異世界へ
「ついて来て」
目の前の褐色の少女はそう告げると踵を返して歩きだした。言われるがままオレもその後ろについていく。
その容姿はどう見ても日本人ではなかったが彼女の発した言葉は日本語のそれに聞こえた。
儀式場のようなこの空間には少女と同じような格好をした連中が大勢いた。その肌の色も独特な耳も同じでこいつらが同じ種族の人間なのだとはすぐに理解できた。
彼らは彼女が近づくと自ずから道を空けていく。通り過ぎる度彼らの会話が耳に入ってくる。
「おいおい、あの悪魔ヒト型じゃん」
「え!って事は中級以上かよ!?」
「でもアイツが払った代価って右目だけじゃん」
「あー、聞いたことあるぜ。悪魔になりたての悪魔ってヒトの姿しているらしいぜ」
「じゃあ、アレ最下位クラスか?!そんな雑魚役に立つのかよ?」
「『死神』様にとっちゃ、使い魔なんていてもいなくても一緒なんでしょ」
「けっ、サルバトーレの魔剣が無ければあんな女!!」
「しっ!!聞こえるわよ!!」
ご主人様の周りからの心象はあまり良いものではないらしい。あと、オレを雑魚呼ばわりしてた奴は後で絶対殺す。
自身に向けられる悪意などに見向きもせず我が主は儀式場を出て行く。一瞬その表情が悲しげなものに見えた気がするが自分にできるのは悪態をついていた奴らを干し首にするぐらいか。間違いなく面倒事になるので実行に移すつもりは無いが。
とにかく今は遅れずについていくことにする。
*
恐らく寮と思われる建物に入り、彼女の部屋の前まで着くと彼女はこちらを一瞥し少し思案するそぶりを見せたあと、
「少し待ってて」
と短く告げ一人で部屋に入っていった。特にする事も無く、通り過ぎていく制服姿の連中の奇異の視線に耐えつつ、廊下に立ち尽くすこと約10分
「入っていいわよ」
と、やっとの事、ご主人様からの入室許可が下りた。
「・・・失礼しまーす」
女の子の部屋に入って興奮する、という年齢ではそろそろ無いのだが入った瞬間に鼻腔を撫でる甘い香りには少しどぎまぎしてしまう。
部屋を見渡す。可愛らしい女子の部屋、というよりは高貴な貴族の寝室といった様相だ。天蓋付きのベッドなど始めてみた。最低限の機能性を考えて置かれた家具は数は少ないがどれも一級品だとわかる。ここは寮のようだがどの部屋もこんなに豪勢なのだろうか?
「・・・座ったら?」
促されるまま、新品のクロスが敷かれた木製の丸をテーブルを挟んで彼女の向いに座る。
彼女を見ると先程まできつく閉じられていた右目は黒い皮の眼帯で覆われている。
「その目はどうしたんだ?」
少女の顔が露骨に不機嫌なものになる。
「・・・あなたを召喚する為に支払った代価よ。わからないの?」
代価、そんな物が必要なのか。どうやら契約満了後の魂だけでは足りないらしい。という事はこの少女の右目はオレ知らぬ間にオレの腹に収まったと言う事か。
「・・・ああ、すまない。悪魔になったばかりなんだ」
自身が猟奇的な性格であることは承知しているがカニバリズムの趣味は無いのでいい気分ではない。それに嫁入り前であろう少女の顔に傷を残してしまったことにそれなりには柄にも無く罪悪感を感じてしまう。
「まぁいいわ。どのみち右目には複製魔眼をいれるつもりだったし・・・・悪魔ってお茶は飲むの?」
聞きなれない単語があったが少女はあっさりと怒りを納め、そんな質問をしてきた。
「え・・・いや、どうだろう・・・少なくともオレは問題無く飲めると思う」
悪魔になってまだ何も口にしていないから正直解らない。人の魂や人肉しか口に出来ない、なんて事になっていない事を願うばかりだ。何度も言うがカニバリズムの趣味は持ち合わせていない。
「セリ、彼と私にお茶を」
「はい、かしこまりました、お嬢様。」
驚いた。この部屋にはオレと目の前の女しかいないと思っていたらどうやらもう一人いたらしい。
セリと呼ばれたその給仕姿の少女は慣れた手つきで二人分の紅茶を淹れるとオレと彼女の前にティーカップを置く。
オレが存在に気づかなかった・・・何者だ?少し観察してみる。我がご主人とは違い肌は雪のように白い、あと、あれは、猫耳?・・・・いやいや、そういう髪形か。
メイドばかり見ているとご主人が小さく咳払いをした。
「話を始めたいのだけれどいいかしら」
「あ、ああ」
そう言えば、オレはさっきから目の前のこの小娘の事を、「ご主人」とか「我が主」などと心の中で呼称している。しかし契約を結んで仮の主従関係にあるものの敬意払う気は微塵も無かった。それにも関わらずオレの根底にある部分、心とか魂、的なものがこの小娘を「主」として認識している。仮にオレがこの場で彼女をくびり殺そうとしても実行には移せないだろう。この「契約」と言うのが言葉だけでなくそういった魂に作用するような強力な拘束力のある「契約」なのだと理解した。
「さて、じゃあ自己紹介でも始めましょうか」
少女が話を始める。オレはそんな彼女を尻目に一人嘆息する。誰かの下に付いて殺しをする日が来るとは・・・・。
*
「ダークエルフゥゥ?」
「そうよ、ちなみにそこのメイド、セリ、彼女は獣人よ」
「はぁい、そうですよー」
セリは笑顔で小さく手を振っている。
主、名をメルティ=k=サルバトーレが言うには自分達はオレが認識しうるところの”人間”では無いらしい。ダークエルフ、獣人、どちらもファンタジーの中だけの存在だ。いわゆる亜人。しかし、彼女らの容姿は確かにファンタジーで描かれているようなそれだ。シフの頭から生えた猫耳など、どうやら彼女の意思で自由に動かせるらしくピョコピョコと可愛らしく揺れている。
しかも、さらに驚く事にここはオレの立場で言うところの”異世界”なのだそうだ。
”悪魔になったオレは異世界に召喚されました”、なんてまるで下手なライトノベルのタイトルみたいな展開だ。普通ならにわかには信じ難い状況なのだが、部屋の窓から一望できる町並みやそこを歩く人々の姿は、なるほど異国情緒ならぬ異世界情緒にあふれている。火を噴く巨大な鳥が街の上を飛んでる様などいかにも、といった感じだ。
ここはダークエルフの国らしく道行く者の殆どがメルティと同じ様な容姿をしている。シフのような獣人、背の低い長い髭を生やした種族も確認できるがその数はまばらだ。
「さてここがあなたの知っている世界とは別の世界だとは認識して貰えたみたいね」
「・・・ああ」
よく考えればオレ自身が悪魔などというファンタジーそのもののような存在なのだ。ただの思考停止かもしれないが認めざる終えない。
「では今度は私達、ダークエルフが置かれている状況、いえ、戦況について話すわね」
「・・・戦況?戦争でもしているのかあんた等?」
「そう、それが私があなたを召喚した理由。あなたは戦争の道具としてここにいる。この国、ボルグス帝国の戦力として、そして私の剣であり盾である事がこの世界での使い魔たるあなたの存在理由よ」
告げるメルティの目はオレを一個人としては見ていなかった。国の戦争資源の一つ、武具であり道具、彼女の目は”使い魔”であるオレをそう捕らえていた。いやオレだけでは無い彼女のその目は自分自身にすら同じように向けられている。
オレはこんな目をする職業の連中を知っていた。
「・・・あんた、軍人なのか?」
「いいえ、まだ違うわ。私はこのボルグス王立仕官学校の2年生よ。とはいえ戦況が激化したおかげで何度か軍の作戦に参加しているわ」
仕官候補生という奴か。しかし、この少女の目は何度か戦場にたった、程度の兵士がしていいような目じゃない。
彼女が参加したという”何度か”の作戦がこの年端のいかない少女にこんな目をさせているのか。
*
「・・・・ずいぶんややこしい状況らしいな」
話が終わりメルティに散歩をしてくると告げた俺は一人、仕官学校内のベンチに腰掛ながら図書室からくすねてきたこの世界について記された資料に目を通していた。
彼女の説明は理路整然としたものではあったが、自分がもといた世界とはなじみのない状況でこうしてもう一度自分自身で確認を取っているわけだ。
「あれが、生命の樹か」
地図上での距離は日本の端から端位は離れている筈だがここからでもよく見える天を貫く超巨大な樹、名を”生命の樹”。
この世界に恵みと繁栄、そして闘争をもたらし続けているこの世界の根源たる存在。
資料の内容を思い出す・・・。
*
この世界は一度完全に滅んだ。
全ての生命は息絶え、山は崩れ、海は砂漠となった。されど惑星は死することなく全てが滅んだ後も一万年の時を静かに待ち続けた。
そして、ある日、一つの小さな生命が砂漠の真ん中に芽吹いた。生命の樹である。
駆れ果てた地でその芽は瞬く間に成長し天を衝く大樹となった。
大樹の根元から湧き出した水は海を創り、葉は大気中の猛毒を吸収して澄んだ大気を吐き出す。世界中に伸びた大樹の根はところどころが海から顔を出しそこはいつからか大陸となった。
いつか、海には魚が、陸には木々や草花、そして動物が姿を現していた。どれも生命の樹が生み出したものだ。
されど文明を持つ生命体が現れる事無くさらに2000年の時を過ごす。そして2000年後、生命の樹からある文明が出現する。竜族である。優れた知性と統制力そして翼をもった彼らは瞬く間に地上と空を支配しこの世界に君臨した。この時代の文明は後の文明よりも遥かに優れたものであった。
されど竜族の栄華は1000年の後、終焉を迎える事となる。
天敵の出現である。巨人族。生命の樹から生み出せれたそれは徒党を組み、道具を用いて竜を墜し
その肉を貪った。
知性も統制も竜族の方が遥かに上だった。されど、この世界に最初に生まれ天敵など今まで存在しなかった竜族には闘争と言う概念が無かったのだ。なまじ知性が高すぎるゆえ同属での争いの無意味さを生まれた時から理解していた。動物を捕食するにしても生命体としての格が違う為に一切のリスクを生じなかったのだ。故に彼らは食らうだけで相手を殺す術を知らなかった。
故に自分達より知性が低い、されど自分達と同等の戦闘力と自分達の知らない戦術という概念を持つ巨人族は彼らの天敵になり得たのだ。
そして竜族が闘争という概念を理解した時にはすでに彼らの種族は3分の1程にまで駆逐され、反対に巨人族はかつての十倍にもその勢力を伸ばしつつあった。
竜族は生き残った同胞を束ね巨人族に最期の強襲を決行する。竜族は大気を震わし空から侵攻し対する巨人族の大軍勢は大地を揺らしこれを迎え撃った。
数では完全に巨人族の有利。しかし、もとより巨人族を遥かに上回る能力をもった竜族は巨人達を圧倒する。
吐き出す炎は巨人達を彼らの街ごと焼き払い。その爪は強靭な巨人の肉体を引き裂いた。そして雄たけびを上げながら殺しつくした巨人を食らうその姿はまさに史上最強の捕食者であった。
それは、もはや闘争ではなかった。彼らにとってこれは報復。一切の保身を捨てた怒りに任せた復讐であった。
しかし一体、また一体と竜たちは巨人達の反撃によって地に墜されてゆく。いくら優れた個体の能力をもったとしても数の差を埋めるには至らなかったのだ。
すべての竜が地に磔られ巨人達によって処刑された。その頃には巨人の数は半分にまで減っていた。
こうして竜の時代は終わりを告げた。