓。私と同じ最底辺カーストの一人。


 ガラ……教室の後ろから音が聞こえる。普段なら気に留めない教室の扉を開ける音が気になってふと振り返ったのは、教室の雰囲気が変わったように思えたからだ。


 「ねえ、あれ……」

 「うん、逸河じゃん、久しぶりに見た……」


 本当だ、逸河だ。不登校の逸河。いじめられっ子の逸河。右斜め後ろの席の主。


 「……わ、忘れ物……した……から、忘れ物、忘れ物」


 ぼそぼそと自分がここにいる理由を呟きながら、教室の後ろのロッカーを漁る。逸河のロッカーは1年前まではごみ箱のように扱われていたが、今は逸河自身の整理整頓能力由来でぐしゃぐしゃとプリントやめったに使わない選択授業の教材等が詰め込まれている。

 今では逸河のロッカーの整理整頓ができていないのは純粋に逸河のせいだ、と言える。2年生の2学期に逸河一家が村仁に対していじめについての内容証明を送り付けた事件が起こって以来、逸河には触れるな、という雰囲気となっているからである。

 村仁は内容証明郵便が送られてきても特段動じた様子を見せることなく、ただし次の日からは逸河なんて存在はいないものとして扱った。ほかのクラスメイトもそれに従った。私はその様子を見て、幽霊生徒が一人増えたと喜んだ。私と同じように、いるのにいないように存在を薄められるのだと。しかし逸河は学校から逃げた。正確には、不登校気味となった。

 4月始業式にクラス替えの張り紙を見て、逸河と村仁がまた同じクラスになったことを知って苦笑した。あまりに配慮がなさすぎる学校に。私もまた2人と同じクラスになってしまった。でもまあ、村仁はともかく、逸河が同じクラスであることに文句はなかった。空の机を見るだけでも、『私だけじゃない』と、そう思えるから。


 もたもたとロッカーを漁る逸河から、意識をスマホの画面に向ける。学校でのスマホ使用が防犯や災害対策とのことで今年から許可されて助かった。3月までは私は食事を済ませると、ひたすら机に突っ伏していた。スマホの画面には、R・O大学の偏差値情報が映し出されている。文学部・65、経済学部・67.5、法学部・67.5。はいはい、高い高い。そう思いながら先日の模試の偏差値を思い出す。52.5。到底届く数値ではなかった。今から本気出せば届く?いや無理だろ、無理……。

 私は早くこの教室から抜け出したかった。できれば、誰もが「請泉」を思い出すような誇り高き達成をした後に。言い換えると、いい大学に行きたかった。誰もが知る私立の雄のR・O大学に行けたら、お惚けクラスメイト共もさすがに私を思い出すだろう。私の存在を無視できなくなったクラスメイトの歯ぎしりを聞きながら、赤レンガの建物が美しいキャンパスを歩けたらどんなに気分がいいだろうか。ただ、実際のところ、それは夢物語でしかなかった。偏差値は10以上足りない。この自進高等学校(本当の名前だ、念のため。自称進学校の略ではない。実質は自称進学校であっても。)に与えられたR・O大学の推薦枠はたったの2枠だ。

 この枠を狙っている人間は多い。今息を切らせながらイチゴ牛乳を抱えて帰ってきた新祓も、その一人だ。この前日直の時に集めた志望調査票に記載があったのを見た。「盗み見るつもりはなかった」というと嘘になる。がっつり全員分見た。ライバルを洗い出すために。この自進高等学校のレベルで、実力でR・O大学に届き得るのは、理系特進のAクラス・文系特進のDクラスの生徒ぐらいである。そのほかの一般クラスでありながら、志望調査票にR・O大学を挙げる人間は、よほど夢見がちなバカか、推薦枠を狙う者だけだ。

 当然新祓だけではない。今イチゴ牛乳の空箱を新祓にぶつけている村仁も、お調子者の雁島も、村仁の彼女で「かわいそぉ」とかなんとか言いながら村仁にしなだれかかっている枝折も、さっきから私の横の席でゴールデンウィークの計画をにこやかに話している榛媛も、みな推薦枠を狙っていた。他の一般クラスも当然同じ状況だろう。また、特進クラスでありながら推薦で楽をしたい人間も、数人はいるかもしれない。


「あ、あったー、あった」

もはやクラスメイトからの注目の枠外となった逸河は、誰に知らせているのか相変わらずぼそぼそと呟きながら、教室の扉に向かったのが見えた。と



ーーーーーっ、


衝撃。爆音。熱い!!!

あ、あ、あつい!!!!!


床に走る亀裂、崩れ落ちる床。え、光? 光が床面を走って模様を作る?

手が、あつい、体がいたい、あつい、あ、手、だれのて?しろい?

つかまれた?いたい、あつい、たすけて、たす、て






 は、と目が覚めた。心臓がバクバクする。体全体が寝違えたかのように痛い。目を開けると、青い空が見えた。

「気がついた?えっと……請泉、さんだっけ?」

 身を起こして隣にいた人を見る。

「に、新祓……さん?」

「うん」

 隣には、煤けたブレザーを着た新祓が立っていた。

「え、何?どんな状況?」

 周りを見渡す。レンガ造りの建物がぐるりと周囲を囲んでいる広場のような場所の隅のほうのベンチに寝かされていたことがわかった。

「どこ?ここ?」

「僕も知りたい。僕はそこの石畳の道の先のほうで倒れていたみたい。クラスメイトが近くにいるかもと思って見渡したけど、知り合いは誰もいない。知り合いじゃなさそうな外国人みたいな人は何人か見かけたけど。」

 新祓も困惑している様子だ。


「とりあえずこういう状況に置かれたときに試してみようと思った『ヒール!』とか、『ファイヤ!』とか『ステータスオープン!』とかの呪文を唱えてみても、何も起こらない。」

「は?」

「いや、目を覚ましたら異世界でした~っていうのが、最近小説や漫画で流行ってるから。請泉さん、知らない?こういうの。」

「あんまり。」


 本当は少し知っていた。少しジャンルが違うが、メアリー・スーものを好んで読んでいた。でも、お互いスクールカースト最底辺ということしか知らないこの関係性で、趣味を開示するのは私は恥ずかしかった。新祓と違って。

「結構有名だと思うんだけどな、このジャンル。日常から違う世界に飛ばされた人間は、チート能力に目覚めて神に祝福される、っていうのがセオリーなんだけど。まあ、何も起こらなかった。わかってたけど。」

「そう」

「で、とりあえず周囲の状況を探ろうと思って、そこの道から歩いてきたら、広場に請泉さんが倒れてたから。とりあえず、このまま放置してたら強盗とか暴漢とか来たら危険かなと思って、一応ベンチに運んで、しばらく目覚めるのを待ってた。」

「そう、わかった。」


ありがとう、というべきなのだろう。しかし、小学生のころから、この言葉は特にうまく言葉に乗せられない。

「……あ、……」

「で、どうしようか、どうする?請泉さんは。」

「え?……わからない。」

 分かるわけがない。第一、状況を呑み込めてさえいないのだ。

「とりあえず僕は図書館でも探そうかな。じゃあまた。」

そういってすたすたと歩きだしてしまう。え、普通女の子をこうためらいもなく置き去りにするもんなの?いや、確かに女の子というにはルックスが不足しているけど。


「ちょ……ま……」

 まって、の一言が言えないまま、新祓は道の先に消えた。昔から、とっさに大きな声を出す、ということが苦手だ。心細い。道行く人を見渡しても、誰もこちらを見ていない。誰にも関心を払われていない、ということには慣れ切っているけども、このような状況での無関心は堪えた。

 私も、動き出さなくては。とりあえず、この中世ヨーロッパのような、それでいてどこか張りぼてのような町を見て回ってみよう。町のどこかに案内板か地図があるに違いない。読めるかはわからないけど。英語も得意じゃないし、第一英語圏かもわからないし。でも地図記号があるかもしれないし、図面の配置で何か読み取れるかもしれない。

 誰も頼れない。誰も助けてくれない。こんなわけのわからない状況の中でも、自分で何とかするしかない。


無能力のまま異世界に放り出された請泉。残念ながら、これからも無能力です。

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