32. 話し合う
『おしばな』の看板を店内に片付けながら、ゆかりは溜息を吐いて空を見上げた。
ついこないだまでは同じ時間でもまだ明るかったというのに、夏が終わった今となっては既に薄暗い。
旅行時の告白――プロポーズには、まだ返答していない。
お互い気まずい雰囲気の中旅行は終わり、帰宅した二人は元の喫茶店で働く生活へと戻っていた。
返事はぎりぎりまで待つとランバートは言っていたが、ついに明日、彼は国へと帰って行く。
ここ数日向けられるようになった窺うような視線を店内から感じて、ゆかりは本日何度目かの溜息を吐く。
きちんと話をしないといけないとは分かっているのだが、あと一歩が踏み出せずに彼の優しさに甘えて今日まで来てしまった。
ゆかりが振り返ると、ランバートは慌てて視線を逸らしテーブルの片付けを再開した。
入口の鍵を閉めて、残りの作業を片付けていく。
レコードの針を上げ静まり返った店内を一度ぐるりと見回し瞳を閉じた。
数秒そうしていただろうか。次に瞼を開けた彼女の瞳には覚悟が宿っていて、マグカップを二つ取り出すと温かいココアを作った。
「ランバート、少し……話そう」
テーブル席に向かい合って座る。
思えば、今までカウンター越しばかりでこうやって向き合って座るのは初めてだ。
話題を察して硬い表情で座るランバートにココアを勧めると、ゆかりはゆっくりと口を開いた。
「……あたしさ、この店と一緒に育ってきたんだ」
初めて祖父の入れた珈琲を飲んだこと。小さい頃に祖父母と共にお菓子を焼いたこと。レジを任され嬉しかったこと。荒れていたゆかりに父が入れてくれた温かいココア――目を閉じればここで起きた沢山の思い出が思い起こされる。
「ランバートのことは好きだけど、一緒には行けない。ここは捨てらんない。……ごめん」
ランバートのことは好きだ。
最初はただただ手のかかる居候としか思っていなかったが、一緒に暮らす生活はとても楽しく、たった数ヶ月前に出会ったばかりだというのにいつの間にかいるのが当たり前のように感じていた。
もしも彼がここに残ってくれたならどれだけよかっただろう。冬になったら夏とは違う日本の暮らしを教えて、春には一緒に桜を見て、また夏には一緒に花火を見る。ずっと一緒に喫茶店を経営出来たのなら――
けれどもランバートは異世界の王子で、あちらには彼を待っている人がいる。
「誘ってくれたのは嬉しかったけど、それにやっぱあたしは貴族にはなれないしさ。似合わないっていうか、あちこちに迷惑かけるのが目に見えてるっていうか……」
「……そう、か」
「ごめん。本当にごめんなさい」
真っ直ぐ彼の顔が見れずに視線を落とす。
両手で握り締めたカップの中に自分の情けない表情が映っていて、それを見たくなくてゆかりはぐっと瞳を閉じた。
「謝らないでくれ」
力の入った指を労るようにそっと触れられた手に、ゆかりは弾かれたように視線を上げた。
久しぶりに真っ直ぐ見つめた彼は困った風に眉を下げていて、自分がそんな顔をさせてしまった事実に胸が痛む。
「断られるだろうなとは、……なんとなく分かっていた。それでもこうして真摯に考えてくれたこと、ありがたく思う。それに……ゆかりも俺を好いてくれていたのだと知ることも出来たしな」
暗い雰囲気を払拭するためか、わざとおどけるように言ったランバート。真面目な彼にしては珍しい姿に、ゆかりの頬も少し緩んだ。
それから二人はココアが冷たくなっても暫く話し続けた。
夕食の時間になり二階に移ってからも、残り少ない時間を惜しむように、夜が更け空が白むまで何時間も語り明かした。
遅くなりましたが誤字脱字報告ありがとうございます!
とても助かります。




