3.
「あっつう!」
「だから言ったんだ、トマト一口は確実に火傷する。」
しわしわになったプチトマトをフーフー冷ましながら、先にやられたディーノを鼻で笑った。コイツなら注意しても絶対にやるだろうなと思っていたが、見事それが的中したようだ。俺は汁が口の中ではじけ飛ばないように上手に吸いながら食べる。
するとその時背後で聞き慣れた声が聞こえた。
「こんにちは。あら、何か楽しいことやってるじゃない?」
「あっ、こんにちは、何かすみません……」
俺が皿を置いて振り返ると、そこにはこのあたりに住んでいて、この店を父の代から贔屓にしてくれている、ふくよかでエネルギッシュなマダムだった。腕にはいつもの茶色い買い物かごを持っていて、今日も買いに来てくれたらしい。
「オスカー君にも友達がいたのね、安心したわー。」
「あはは……」
いつもパッとしないし、暗いし、友達がいないと思われていたんだろうか。それはちょっと傷つく事実だな……
「こんにちはおねーさん、オスカーの友達のディーノです!」
「あらお姉さんだって、やだ、口が上手いんだから!」
ディーノは相変わらず女性を味方につけるのが上手い。俺は何故かマダムから腕をバシバシ叩かれた。これが冗談でも結構痛い。
「というか良い匂いね、これも買うことが出来るの?」
「えっとそれはですね……」
マダムは俺達が、というかディーノが勝手に焼いている野菜たちを指さした。何といったらいいんだろう。売り物では無いんだが、ただ遊んでいるだけだと思われたくも無い。ちょっと迷う事があると長考に陥って咄嗟に答えることが出来ないのも、昔からの悪い癖だった。しかしオスカーは人懐っこい笑顔でこう言う。
「ごめんね、おねーさん。これ僕がオスカーから買ったものなんだー」
「あらそう、じゃあ私も今日それらを買って帰ろうかしら?」
マダムは何も気にしていないように店の奥に入って行ったので、俺も慌てて後を追う。結局さっき店頭で焼いていたトマト、ナス、ピーマン、トウモロコシその他にもオクラやカボチャなど、いつもより増し増しで買ってもらった。
「美味しそうだったらついいっぱい買っちゃったわ。」
買い物かごいっぱいに入れても軽々と持ち帰ろうとするあたりが、腕っぷしが強い理由だろう。
「そう言えば焼くとき何かつけた方が美味しくなるとかある?」
「そうですね、ディーノはそのままが美味しいって言って、店頭で焼いているのは本当に洗っただけなんです。」
「そうなの?」
彼女はそれを聞いて、信じていない訳では無いが、いまいちピンと来ていないような表情を浮かべた。何にでも手を加えた方が美味しそうに見える。その考えはオスカーにも分からなくはない。
俺が「そうです」と言うように頷くと、何故かディーノもレジの方に寄ってきた。
「オスカーは産地とか新鮮さにこだわって仕入れてるから、そのままでも十分美味しいんだよね。」
「……らしいです。」
ディーノは、「俺が言うから間違い無いよ」とまたもや根拠のない事を付け加えた。
「そうなの……」とマダムは呟いた。
「嫌ね、やっと子育てが終わり始めたと思ったら今度は孫が出来たのよ。子供も七人だから勿論孫も多いわけ。今も家にはいっぱい遊びに来てくれてるの。」
「それはそれは……」
一見幸せそうな話だが、それを話すマダムの顔はちょっと暗かった。
「賑やかなのは良いんだけどね、私も丈夫とはいえ歳だし体力の衰えがきつくてね……。」
彼女はいつも元気で明るい印象しかなかったので、そういった悩みがある事に驚いた。そりゃあ人間生きてれば悩みの一つくらいあるだろう。驚いたのはそこでは無く、俺がそのあたりまで考えられていなかったと気づいた所だ。
「でもそうね、バーベキューだったら洗うだけでしょ。それに皆自分で焼いてくれるかも!」
マダムはそう笑ってまた俺の腕をバシバシと叩いてきた。勿論痛い。しかし微塵も嫌な気はしなかった。
「この店の跡継ぎは、オスカー君じゃなくてディーノ君の方が向いてるんじゃない?」
「いや、それは、そうですけど、言わないで下さいよ!」
ちょっといい感の雰囲気になって来たと思ったのに!
「ウソウソ、また買いに来るわー!」
「また御贔屓にー」
彼女は買い物かごの重さを感じさせない足取りで商店街の人波にのまれていった。
「いやー、パワフルなおばちゃんだったな。」
ディーノの「おねーさん」呼びは何だったのか。ちょっとずる賢いのも昔からだった。
俺はディーノにそんな事は無いと分かったうえで一つ聞いた。
「もしかしてこうなると分かってバーベキューしようって言ったのか?」
「いやまさかあ。」
ディーノは「お前アホか?」と言いたげな目で俺をじっと見つめた。