夜の弦楽四重奏
まだ朝は白かった。その白は何に変えることもできないようにぼくは思えた。だからあと少しで三日月が朝を落としそうになるときに、ぼくはただその日差しを絃にして夜がただ落ちるのを待っていただけだった。夜はいつまでたっても降りそうになることがなかったから三日月は白い朝の訪れをおぞましくも過酷なまでにうつくしい日々を執拗に強調するだけだった。
世紀から世紀へと未来へと希望が夜を照らすとき、夢はまだ朝の絃を石造りの家々に囲まれた日々の中を進んでいる。
夜の捧げものだった。
それはあと少しの気配で死者を埋葬するレクイエムを歌うとき、朝の白と夜の黒、それから夕月の朱色が混じったままでいる。
サミしい夜はあと少しで終わり。
おはよう。
と言えた朝だった。
朝は何物にも代えることなんてできないし、彼女がただ微笑んでいたその日々に彼女はいる。ぼくにとっても、彼女にとっても、その日々を回想することはよいことだとは、到底思えやしない。ただ、朝月のそれからゆづき、あるいは美学の終わりの終わりの終わりの夜を。今日も知っているだけなんだ。
夜の終わりだった。あるいは朝の始まりだった。朝の前に夜はなく、夜の後に朝はなく、それでいてどうでもよくなるほど黒い、たそがーれがしつようにうつくしくもかなしい涙を流すとき、まだ夜は終わったばかりだし、朝は始まってもいない。
窓の外には人間なしに始まった朝が始まり、窓の内に人間なしに終わった夜がある。
夜は誰に言われることもないほど静かだった。いわば何にも想像できないほどの神聖でもローマでも帝国でもない国家に似た埋葬許可証書が降りた瞬間だった。
断りようがない瞬間だった。
まずは第一ヴァイオリンが、次に第二ヴァイオリンが、それからヴィオラとチェロが消えた。
弦楽四重奏が消えた瞬間だった。