第六話 俺のミライは逆回転
ハンカチで少女の顔を拭う。ちーんしなさい。ほら、ちーん。
ああ、やっぱり美人だ。そしてこの顔には見覚えがある。金糸のような細く繊細で美しい長い髪の毛と、少し吊り上った気の強そうな深い碧を宿した瞳。
この少女は間違いなくアンリエッタ・リノ・クレアンデルだろう。
ゲームで登場したグラフィックを忠実に立体化しているものだなと感心する。今はまだ年齢に見合った幼い顔ではあるが、順調に成長すれば道行く男が必ず振り返るような美人に育つだろう。
しかしそれは外面だけの話である。見た目とは裏腹に、アンリエッタの性格は傲慢高飛車、自己中心的で他人に対して慈愛など振り向かず、自分よりも身分の高い人間には従う。人の痛みを知らず、平然と罵倒し、暴力をふるい、弱者を嗤う。
そんな最低の性格をした人物のはずなのだけど……。
「よかった。ルゥが元気になって本当によかった。わたしとっても心配したんだからね」
俺が元気になったことを我がことのように喜んでくれている。
部屋の奥へと案内される。そこにはかわいらしいサイズのテーブルとイスがあった。大人の体躯であれば窮屈な家具だけど、子供にはちょうどいいサイズだ。
「さぁ、早く座って、座って!」
「う、うん」
アンリエッタの指示に素直に従う。彼女は口ぶりからするとルウシェリオとは知り合いらしい。
適当なことを言って、以前のルウシェリオと違うと思われるのは嫌なので、最低限の事以外はしゃべらないようにしよう。
幸いなことにルウシェリオは寡黙で引っ込み思案な人物だったらしく、ずっとじゃべらないでいても不審がられたりすることは無いのだが。
「わたしね。あなたに私が淹れたお茶がまずいって言われてから、いっぱい練習したんだよ。毎日、お父様にも飲んでもらって、おいしいって褒めてもらえるようになったんだから」
「へぇ、それはすごいな」
「えへへ、だからね。ルゥにも早く飲んでもらいたいなって」
アンリエッタは不器用な手つきでお茶を用意してくれた。
「どうぞ」
「いただきます」
お茶を口に含む。
……微妙だ。まずいとは思わないけど、特に美味しいとも思わない。そもそもおいしいお茶ってどんな味なんだ。
アンリエッタが期待の視線を俺に向ける。うう、馬鹿な舌で申し訳ない。
適当に褒めるべきかとも思ったが、子供相手にお世辞を言うべきではないだろうと思い素直に微妙だったと回答する。
泣かれるかなと不安になったが杞憂だったようだ。
「病気になっても、相変わらずね」
あきれたような口調で、そしてそれが嬉しいらしく、くすくすとアンリエッタは笑う。
微笑ましい笑顔だ。
……なんだろう、すごい違和感がある。
アンリエッタの性格ってこんなに丸かったかな。幼いことと、父親がまだ死んでいないという状況ということもあるのだろうけど、……腰が低いというか、低すぎないかな。
これじゃあ、ほんとに良家のお嬢様じゃないか。幼いころから傲慢に育っている設定のはずなのだけど。
もやもやとした感情を心に抱きつつアンリエッタとお茶を飲んでいると、父親と、だれだろうか。初老の男が部屋に入ってきた。
アンリエッタが席を立って初老の男性に抱き着く。初老の男性は行儀が悪いと言ってアンリエッタの事を窘めるが、笑顔を浮かべている。
なるほど。
仲の良さそうな、くだけた雰囲気からおそらくこの初老の男性が侯爵、つまりアンリエッタの父親だろうと推測する。
侯爵の存在を俺は知らない。
知らないというか何の設定を作ってもいない。だって作中に出てこない人物なんて意味ないし。
この世界は基本的に『アンシャン・レジームと革命戦争』の設定に忠実に世界が作られている。社会情勢や歴史の流れは寸分違わずといってもいいほどだ。
しかし、設定は大まかなもので、細部に至るまで定められているわけではない。歴史の年表で記した100年、10年ごとの出来事は設定しても、その合間に挟まる事情まで設定しているわけではない。
設定をしていない隙間にあたる部分はどうなるのだろうか。
その答えは自宅の書斎で見つけることが出来た。
結論から言うと、何もかも勝手に設定されている。
上手につじつまを合わせ、空白を丁寧に塗りつぶすように歴史が再編されている。
それに気が付いたとき、便利でいいなと思った。自分の作品を勝手に弄繰り回されたような気がしないでもないが、まぁこれぐらいは許容すべきだろう。
そう思うと、それを見るのも楽しくなってくる。
侯爵はどんな人物なのだろうか。
やはり悪役令嬢にふさわしい、悪逆非道な人物なのかな。
「久しぶりだね、ルウシェリオ君。すっかりと元気になったようで、とても嬉しいよ。君が馬車事故に巻き込まれて、重傷を負ったと聞いたときはどうなるかと心配だったのだが……。いやいや、本当によかった」
「ありがとうございます。閣下の支援のおかげでルウシェリオは生き延びることが出来ました。このご恩は一生忘れません!」
「いやいや、その程度のことなどたいしたことはない。部下の家族のために働くことは上司として当然のことだよ、エドウッド卿」
そういって侯爵は俺の頭をやさしく撫でた。
いい人だな。
貴族だと言うのに、気配りが出来ているし腰が低い。最初は、そういう演技でもしているのかと思ったが、二人の会話を聞いていると、普段からこういう性格のようで、父親は心の底から侯爵のことを慕っているようだ。
なんだろう、どうしてこうなった。
人の好い貴族が世の中にいないとは思わないが、悪役令嬢の父親がこんな性格をしていていいのだろうか。うーん、釈然としないなぁ。
「ルウシェリオ。お前も大公閣下にお礼を言いなさい」
「はい。ありがとうございます」
身に覚えはなく何を助けてもらったのかよくわからないが、父親の言葉に従い頭を下げてお礼の言葉を口にする。
うん、ちょっと待って。……なんか変な単語が聞こえた気がする。
アンリエッタの家は侯爵家だよ。貴族筆頭を目指す家柄という設定だから、上位である公爵、ましてや最上位にあたる大公なんてなるはずがないのだけど。
聞き間違えかなと思い父親たちの会話を傾聴するが、屋敷を出るまで父親は大公閣下と呼び続けていた。
おかしい。何かがおかしい。
これはちょっと調べる必要があるかな。