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その1

「箱庭へようこそ」

 第一声、四天院御歌土しでんいんみかづちは言い放った。

 優に数百人は収容出来るであろう大講堂。そのステージに立ち、眼下に居並ぶ若者達の視線に一切の物怖じをすることなく。

 壇上の少女は古めかしい出で立ちをしていた。上は矢矧やはぎめしの着物、下は行灯袴あんどんばかまという組み合わせは、大正時代の女学生の間で流行したものだ。

 その身のたけは低い。肉付きも僅かで、和装の上からでもそれと知れる矮躯わいくだ。

 子供、と形容して差し支えないだろう。

 そんな少女が、明らかに年上であろう数百人の人間を前に演説を行なうさまは異様というほかない。

 だが壇上の御歌土は堂々と演説を続けていく。

「箱に喩えるには広大かもしれない。東西7キロ、南北5キロに及ぶこの島は本来地図上に記載があって然るべきサイズだ。また、庭と呼ぶにも峻厳かもしれない。中央に連なる山々と海は眉と目ほどに近く、車両の通行が可能なエリアは僅かな外縁部のみという地形は、およそ庭という言葉の持つ平穏さからはかけ離れている」

 少女の背後のスクリーンに、一枚の地図が映し出された。その形状はおおむね楕円で、四方は海。幾重もの等高線がその中に書き込まれており、まるでどこかの山麓地図を切り取ってそのまま海のまっただ中にペーストしたかのような──それはとても人が住まうに適した環境とは言えないものだった。

「あれって……もしかして」

 そのとき、聴衆の一人があることに気付き、呟きを発した。

「真ん中に映ってるのって、この建物か……?」

 その声につられ、周囲の者も地図に目をすがめる。しばしのち、「多分……」「みたいだな……」「まじか?」と声が続いた。最初に呟いた者の推測を否定する言葉は誰からも発せられない。

 それで誰もが悟った。

 自分達は今、あのスクリーンに映された島の上にいるのだということを。

「どういうことだ?」

「なんなのよこれ」

「ありえねえ……」

 にわかに講堂内のざわめきが増した。当然と言えば当然であった。この場に集った者達は、誰もがある日突然、殆ど誘拐同然の方法で無理やりにここに連れてこられたのだ。

 事情を何も聞かされず、親しい人間に別れを告げる暇すら与えられず。

 大半はこの事態に理解が追いつかず、半ば恐慌状態にあった。強引に拉致された以上、身にどんな危険が及ぶかわからない。だからただ状況に流されるまま、子犬のようにじっと縮こまっていたのだ。

 そんな彼らの前に、今ようやく、苛立ちの矛先を向ける対象が現われたことになる。虫を殺すことすら躊躇いそうなか細い少女だ。

 畢竟ひっきょう、多くはこう考えたに違いない。──あの娘相手なら、大丈夫だ。

「ふざけんな!」

「帰して、帰してよー!」

「意味わかんねえぞ、おい!」

 騒ぎが指数関数的に増した。臨界に達すれば、御歌土の身に危険が及ぶかもしれない。

 だがいよいよ、場が取り返しのつかない事態にまで発展しようというそのとき──御歌土が言葉を発した。

「皆に感謝を」

 束の間、講堂内がしん、と静まった。罵詈雑言を叫んでいた者は、呆然と口をあけたまま固まっている。

 完全に意表を突かれた形だった。この騒ぎの只中で、大勢の苛立ちを一身に向けられ、中には今にも掴みかかろうとステージに上ろうとしている人間すらいるときに──なぜここで"感謝"を?

「有難く思う、と重ねて述べたい」

 エアポケットのように生まれた奇妙な静寂の中を、御歌土の声が響き渡った。

「私は今、皆に状況を理解頂けたことを幸甚に思っている」

 そして、

「では説明に戻ろう」

「は?」

「え?」

「おい?」

 唐突に話を戻され、皆に困惑の色が広がった。だが御歌土に意に介した様子はなく、得々と話が再開される。

「先に述べたように、ここは小さな島だ。住まうに適当な地勢とも言えない。だが、それでも私はこの地を確固たる意志をもって箱庭と呼ぶ。特定の人物のためだけに存在する玩具箱。下らぬ俗世間のしがらみから解き放たれた、幽玄の庭。その魅惑的な意味を確かに体現する地であるがゆえに」

 最早、少女の話についていくことの出来ている人間はいなかった。二百二十二名──それだけの若者達の理解が遥か後方に置き去りにされている。

 いや──違った。

 場には僅かに例外がいた。

 僅かに二名──居合わせた中で、ある一組の男女のみは、御歌土の演説を前に動揺した様子がなかった。

 男の方は取り立てて特徴の無い外見をしている。多少は鍛えているようで線の細い印象はないが、一度見た程度ではすぐに忘れられてしまうような顔立ちをしていた。ただ周囲が唖然としている中、一人だけ腕を組んで眉根を寄せ、苛立ちを押さえるように唇をひん曲げているのが異質といえば異質であった。

 もう一人の少女はいかにも暢気そうな空気を振りまいていた。隣の少年が放つ不穏な気配を間近に浴びながら、まったく困った様子がない。せいぜいが片頬に手をあてて小首を傾げている程度だ。

「みかちゃんにも困ったものねえ」

 表情と真逆のことを口にして、少女が少年に目を向けた。

「……いつものことだけどな」

 壇上の御歌土に視線を向けたまま、少年がそう返す。

「どうしよっか? 司ちゃん」

 だが続く問いかけに、司と呼ばれた少年は無言。奥歯を噛み締めて、御歌土を睨みつける。

「そっか」

 ふう、と少女は嘆息した。

「司ちゃんも我慢強くなりました。一応は最後まで聞くんだね?」

「……十年ぶりだからな」

 その歳月で、あいつは多分、何も変わっちゃいない──それは確信に近かったが、一縷の希望が司を押し留めていた。

 いくらなんでも、十年も経てば少しはましになっているはず。

 そう信じたい。

 信じたかった。

 けれど──

「"虐げられし者達"よ」

 司の願いをよそに、御歌土は絶好調だった。

「そなたたちをこの島に呼び集めたことには無論大きな理由がある」

 それは歌うような響きだった。その眼には大きな慈愛が宿っていた。

 自分は敵ではないのだと。皆の救い手であるのだと。そう信じて疑わぬ、確かな意図を持って、少女は長口舌を始めたのだった。

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