その5
「くそ、やっぱり仕出かしてくれたか!」
それも今回は、十年ぶりにして"とびっきり"だ。
講堂二階のキャットウォークに避難した司は、かいなを背後にかばいつつ毒づいた。
眼前の滝からは雨のような勢いで水飛沫が飛んでくるし、絶えず発生する霧に視界は刻一刻と悪化していく。しがみつく手すりはつるつると滑る上、奔流が階下の壁にぶつかる衝撃で建物全体が激しく鳴動している。数分保たずに立っていることすら困難になることは明白だった。
(どうする──!?)
思考を巡らせる。打開策を探る。注目すべきは御歌土の存在だ。こうなることをある程度予想していたらしき幼馴染。その少女は今もなお、壇上に立ちこちらを値踏みするかのように微動だにしない。
「みかちゃんは、どうやって、水を防いで、るの?」
かいなが疑問を発した。
「多分」
と司が答える。
「放電して周囲の気体をプラズマ形態にしているんじゃないか」
プラズマ形態には、超親水と超撥水の二つの状態を交互にスイッチする性質がある。そのうち撥水状態を完全に維持し、弾いた水をステージ下に流すようコントロール出来るのであれば、理論上は実現が可能だ。
ただし、その制御には至難と呼ぶべき技術が必要となるわけだが──
(雷の力、か)
御歌土が生来宿す異能は、授かった名前に似た"現象"を引き起こすものだった。
その力は類を見ないほどに強く、子供の頃は制御にひどく苦労していた。司もオーバーロードに巻き込まれて幾度となく火傷を負ったことがある。
その少女が今、完全に自身の力を支配下に置いていた。
(頑張ったな、みか)
自分達と引き離された時、少女には心を許せる存在など他にいなかったはずだ。それが、何か頼るべき縁を見つけたのか、あるいは独力か──いまや世界全体を見渡してもトップレベルと呼んで偽りのない"異能"を身に付けるまでに成長している。
司の中に、それを嬉しく思い──ほっとする気持ちがあることは事実だった。
「すごい、ね」
「ああ、すごい。けどな」
かいなの声に頷きながらも、司は手すりに乗り出すようにして叫んだ。
「こら、みか! とっとと──」
「おお、つかさか」
キャットウォークの彼を見上げた御歌土が、そのとき、にぱっと無邪気な笑顔を見せた。
「上手くそちらに逃れていたか。さすがに目端が利くな」
「いや、そんなことはどうでも良くてだな」
「しばし様子見か? 待っておれ。じきに片が付いたら、後でゆっくりと旧交を温めるとしようぞ」
「だから、そうじゃなくて──」
ああもう、と司は一人毒づくと、髪の毛をかきむしった。人の話を聞かないところは相変わらずだ、と思った。しかも、自分ではまったくその自覚がないところも変わっていない。
だったら──こちらのやることも昔と同じだった。
「とりあえず、いっぺんお仕置きだ」
「やっぱりそうするんだ?」
「ああ。かいな、頼む」
「らじゃ」
こくり、頷くと、かいなが背中から司の両脇に手を差し入れる。上に引き上げられる感覚──次の瞬間、司の靴がキャットウォークの床から離れた。
空中浮揚能力。かいなの持つ唯一の異能がこれだ。比較的ポピュラーなものだが、安定性という観点においてかいなのそれはかなりの高レベルにある。実際には二人が"滝"から逃れられたのも彼女の働きに拠るところが大きかった。
「遠慮はしない?」
「しない!」
そういう手加減をする余裕がある相手ではなかった。多分、と司は思う。多分、御歌土は今この場にいる誰よりも強大な力を有している。注意深く見渡せば、自分達同様に上手く滝から逃れた上に、慎重に事の推移を見守っている"実力者"らしき姿も散見されるが──それでも彼らが御歌土に及ぶ力の持ち主とは思えなかった。
──だから、今あいつを止められるのは俺達だけだ。
「行くよー」
この場においても能天気なかいなの声に苦笑しながら、司は体を弛緩させる。
別に全力でやる必要はない。
"能力"を使うわけでもない。
──そもそも自分の力は大したものでもないし。
そしてまた、苦笑。
自分はただの幼馴染だ。
御歌土の幼馴染であるというただ一点でこの場にいて、そしてその一点でもって事態を収めようとしている。
それは、少しだけ──居心地の悪い現実だった。
「えやっ」
掛け声とともに、かいなが中空を翔けた。
司を腕に抱えたまま、一直線に御歌土に向かって。
御歌土はステージ下に視線を戻していたものの、すぐに近付いてくる気配を察知し、二人を振り仰いだ。
その顔が──嬉しそうな笑みに変わる。
おーい、と邪気なく笑い、手まで振ってみせる。
まるで子供だ。
子供の頃から、やっぱりこいつは変わっていない。
一心に自分達の後を付いてまわっていた、"みか"のままで。
だから。
だから司は──かいなに体を支えられたまま。
雷の防護を解き、こちらに手を差し伸べようとした御歌土の。
その頬っぺたを、ためらわずに張り倒した。
ビンタしたのだ。