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その4

 最初にその音に気付いたのは、ぼんやりと天井を見上げていた少女だった。

 その名を、葛根くずね先子せんこという。

 彼女はこの場においては、司とかいなを除けば最も御歌土の演説に動揺しないでいられた人物と言えた。その理由は単純なものだ。

 彼女は、そもそも演説が始まる前から別のことに気を取られていた。

 要は御歌土の話をまったく聞いていなかったのだ。

 彼女の思考の大半を占めていたもの。

 それは、"眠い"というただ一点のことだった。

 彼女の生活は常に睡魔とともにあった。彼女に宿る異能が、"安易に眠ることを許さない"ためだ。

 眠りたい、けれど眠ってはいけない。"眠れば他の人に迷惑がかかる"。

 彼女に眠りが許されるのは周囲に人がいないことがたしかな時だけだった。そのため普段は実家の神社の裏手にある掘っ立て小屋で寝泊りをしていた。

 けれど、この島に連れられてきてから自分の周りには人がたくさんいた。

 これでは眠れない。

 既に起きてから40時間を過ぎている。

 先子の忍耐は限界に達しようとしていた。

 今、彼女の頭の中は、眠い、布団に入りたい、いっそ一生寝たままでもいいかも、それって最高かもしれない、といった文言で占められていた。そして毎晩寝転がって羊代わりに天井の染みを数えている時のように、講堂の天井の木目模様を目で追いかけていたために──いち早くそれに気付いたのだった。

「あれって……お水?」

「は?」

 反応した隣の男に示すように、人差し指を上に差し向ける。

 その先では、ひどく不可解な現象が起きていた。

 水が、浮いている。

 それは、文字通りの意味だ。

 ごぽ、ごぽ、とかすかな音を立てながら、一塊の水が天井近くで蠢いている。

 一見した限りではサイズはよくわからない。不定形のために目測し難いのだ。

 だがたしかに宙に浮かんでいる。さながらスライムのようでもある。

 空飛ぶスライム。

 呼称するならばそんなところだろうか。

「誰か"力"を使ったのか?」

 一人がそう呟いた。しかし誰もがかぶりを振る。皆は揃って首を傾げた。ではあれはいったいなんだろう。

「これはまた、のっけから珍しいものが現われたものよ」

 ステージ上の御歌土が呟いた。何か知ってるの、とまた誰かが問う。

 すると御歌土は不敵に笑い、

「油断するでない。──来るぞ」

 途端。

 講堂が"滝に飲まれた"。


 ◇


「うわ!」

「きゃあ!」

 皆が次々に叫び声を上げる。

 叫んでいる姿が辛うじて視界に入る。

 しかし、その声は聞こえない。

 すべて掻き消されているのだ。

 天井から降り注ぐ大量の水に。


 それは、瀑布だった。

 スライム程度のサイズに見えた謎の液体が──一瞬の間を置いて、途方も無い質量の滝へと変化したのだ。

 膨大量の水は自然落下の速度で床に叩きつけられ、四方へと散る。それはたちまちのうちに奔流となり、続々と続く追加の水に後押しされて圧倒的な速度を得る。

 殆どの者は対処出来なかった。なすすべもなく床に叩き伏せられ、そのまま暴力的に流されていく。

 やがて水の先端が講堂の端にまで到達した。いかにも堅牢なその内壁を、しかし破壊的な力を宿した水が幾度も打ち据える。このままでは倒壊も免れない勢いだったが、壇上の御歌土は悠然としたものだった。

 見れば、少女の周囲にはばちばちと電流らしきものが飛び交い、それが頭上からの水を防いでいるようだった。

「くそ、なんなんだよこれは!」

 壁際の柱にしがみついた男が叫んだ。爆音の中、耳ざとくそれを聞きつけた御歌土がゆっくりと口を開く。

「"意思持てる滝"」

「は?」

「幾星霜を隔てた惑星に棲まうという巨大生命体だ。地球で類する規模の滝といえば──いや、ちょっと思い当たるものがないな。惑星自体が地球より大規模なためか、源流の湖も巨大でな、湖といいつつ地球の海よりも水量は多いのだ。畢竟、滝のサイズも桁違いとなる。意思が宿るのは滝に変じた瞬間からだという点だけが唯一の救いと言えるか」

「何を言っている?」

「この滝は暴力的でな。調査に訪れた惑星探査船はことごとくが破壊された。逃げ帰ったクルーによれば、"彼"の動きからは明確な攻撃の意思が感じられたらしい。しかしながらその意図・理由は多くの犠牲を伴う挑戦を経たのちも明らかになっていない。今となっては、人知及ばぬ宇宙の神秘を語る典型例として扱われている始末」

「お前……正気か?」

 男が気狂いを見るかのような目で御歌土を凝視した。だが少女は臆する風もなく、独り言のように言葉を続ける。

「もちろん、そんなものが現実にいるはずがない。この滝が存在するのは、ある一つの創作物の中だけだ」

「創作物?」

「たしか、初出は小説だったか。いずれにせよ空想の産物だ。だが今はそんなことはどうでもいいだろう。理解すべきは、この水の源流が、我らの知る海よりも巨大な湖だということだ」

 辺りは一面、轟々たる瀑布。

 その只中、飛沫ひとつ浴びず佇む御歌土はそして、空想の中に宿る確かな現実を告げた。

「"この水に、限りはないぞ"」

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