異世界と言えばマヨネーズ
幻想部顧問の山田光秀は、職員室でブツブツ文句を言っていた。
「あいつら、いつも自分が居ない隙に召喚儀式を行いおって。自分もデルリカ様を見たいっつうの。」
おっさんは邪魔なのでハブにされる。
それなのに面倒ごとは顧問に丸投げする生徒たち。
それが松尾進の丸投げソリューション。
文句をつぶやいていても埒が明かないので、ひとまず部室を覗きに行こうとした。
廊下に出てしばらくすすむと、料理のいい匂いがしてくる。
匂いにつられて歩くと、家庭科実習室。
どうやら料理部が活動をしているようだ。
教室の中を覗くと、生徒たちが楽しそうに話をしている。
「くー、マヨネーズの作成は手が壊れそうだよ。」
「かき混ぜるの、手がパンパンになるよね。」
「でも頑張らなくっちゃ、異世界に行くことがあったらマヨネーズを作れないといけないからね。」
「あはは、もしかしてラノベファン?」
「多少はね。やっぱり異世界で日本人が広める美味しいものの代表はマヨネーズでしょ。」
「そうらしいね。まあ私はマヨネーズよりもポン酢派だけどね。」
「あんたは少数派ww。」
そっとドアを閉める。
(異世界ではマヨネーズが重要なのか・・・。)
これは良いことを聞いたと喜ぶと、山田光秀は職員室のPCを目指した。
詳しい作成方法を調べなくてはいけない。
マヨネーズを作り、デルリカに好印象を持ってもらうために。
・・・・・
1時間かけて作り方を調べ、プリントアウトする。
「よしよし、順調だな。」
山田光成が調理部に行くと、調理部顧問の掛布慈子がいた。
40代のふくよかな女性で、いつもニコニコしている。
「あら山田先生、匂いにつられましたか?」
「掛布先生、じつはすこしマヨネーズを作ってみたくなりまして、材料を分けていただけないかと・・・」
すると掛布慈子は嬉しそうに笑った。
「山田先生も料理に興味が出ましたか?では、指導してあげますのでここで作っていってください。」
「良いんですか?いやー助かります。」
掛布慈子は準備室の奥から、ボールと泡だて器。
そして材料を持ってきた。
卵 1コ
酢 大さじ一杯半
塩 小さじ2/3
こしょう 一つまみ
サラダ油 一合カップの1杯
本当は油は2/3杯くらいがいいのだが、山田光秀が細かいことを気にするとはお思えなかったので、掛布慈子はあえて分かりやすく一杯にする。
「では山田先生、ボールに卵と酢と塩胡椒を入れて、10秒ほどかき混ぜてください」
「はい!」
ボールを小脇に抱えて10秒ほど撹拌。
すでにこの時点で、マヨネーズ独特のにおいがする。
すると掛布慈子はサラダ油の入ったカップを構える。
「ではこれから少しずつ油を入れていきますから、頑張ってかき混ぜてくださいね。では固まり切るまでしっかり撹拌してください」
「わかりました!体力勝負でしたら任せてください。」
細くちょろちょろとサラダ油がボールに注がれた。
山田光秀はそれを確認してまたかき混ぜ始める。
カシャ カシャ カシャ カシャ
軽快に泡だて器の音が響く。
ボールの中が白くなってくると、また掛布慈子はすこしサラダ油を足す。
カッカッカッカッカ
マヨネーズの粘度が高くなり、だんだん掻き混ぜるのが重くなる。
みると、まだ掛布の手にあるカップの中の油は半分以上残っていた。
(おいおい、もう手が疲れてきたのに終わりは遠いのか?)
少しして、またチョロチョロとサラダ油が足された。
油を追加されるごとにマヨネーズが固くなる。
掻き混ぜるのがつらい。
しかし、体育教師の意地で休憩なしで掻き混ぜ続けた。
掛布慈子がすべてのサラダ油をボールに入れるころには、前腕がパンパンで限界を軽く超えていたのは秘密だ。
これをさっきは料理部の女子がやっていたと思うと、彼女らの腕力に脅威を感じた。
(料理の上手い女性に逆らわないようにしなくちゃな。腕力的な意味で。)
想像以上に固いマヨネーズを掻き混ぜていると、やっと掛布慈子からOKがでた。
「そろそろ良さそうですね。ですがやっぱり体育科の先生は違いますね。1回も休憩を入れないとは思いませんでした。」
「あっはっは、体力しか取り柄がありませんからな。」
余裕を演じているが、山田光秀38歳。ゼェハァしたいのを必死に堪えて強がっている。
(しかし、これほどの労力が必要だとは思わなかった。これからはマヨネーズを見る目が変わるな)
掛布慈子は、あまっているビンに今作ったマヨネーズを移し替えてくれた。
「初めて作ったマヨネーズですから、きっとおいしいですよ。冷蔵庫に入れれば2~3週間くらいは保存できますから沢山楽しんで下いね。」
「ご指導ご協力ありがとうございます!とても勉強になりました。」
「また料理に興味がわいた来てくださいね。」
今作ったばかりのマヨネーズを片手に、急いで幻想部部室に向かう。
まだお昼前。
急げばギリギリ召喚の儀式に間に合うかもしれない。
幻想部の部室に入ると、ちょど召喚の儀式が終了したところだった。
松尾進、庄司信也、植木政子、安西良子の4人が、びしっとYの字になっていた。
ぱん、ぱぱん。ぱん、ぱぱん。
「異世界の~、マリユカ宇宙の女神様~。ちょっと良いとこ見てみたい。」
ぱん、ぱぱん。ぱん、ぱぱん。
「「「おいでませー、おいでませー、マリユカ宇宙の女神様ー、おいでませー」」」
ぱん、ぱぱん。ぱん、ぱぱん。
そして四人は声をそろえてYの字になりながら叫ぶ。
「「「「いでよ!異世界の神々よ!」」」」
すると魔法陣が光りだし、あふれた光が人の形になる。
黄金の光は、デルリカになった。
ゆるくウェーブのかかった金髪に、白い肌の美女。
「みなさん、ごきげんよう」
「「「「ご機嫌麗しゅう、デルリカ様」」」」
デルリカは祭壇の前に座ると、お供え物を見る。
「まあ、本日はトンカツ定食ですのね。お兄ちゃんの大好物ですわ。お兄ちゃんには悪いのですがワタクシだけ頂いてしまいましょう。」
ちょっと悪戯っぽく微笑むと、デルリカはお箸を器用に使い、食事を始めようとした。
トンカツ定食には、たくさんのキャベツが盛ってある。
(これはチャンス!)
山田光秀は急いで前に出て、先ほど作ったマヨネーズのビンを開けた。
「デルリカ様、キャベツを食べるのでしたらマヨネーズはいかがでしょうか?これはこの世界が誇る調味料なんですよ。デルリカ様に食べてほしくて、先ほど自分が手作りしてまいりました!」
しかし、デルリカは鼻を押させて顔をしかめる。
「ワタクシ、マヨネーズは子供のころにお腹を壊してから嫌いですのよ。それで無くてもマヨネーズの酸っぱい匂いやしつこい味も大嫌いですわ。それ、しまっていただけます?」
デルリカの中で、山田光秀の評価がまた1つ下がった。
そして山田光秀は、デルリカからの冷たい仕打ちに「ゴフッ」と漏らし、その場に倒れる。
すると植木政子がそっと調味料をだす。
「デ、デルリカ様。和風ドレッシングと・・・ポン酢も・・・ございます。」
「まあ。ワタクシはポン酢が好きですのよ。マヨネーズと違い、酸っぱさもサッパリしていてよいですわね。植木、良いチョイスですわ。」
「み、身に余る・・・光栄にございます・・・。」
(くそー、デルリカ様はマヨネーズよりも、ポン酢派だったかー!)
倒れながら山田光秀は己の判断間違いを呪った。
松尾進は不思議そうにデルリカを見る。
「デルリカ様、もしかしてマリユカ宇宙にはすでにマヨネーズが有るのですか?」
サクサクとしたトンカツの歯ごたえを楽しみながらデルリカはうなずく。
「ごくん・・・。マヨネーズくらいありますわ。マリユカ世界に何人の異世界人が来たと思っていますの?むしろお城の笑い話として『勇者はなぜかマヨネーズを作ってドヤ顔をする。』という、あるある話が語られているくらいでしてよ。」
松尾進もまた、異世界にはマヨネーズが無いと思い込んでいたので衝撃を受けた。
だが言われてみれば当然かもしれない。
デルリカの話では、過去に何人もマリユカ宇宙に召喚されているようだ。
ならば、すでにマヨネーズくらい伝わっていても不思議はない。
マヨネーズ以はもちろん、こちらの便利な簡単な知識はすでに伝わっていると考えるべきだったのだ。
マリユカ宇宙での知識チートは難しそうだ。
考えてみれば当たり前のことだが、山田光秀が人柱になってくれたおかげで判明したこの事実。
山田光秀がマヨネーズを出すのが数秒遅かったら、松尾進もドヤ顔でマヨネーズを出すところだった。
(ふー、危なかった)
1人ひそかに冷や汗をぬぐう。
しばらくしてデルリカの食事が終わり、植木政子がデルリカに緑茶をいれたところで松尾は今日の質問をぶつける。
「デルリカ様、今日の質問をよろしいでしょうか?」
「よろしくてよ。」
大きく息を吸い、そして心を落ち着けるように尋ねる。
「幻想部の仲間である、武田健二氏が昨日から行方不明なのですが、見つけることはできるでしょうか?」
心底不思議そうにデルリカは聞き返す。
「その人は、どのような人でして?写真とか持ち物とかはありまして?」
その言葉に生徒会長の安西良子は、すぐに事態を理解した。
「デルリカ様、表現を変えますね。いつもデルリカ様を召喚するときに一緒に居る、気持ち悪い顔のバンダナなのですが、昨日どこかに転移してしまったのです。見つけることはできるでしょうか?」
「ああ、あの気持ち悪いバンダナですね。良いですわ、ワタクシの<高等探査>で探してみましょう。」
デルリカは数秒虚空を見つめる。
「見つけましたわ。ここから50kmほど離れた大ノ山という所にいるようですわね。登山道を下っているようですから、そのうち帰って来ますわね。」
幻想部内に安堵のため息がでる。
一応仲間と認識されていたため、それなりに心配されていたようだ。
本当にかわいそうなのは、ここで思い出してもらえない副生徒会長だ。
松尾は目を輝かせてさらに質問する。
「武田氏・・・いやバンダナ氏が転移で飛ばされたので思ったのですが、それを使えば俺たちも異世界に行けるのでは?」
デルリカは柔らかく首を横に振る。
「いいえ、空間転移と異世界間渡航は根本的に違うのです。空間転移は、同じ時間軸上の二つの時間と場所を点でつないで移動する方法です。ですが異世界間渡航はそもそも時間のない場所をまたいで、まったく違う世界の時間軸に移動しますの。時間軸の上でショートカットをする空間転移と、別の時間軸に飛ぶ異世界間渡航はは似て非なるものなのです。」
「おお、なんかすごく異世界の秘密みたいなものを聞いた気がします。」
「そうでしょう。この理論に人の身でたどり着いたのは、すべての宇宙のなかでもお兄ちゃんが初めてだったのですよ。神になる前に異世界間渡航を成功させたお兄ちゃんは、神になるべくしてなった天才なのですわ。」
そこまで聞いて松尾は驚愕した。
「ちょっと待ってください。もしかして、神様の手を借りないでも異世界を渡れる可能性があるのですか!」
「ありますわね。ですがそのためにお兄ちゃんは80年という時間を費やしましたの。ワタクシも人の身で異世界間渡航をした2人目の人間ではありますが、お兄ちゃんの指導があってすら、渡航に成功したのは90歳を過ぎてからでしたわね。」
「お、俺たちにも可能でしょうか・・・」
デルリカは、困った表情になった。
「今からお兄ちゃんに弟子入りして、魔道に身を捧げれば200歳までには可能かもしれませんが、おそらく松尾達は200歳まで生きられませんわ。」
「では、実質的には可能性はないと。」
「ありませんわね。松尾達にはお兄ちゃんのほどの才能は有りませんもの。素直に神々の力を借りる努力をした方が確実ですわ。」
「そうですか、わかりました。ではせめて異世界とこの世界の距離とかを教えてもらえませんか?」
するとデルリカはクスリと笑う。
「人間が異世界に行けない理由の一つが、他の世界との間に距離があると思い込んでいる事ですわね。他の世界との距離はメートルで換算すれば0メートルですわ。」
なぜか安西良子がそれに食いつく。
ちょっと学問的な内容だからだったからかもしれない。
「では異世界はどのように個別性を保っているのでしょうか?」
ふふと笑うデルリカ。
じつはデルリカはこの理論にそこまで詳しくない。あくまで長道からの受け売りだ。
なので、難しい質問をされていまい、内心では冷や汗が出ている。
とはいえ、今更よく知らないとは言えない。長道が説明してくれた抽象的な説明でごまかすことにした。
「たとえば地面に一本の線が書いてあったとします。この線を越えることは簡単ですか?」
「はい、簡単だと思います。跨げばいいのですよね。」
「その通りです。ですが2次元の人にとってこの線は越えられない壁です。」
「なるほど、確かにそうかもしれません・・・」
「ですがあなたがこの線を跨ぐとき、2次元の人からはどう見えると思いますか?」
「えっと・・・はっ!もしかして『重なって見える』ですか?」
デルリカは満足げにうなずく。
「正解です。高次元から見れば別の位置に存在しているとしても、低次元の視点から見れば同じ場所にあるという事が起きえます。」
「異世界の存在も同じだという事ですね。」
「その通りです。世界を跨ぐということは5次元以上の事象です。空間転移ですら4次元的事象ですので、その困難さはおのずとわかると言うものでしょう。」
(ま、間違ったことは言ってないはずですわ。あとでお兄ちゃんに要確認ですわね。)
デルリカ、ひそかに心臓がバクバクである。
しかし安西良子は、すごく満足そうにうなずいた。
「なるほど、そうしますと魔法や次元に関する基礎知識が足りない私たちが聞いても、難しいかもしれないですね。」
「残念ですが、その通りですわ。普通は20~30年研究して、やっと基礎理論が理解できるくらいだと思ってください。」
「ありがとうございます。とても知的好奇心が満たせました。」
「それは何よりですわ。」
無事に難しい質問を乗り切ったデルリカは、とてもいい笑顔になる。
「ではワタクシ、今日は失礼いたしますわね。次は白身魚のフライが食べたいですわ。」
そう言い残し、光になって消えて行った。
消えるデルリカを見つめて、山田光秀は手にしたマヨネーズをどうしようか悩む。
すると松尾進がそっと手を伸ばした。
「先生がせかっく作ったマヨネーズ、俺たちが貰ってもいいですか?せっかく誰かのために作ったマヨネーズです。俺たちに味合わせてくださいぶふ。」
「松尾・・・。そうだな、俺が初めて作ったマヨネーズだ。食べてくれるか。」
「こふー。おいしくいただきます。」
手作りマヨネーズを通して、ちょっとだけ生徒に近づけた気がする山田光秀であった。
これもまた、松尾進の罠だとも気づかずに。




