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エッセイ

勝手にイメージソング

作者: 仲山凜太郎

 私は昔、アニメのシナリオライターになりたくていろいろ勉強していた。そのせいか、私は小説を書いている時、そのシーンが頭の中で映像として浮かび上がってくる。というより、そうして浮かんだ映像を文章化するのが私の主な執筆方法である。

 その影響か一人称の小説が書けない。絵にしづらい、絵にしても栄えない設定はほとんど作らない。竜宮城なんて絶対に出せない。何しろ「絵にも描けない美しさ」なのだ。


 そんな私に、最近ある現象がよく起こる。

 作品を書いていて、今日はここまでにするかと保存すると、自然と決まった歌や音楽が流れる。まるでその作品のエンディングテーマのように。

 ちょっと恥ずかしいが具体例を挙げよう。私が投稿した作品で「遺産遊戯」というのがある。私が現在書いているメイン作品「ベルダネウスの裏帳簿」シリーズの一編だ。

 書き上げるのに1年ほどかかった長編なのだが、いつ頃からか書き終えて保存すると、自然に茶木みやこの「あざみの如く棘あれば」が頭に流れるようになった。ご存じの方もいるだろう。テレビドラマ「横溝正史シリーズⅡ」のEDテーマである。それだけではなく、いつの間にか歌に合わせて登場人物達の姿が白黒のイラストで浮かぶようになった。まるで本当のEDのように。

 音楽の時などは勝手に自作を頭の中でアニメ化したりする。アクションシーンなどは、アニメやヒーローもののアクションBGMが良く流れる。

 重傷だ。書いていてすごい恥ずかしい。これを読んでいる人達が一斉に引いていくのが目に浮かぶ。しかし、どんなに恥ずかしいことでもそれを事実として受け入れてこそ前に進めるのだ。と、ちょっと格好良いことで自分を納得させて続きを書こう。

 仕方がないので、私は勝手にこの歌を遺産遊戯のテーマソングに決めた。頭の中で勝手に決めている分には著作権侵害には当たるまい。

 歌だけではない。先ほど、私は頭の中で映像化したものを文章化すると書いたが、正直言って、そうした映像はかなりぼやけている。アクションシーン以外はほとんど紙芝居状態である。挿絵といった方がいいかもしれない。

 その挿絵もやはり既存の漫画家やイラストレーターの絵で再現される。これらの脳内挿絵は、作品ごとに画風が違う。この作品はこの人というように決まっているのだ。

 これも具体例を挙げよう。やはり投稿した作品で「見えない幽霊~へっぽこ夫婦の幽霊綺譚~」というのがある。私の中で、この作品のキャラクター達は4コマ漫画で知られるおーはしるいという人の画で再現される。もっとも、こちらの方はいくらか納得している。というのも、この作品の主人公・井頭夫妻はおーはしるいの代表作「夫婦な生活」の鈴木夫妻に強く影響されているからだ。

 唯一の例外は「声」で、アニメのシナリオを目指していたくせに私は声優についてはほとんど知らない。そのせいで、キャラの声だけはイメージが浮かばない。

 あの作品のあのキャラの声というようなイメージすら湧かない。情けない話だ。


 私は以前、このような勝手に自作品をビジュアル化することに抵抗があった。文章が完成ではなく、イメージビジュアルがなければ成り立たないような不完全なもののような気がしたからだ。

 それどころか「勝手に自作を脳内アニメ化して悦に浸っている気持ち悪い奴」と自己嫌悪する時もあった。自作を持ち上げるのに有名作品を利用しているだけではないかと思う時もあった。

 虎の威を借る狐ならぬ「有名作品の威を借る素人」である。実際には「有名作品の威に霞む素人」になってしまいそうだが。

 だが、今は違う結論を出している。

 そもそも物書きにとって、自作を発表すると言うのはどういう事であろうか?

 それは、自分の中で作り上げた作品のイメージを皆に伝えるということではないか。

 そこはどんな世界で、どんな人達が生きているか。どのように生きているか。

 世界の空気、人々の心、時の流れが紡ぎ出すそれらの姿。

 その中で生きていく登場人物達の勇ましく、哀しく、可笑しい生き様が織りなすドラマ。

 それを読者という他人に伝えることこそが自作発表ではなかろうか。

 それには、まず作者自身がその姿を明確にイメージする必要がある。自分の中でうやむやな形にしかならない作品を、どうすれば他人に魅力的に伝えられるというのか。

 作品を発表した際、よく出版社の担当から「あなたはこの作品を誰に向かって書いたのか、この作品で何を伝えたいのか」と聞かれたなんて話を良く聞く。それは、出版社側が作者にどれだけ自作に対してハッキリした強い、他人に訴えられるイメージを持っているかを訪ねているのだ。

 たぶん。おそらく。そうなんじゃないかな。

 そのイメージを作るためならば、既存の作品を利用したっていいじゃないか。他の作品をそのまま使うのはさすがにまずいが、自作のイメージ作りとして「●●(作品名)のような感じ」から入るのはけっして悪くはない。いや、作品のイメージ作りの入り口しては全然OKである。

 最初は誰でも真似から入る。どんな自作も、最初は好きな作品のパクリに近いのだ。

 しかし、最初がそうでも、話を作っているうちにその作品から少しずつズレていき、やがて胸を張ってオリジナルと言えるほどの独自性を持つようになる。

 漫画家などは、アシスタントをやっているうちにその先生の画風に強く影響を受ける。絵を見ただけであの漫画家のアシスタントをしていたなとハッキリ解る新人が、書いていくうちに少しずつその人独自の絵になっていくようなものである。


 そう思って、私は今日も書きながら脳内で勝手に既存の歌をイメージソングとして流し、既存の漫画家やイラストレーターの絵を脳内挿絵として描いている。

 何から何まで自分の力だけで作り上げる作品よりも、自分の力と他人の力を合わせて作り上げる作品の方が上であろう。

 だから私は、他人の歌や画を自作のイメージ強化に使うのを恥ずかしいと思うのをやめた。小説だって、表紙や挿絵に惹かれて手に取る人は多いのだ。

 しかし、あくまでも中心にあるのは私の作品である。

 私の作品は、私の好きな世界で、私の望むキャラが、私の願う生き様を見せている。

 私にとって最高傑作は、やはり私の作品なのだ。

 作家にとって何を読んでも「俺の作品の方が上」「俺だったらもっと上手くかける」と腹の中でうぬぼれることも、ちょっとは必要だと思うから。

 ちなみに、私がアニメのシナリオを学んだ講師はこう言っていた。

『他人の作品を読んで「この程度でいいなら自分でも書ける」と思ったら、その作品はお前の作品よりはるか上のレベルにある』


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