1. 海辺の喫茶店
「第三位は山羊座のあなた! 今後の人生を揺るがすような事が起こりそう! ラッキーカラーは黄色。ラッキーアイテムはマグカップです。続いては――――」
ちょうど珈琲を飲もうと黄色のマグカップに手を伸ばしていたゆかりは、テレビから聞こえてきた占いに手を止めた。
「ふはっ、今後の人生を揺るがすって……」
随分と大きく出たものだと、山羊座の女代表として苦笑を漏らしておく。
日本中、いや世界中に山羊座が何人いるか知らないけれど、もしこれが当たれば今日だけで大勢の山羊座さんが人生の岐路に立たされることになる。
忘れ物に注意だの、臨時収入があるだのと結構当たる占いだったのに残念だ。
朝食に作ったスクランブルエッグを平らげて、テレビの電源を落とす。
食器を洗って時計を見るとそろそろ家を出ないといけない時間だった。
財布と携帯電話が入っただけの小さな鞄を手にして、玄関へと向かい、スリッパから花のコサージュの付いたサンダルへと履き替えると、鍵をかけて屋内にある階段を下りていく。
下りてすぐの壁にあるスイッチを押すと、クラシックな喫茶店が目を覚ました。
レコード盤に針を落とすと、軽やかなジャズが店を包み込んでいく。
一度外に出て、『おしばな』と書かれた看板をセットする。
『な』の後ろに小さく紫色のパンジーが描かれていて可愛らしい。
母方の祖父がこの喫茶店を始めた時に祖母がデザインしたもので、紫という名前はここからきているのだが、我が祖母ながらセンスがいいと初めて見たときに感じたのを覚えている。
そういえば、「若い頃はハイカラだったのよ」と昔母が言っていた気がする。
「ゆかりちゃん、おはよう。いい天気ねぇ」
「おはようございます、木村さん。ご主人に今日はアップルパイだとお伝えください」
入口の札をひっくり返し『OPEN』へと変えていると、二つ隣の木村の奥さんが顔を出した。
真っ白なふわふわな髪をした、品の良い老婦人だ。
ご主人はゆかりの祖父の代からのお得意様で、特に昼の日替わりケーキを楽しみにしてくれているらしい。
彼女が家に入るのを見送って、朝の空気を大きく吸い込んだ。
茶色く染めた髪が朝の光を浴びて、キラキラと人工的な輝きを放つ。
おしばなからすぐの海から運ばれてきた潮の香りに、ゆかりは夏がもうそこまで迫っていることを悟った。
****
「――――あ、」
本日の日替りケーキであるアップルパイが焼き上がるのを待つ間、控室でパソコンを見ていたゆかりの頬を生暖かい風が撫でた。
(……そういえば窓閉めたっけ?)
一階の店舗部分と二階とは扉で隔てられていて、仮に二階の窓を開けたままだとしても、二階から風がやってくることはないが、なんとなく閉め忘れたような気がしてならない。
今朝のことを思い出してみるけれど、閉めたような閉めてないような曖昧な記憶があるだけで、考えれば考えるだけ閉めていないような気になってくる。
店舗に連なるドアを開けて店内を見回すが、朝一で拭いた店内は綺麗なまま静まり返っていた。
(うん、いつも通り。誰もいない)
海辺の田舎町にあるこの店は来客が少ない。
海水浴シーズンならまだ期待出来るが、朝から繁盛、なんてことはゆかりが継いでからここ数年で一度か二度あった程度。
アップルパイも焼き始めてそれ程時間は経っていないし、常連さんが来るのもまだ先だろう。
ここでうだうだ考えているよりも、二階に上がって確かめてきたことが早いと結論付けたゆかりは、「今日も期待出来ないなぁ」なんてボヤきながら階段を上って行く。
「やっぱ開けっぱだったかぁ」
玄関から上がってすぐに見えるリビングのカーテンが風で揺れている。
近付いて、それを閉めようと手を伸ばしたところで――――視界の隅で何かが動いた。
向かって左。開け放たれた寝室の中に、剣を手にした男がこちらを向いて立っていた。