愛が重たい先輩、恋をしたくない後輩
真夜中、軽快な音と共にスマホのメッセージアプリにコメントが届いた。
寝入っていた私は、相手が誰かを確認してすぐに、このメッセージがどんな内容か想像できた。
「遅くにごめん。告白したら3日で振られた」
やっぱり。佑馬さんがこんな時間にメッセージを寄越すときは、決まって失恋したときなんだから。いい夢見てたのに、二度寝で続きが見れなかったら先輩のせいなんだから。
ブツブツ呟きながら、布団の中でスマホを操作する。
「またー? っていうか時間遅すぎるし。もう寝てたし。いい夢見てたし」
「またって言うな。起こして悪かったって。明日、いやもう今日か、昼飯食べよ。話聞いてくれ」
「もちろんおごりですよねっ?」
「美咲よ、お前は傷心の先輩に対して気遣いのひとつもないのか……2限の授業後に学食集合な」
「りょーかいです!」
最後のメッセージを送り終え、スマホをサイドテーブルに置く。真冬の夜は寒さが堪える。ぬくぬくの毛布を頭までかぶり、私は再び目を閉じた。
口元に浮かぶ笑みを抑えきれないままに。
◇ ◆ ◇
翌日は2限の授業が休講になったので、1限を一緒に受講した友達と別れ、早々に学生食堂へ移動する。
授業中ということもあって食堂内はガラガラで、私は窓際の眺めの良い席を確保できた。
寒々しいほど冬晴れのいい天気。空調がよく効いた室内と窓からの日差しで暖かく快適だ。
思わずふわぁとだらしなくあくびをすると、クスクスと笑い声が聞こえた。慌てて振り向くと、サークルの後輩が立っていた。
「なんだ、龍平かぁ。ちょっと笑い過ぎでしょ」
「だって間抜けな顔してるから。美咲さん、サボリですか?」
龍平って普段仏頂面だけど、こうして笑うとかっこよかったんだって改めて思い出すなぁ。間抜けと言われて腹立たしいから言ってやらないけど。
「違うわよ、休講になったの! 龍平こそどうしたの?」
「佑馬さんから連絡があって。美咲さんもそうでしょ? 俺は今日は午後からしか授業ないんだけど、図書館にも用があったから早めに来たってわけ」
「そっか、龍平も呼ばれてたのね。全く、いい迷惑よねぇ。告白して振られるたびに私たちに愚痴を聞かせるんだから」
「……俺はそうですけど、美咲さんはそうでもないですよね」
「え?」
「いえ何でも」
龍平はいつもの無表情に戻って私の隣に座った。
私と佑馬さんと龍平は、大学の同じテニスサークルに所属している。学年の違う私たちだが、帰りの方面が同じ縁でよく飲みに行ったり遊んだりと仲良くなった。
リュックサックから飲み物を取り出した龍平が、そういえばと口を開く。
「佑馬さんが振られた相手って、どんな人でしたっけ? 好きな人ができて、告白して、付き合って、数日で振られる、って流れを繰り返してるから、誰が誰だかわからなくなって」
「今回は佑馬さんと同い年の会社員。百貨店の化粧品売り場の販売員やってて、細身のナイスバディーな美人さん。合コンで出会ったのがきっかけ」
「ふーん。前の彼女もそんなタイプでしたよね」
「好みのタイプが一貫しているのよ。例の如く、佑馬さんが結婚前提にお付き合いしたいと熱烈アピールしたみたい。初詣に一緒に行くことになったって喜んでたから、そのとき告白したんじゃないかな」
「で、すぐに振られたと。どうせまた鬼のように連絡しまくったんでしょ。懲りないなぁ」
龍平の呆れたような言い方に、私は苦笑いしかでなかった。
サークルでの佑馬さんは頼りになる兄貴的存在で、程よく鍛えた容姿は整っていて、性格も紳士的だ。実家が裕福で、自身も親が経営する会社でアルバイトをしていて、一般の学生よりも潤沢な資金を持っていた。飲み会では余分にお金を出してくれることが多い。
おおらかで、優しくて、おまけに金持ちでかっこいい。
そんなモテる要素だらけなのに、何故恋人と長続きしないのか。
答えは明確。好きな女の子相手だと、絶対にお金を使わせず、欲しいものは何でも買い与え、相手の言うことには絶対に服従する代わりに、相手を強く束縛するから。
「彼女に尽くしすぎちゃうんだろうねぇ。好きだから心配になって、自分だけを見てほしくなっちゃう。そりゃあ相手は疲れるよね。でも、それでもいいって思える人も、いるとは思うんだけどね」
「こんな愛が重たい人を好きになるなんて、よっぽどの変わり者でしょ。貢ぐだけ貢いだんだから言うこと聞けって、モラハラもいいところだ」
「龍平は直球だなぁ。凹んでる今の佑馬さんには言わないであげてね」
私は困ったように笑うしかなかった。龍平はますます顔をしかめる。イケメンの不機嫌な表情って迫力があるなぁ……。
「ほら、そうやって美咲さんが甘やかすのも悪いんです。惚れた弱味だからって、ダメなところはダメだって、はっきり言わなくちゃ」
「うっ……!」
「佑馬さんは美咲さんの恋心に全然気付いていないんだから。今のままじゃ、愚痴でも何でも聞いてくれるただの便利な後輩ですよ」
龍平はキッパリ言い切った。私は目の前のテーブルにパタリと倒れこむ。
「うう、本当のことだから胸が痛い……変わり者の自覚も、あります……」
「ずっと聞きたかったんですけど、なんで佑馬さんなんですか? 佑馬さんに彼女がいても、どうして好きでいられるんですか?」
「うーん、気付いたら好きになってたからなぁ。あ、私にはこの人だって、思っちゃって。好きだから好き、ただそれだけで。理屈じゃないのよ」
「それがわからないんです。『好き』で全て済んでしまうのが。そんな訳のわからない感情で振り回されたくない。自分を失いたくない。だから俺は恋をしたくないんです」
龍平は吐き捨てるように顔を背けた。私は食堂の入口を見ながら、言葉を続ける。
「でも、悪いことばかりじゃないのよ? 好きな人がいるから毎日が楽しく過ごせるし、好きな人と話せるだけで幸せだし。そりゃあ付き合えたら嬉しいけど、側にいられるならそれだけでも十分だわ」
「相手が恋心に気付かない鈍い人でも?」
「鈍いからこそ、警戒されずに近くにいれるでしょ? ……あっ、佑馬さんだ!」
二限の授業が終わり、わっと人が食堂に雪崩れ込んできた。途端に騒がしくなる中、目当ての人物を見つけた私は、手を大きく振った。
なかなか気付かない佑馬さんにやきもきしていると、龍平は下を向いたままかすれた声で呟いた。
「どうしてあんな大勢の中から見つけられるんですか」
「んー、好きな人に対しての勘、かな?」
「……だから、恋なんてしたくないんだ」
「どうしたの?」
「飲み物なくなったんで、ちょっと買ってきます」
「うん、行ってらっしゃい。あ、佑馬さん気付いたみたい!」
力なく手を上げる憔悴した佑馬さんに満面の笑みを浮かべながら、硬い表情のまま早足で自販機へ向かう龍平の背中を密かに見送った。
ごめんね、龍平。私は佑馬さんほど鈍くはないんだ。
あなたの赤く染まった耳も、苦しげな切ない眼差しも、時折本音を覗かせる言葉にも、全部気付いているの。
ごめんね、龍平。私は安心しているんだ。
あなたが恋を自覚したら、私から離れてしまうでしょう? 私はあなたを手離したくないの。
ごめんね、龍平。私はずるいよね。
でも、私への恋心に気付かないふりをしているあなたの側は、とても居心地が良いの。
でも、私は佑馬さんが好きで。佑馬さんしか欲しくなくて。佑馬さんしか見ていなくて。
愛が重たい先輩、恋をしたくない後輩、ずるい私。
この関係性が崩れる日が、いつかは必ず来る。
それでも、今はまだこのままで。