青春の香り
隣の家の椋木から蝉の鳴き声が聞こえてくると、夏が来たなぁと感じる。
朝からミンミンうるせぇんだよ。
伸介は部屋の机の上に出した置き鏡の前で、手櫛でガシガシと髪の毛をとくと、机の一番下の引き出しに隠していたAg入りの消臭効果のあるスプレーを、腋の下にたっぷりとかけた。
腋臭、こんなところまでオヤジに似るなんて最悪だな。
両腕を持ち上げて、腋の臭いをクンクンと嗅ぐと、よしと頷いて学生カバンを手に持った。
今日は化学と英文法と漢文か。
早く期末テストが終わらないかなぁ。一日にまとめて五教科ぐらいすればいいのに。
そんなことを思うのは、成績のいい伸介だけである。
二軒先の青い屋根の家の台所では、美乃梨が朝食のデザートのスイカを食べていた。
シンクに乗り出して、冷蔵庫の中で冷え切っていたスイカをシャクシャクと噛む。すると、歯に染みわたる冷たさが身体を震わせる。齧りかけたスイカからは、甘くて青臭い独特の匂いが立ち上っている。
もう、夏なのねー。
スイカを食べると、夏が来たなって思うわ。
口の中でより分けた黒い種をプップッとシンクに飛ばして、べとべとになった両手と口を水道で綺麗に洗う。
タオルで顔を拭きながらダイニングの壁を見て、美乃梨は焦り始めた。
ヤバい、もう伸介が来るかも。
美乃梨は学生カバンを開けて、もう一度、文具を確認すると、いつもより軽いカバンを持って、玄関に走り出た。
革靴に消臭スプレーをかけて、真っ白いソックスをその中に滑り込ませる。
これでよし、と。
「みぃ、行くぞー!」
「はぁい」
自転車に乗ったまま、長い足を住宅街のアスファルトの道の上について、伸介はかったるそうにハンドルに身を預けていた。
美乃梨は玄関の鍵を閉めて、庭から見える窓越しに掃き出し窓の鍵も確認すると、東側の車庫に走っていった。
「暑ちぃ、早くしろ」
「はいはい、ちょっとお待ちを」
美乃梨は制服のスカートのポケットから自転車の鍵を取り出して開錠し、ものすごいスピードでカバンを荷台にクルクルと取り付けた。
ゴムひもの埃っぽい匂いが、汗っかきの美乃梨の鼻をくすぐった。
「おまたせぇ~」
「ん。なぁ、ピヤリオドは関係代名詞、重視だよな」
「吉井先生は、完了形を出すと思うけど。だってうちのクラスで最初に過去完了形をやった時に、中学で習ったのとはここが違うって、えらく熱心に説明していたよ」
二人で自転車を走らせ始めてすぐに、伸介は今日の英文法のテストのことを尋ねてきた。
伸介が言っているピヤリオドとは、英文法を受け持っている吉井先生のあだ名だ。
鼻の横にえらく大きいホクロがあることから、代々そう呼ばれているらしい。先生もそれがわかっていて、英文を黒板に書く時には、ちょっと大きめのピリオドを書いて生徒サービス?をしてくれる。
「えー? 俺、関係代名詞しか復習してない」
「伸介はテスト勉強をしなくてもできるんだから、関係ないじゃない」
「関係代名詞だけに、関係ない?」
「ぷっ、バァーカ」
伸介と美乃梨はこうしていつもバカ話をしながら通学しているのだが、二人が通う高校が近づいてくると、歩いている生徒たちは二人に憧れの眼差しを向けながら、道を開けてくれる。
どうもこの二人は学年でも有名な美男美女カップルなのだそうだが、そのことにまったく気づいていない伸介と美乃梨にとっては、夏のにおいがちょっと気になり始めた、一日の始まりに過ぎなかった。