33. 後悔とこれから
閉店前の薄暗い店舗に、本日幾度目かの溜息が落ちた。
「そんなに後悔するくれぇならついて行けばよかったじゃねぇか」
彼が元の世界に戻ってから数日、ずっとゆかりはこの調子なのだ。心底呆れた様子で修司が苦言を呈す。
朝起きれば二人分の珈琲を用意し、昼食となれば二人分作りかける。共に過ごした期間は一夏の間だけであったが、彼の存在はゆかりの生活に根強く影響を及ぼしていた。
「や、無理無理。ついて行ってたとしても絶対上手くいかなくなってたって。……住む世界が違うし」
「ふぅん? んなことはなってみねぇと分かんねぇと思うけどなあ」
本当に住む世界が違うのだが、国に帰ったとしか話していない修司にそれを話す訳にはいかずにゆかりは苦笑を漏らす。
ランバートは居るべき世界に帰ったのだ。そしてもう会うこともないだろう。
彼は在るべきだった生活を取り戻すのだ。
ランバートのことだから、彼をここに追いやった兄にはしっかりお灸を据えているだろうし、もしかしたら既に婚約者と婚姻を交わしているかもしれない。
(……あたしも、早く切り替えなきゃね)
時間は過ぎていくのに、ランバートの別れたままの刻に留まり続けている彼女は自嘲を浮かべる。
「なあなあ、俺は? 少なくとも同じ世界だとは思うぜ」
「はああ? あんたは一回で懲りたわ。約束すっぽかして他の子のところ行ったり、急に連絡取れなくなって消息不明になったりしてさあ」
「あー……それは……悪かった」
あの頃は気付いていなかったのだ。今度は絶対にそんなことはしないと誓えるが、一度失った信頼を取り戻すのは難しい。
修司は罰が悪いといった顔で目を逸らした。
「ホント、幼馴染じゃなかったらとっくに切り捨ててるからね。まあでも……今はこっちが心配かけてるか。ごめん。早めに切り替えるからさ」
実は最近の彼女の様子を心配した友達の計らいで、今日の夜は合コンに誘われているのだ。
あまり乗り気ではないものの、友達の好意を無碍にも出来ずに頷いてしまったため、特に今日は憂鬱だということもある。
その会では彼氏を作らないにせよ、折角なら純粋に楽しむのもいいかもしれない。
幼馴染との会話の中でそう考え直し、言葉では言えない感謝の気持ちを一杯の珈琲に込めた。
◇◇◇
(……飲み過ぎた)
久しぶりの合コンでは、男相手というより友達と楽しく飲むことが出来た。
だからだろうか。久しぶりに酔っ払い、親しくもない男に連れ添われながら、ゆかりは家路を辿っていた。
何度か「一人で帰れる」と告げたのだが、「女の子を一人で帰らせるのは危険」だとか何とか言って、半場無理矢理ついてきたのだ。合コンの間も大して話していないというのに、あからさま過ぎて頭が痛くなってくる。
この男相手一人だけなら自衛は何とかなりそうだが、一応スマホで友達にすぐ連絡がつくように操作しておくことにした。
「……家、そこだからもういいよ」
「いやいやちゃんと家まで送らせてよ。じゃないと心配だからさ」
紹介してくれた友達の顔を潰すわけにもいかず厳しく断れずに、結局家までついて来た男。
下手に鍵を開けて家に入り込まれでもしたら堪らない。ゆかりは玄関前で振り返ると、今度こそ明確に帰るように促した。
「送ってくれてありがとう。楽しかったよ。それじゃあ気を付けて帰ってね」
「あ、あのさっ! 実は俺、ゆかりちゃんのことが気になってて……部屋に入れてくれないかな?」
逃がさないためか握られた手首を一瞥すると、ゆかりは男を睨み付ける。
ここで迎え入れて何もなかったでは済まないことは確実だ。友達への義理立てはしたが、流石にもう充分だろう。
「いや無理だから」
「そう言わずに! ほら、折角家の前まで来たんだからさ!」
腕を振り払い、明確な拒絶を表しているというのに、男は尚も食い下がろうとする。
馴れ馴れしく肩に触れようとしてきたりして、そんな男の態度に段々と怒りが湧いてきたゆかりが文句を言おうと口を開こうとしたとき、――ドアがひとりでに開いた。
それまでの怒りも忘れ、思わずそれを注視していると、中から現れたのはここに居るはずのない人物だった。
「……ランバート。なんで…………?」
「おかえり、ゆかり。……そちらは?」
「か、彼氏が居るだなんて知らなかったから。すみません!!」
彼のひと睨みでそそくさと退散していく男の姿をゆかりが呆れた顔で見つめていると、後ろからそっと包み込むように抱き締められた。
「……もう、恋人が出来たのかと」
「最近気付いたんどけど、あたし、意外と一途みたい」
彼の腕の中でくるりと向き直り、厚い胸板に頬を寄せる。
聞こえてくる早い心臓の音に、本当に彼がここに居るのだと実感が湧いてきて、ゆかりはこっそりと一粒涙を流した。
それから数年後、海辺の喫茶店に小さな男の子が産まれた。
母親譲りの黒髪に、父譲りのココア色の瞳。ほんの少しだけ奇跡のような力を扱えたというが、決して世に出ることはなく、平凡な笑顔の絶えない家庭を築いたという。




