19. 喧嘩
「……くそっ!」
午前の暇な時間を見計らい、元の世界に交信していたランバートがカウンターに拳を振り下ろした。
海水浴から戻って来てからというもの、ランバートはそれまで以上に余裕がなくなっていたのだが、今回の交信が不発に終わったことでそれが爆発したようだ。
気分転換するためだったのに完全に裏目に出てしまい、ゆかりも内心どうしたものかと悩んでいたのだが、このように感情を荒ぶらせるランバートを前にすると、逆に冷めてくるのだから不思議だ。
「落ち着きなよ」
店の物を壊されたら堪らないとばかりに彼の手の届く範囲から物を退かすと、ほかほかと湯気の立ち並ぶココアを彼の前に置いた。
「くっ…………ぐふ、があっ!? ごっ、ごほ……! な、なっ!?」
礼を言うことなく思い切り煽ったランバートは、そのままの勢いで噎せた。
口の端から飲みきれなかったそれが溢れ出る。
喉を流れるのは強烈な辛味。完全に油断していたランバートは、苦手な辛味だというのに大量に飲んでしまっていた。
よく見てみれば、溶けきれなかった唐辛子がいくつかカップに残っている。
先程通信に大量の魔力を使ったため、癒しの魔法も使えない。
ひりつく喉を押さえ、何が起こったのかと涙目で仰ぎ見ると、彼女は目だけが笑っていない笑顔でランバートを見つめていた。
「落ち着いた?」
「み、水をくれ……っ」
必死な形相が効いたのか、大人しく渡されたグラスをランバートは一気に煽る。流石に今度は正真正銘ただの水だった。
焼けるような喉を冷たい水が潤すが、今度は余計に痛みを感じる。
「牛乳」
次いで出された牛乳を飲み干し、やっとひと心地ついたランバートは、カウンターの向こう側に座り冷めた瞳を向けてくるゆかりを睨みつけた。
「何故こんなことをするっ!?」
「あのさぁ、上手くいかなくてイラつくのは分かるけど、焦ったってしょうがないじゃん。ここ最近ずっと思い詰めた顔ばっかしてさー。そんなんじゃいい案だって浮かばないし、一緒にいるこっちも疲れる」
「なっ……」
溜息と共に告げられた言葉に、ランバートは一瞬言葉に詰まった。
皇子として生まれた彼は、今まで媚びられてこそすれ、このように直接苛立ちを向けられたことはなかった。
騎士に身を落としてからも、王族だからと一線を引かれ、誰も本音をぶつけてこなかったのだ。
(確かに、そうなのだが…………っ)
冷水を被せられたかのように、頭に登っていた血が下りていく。
けれど、自分がこんなに悩んでいるのは彼女を巻き込まないようにするためなのだ。ランバートが気持ちを落ち着かせ、そう伝えるために口を開こうとした瞬間、入口のベルが鳴り、タイミングを逃したのを知った。
「いらっしゃい。今日はチーズケーキですよー」
すっかり接客モードに変わったゆかりが、慣れた調子でカウンターに座った木村の前にケーキとホットコーヒーを置いていく。
「い、いらっしゃいませ……」
出遅れたランバートが立ち上がり頭を下げると、木村は不思議そうに視線をランバートとゆかりの間で往復させた。
どこか貼り付けた感のある笑みを浮かべるゆかりと、苦い表情のランバートに何を導き出したのか、木村は数度頷くと人の良さそうな笑顔を見せた。
「わしらも若い頃はよく喧嘩したもんだ。婆さんはああ見えて頑固でなぁ。怒る顔が可愛くてちょくちょくちょっかいをかけたりしたもんだ」
木村の瞳は遠い昔を懐かしむように細められている。
「若い頃はそれでもよかったんじゃが、もう年じゃろ? いつが最後になるのか分からん。最後に見た顔が怒った顔ってのも悲しいからのう。最近はどうやったら喜んでもらえるかばかり考えとる」
「まぁ、なかなか上手くはいかんけどなぁ」と笑って締め括られた話に、ランバートは神妙な顔で拳を握り締めた。
状況こそ違えど、ランバートとゆかりだっていつが最後になるのか分からない。
それこそ今日、喧嘩別れになることだってあるのだ。
「それなら毎日通ってないで、奥さんと旅行にでも行けばいいのに」
「お互い自由な時間も必要なんじゃよ。それにゆかりちゃんがこーんなにこまかったときから知っとるからの。わしらにとっても成長してくのを見るのが楽しみなんよ」
昔のことを言われ恥ずかしげに目を逸らすゆかりを、木村は柔らかく笑う。
その眼差しからは、彼女のことを孫のように想っていることが見て取れた。
真面目に話を聞くランバートに気を良くした木村は、それからしばらく彼相手に孫自慢を語り明かし、いつもより遅い時間に帰って行った。




