転生完了
「メルティア=K=サルバトーレ」
自分の名前が呼ばれ、少女は堂々とした態度で祭壇の前にたった。石造りの祭壇の上には複雑な魔法陣が描かれている。
「代価を」
祭壇の向かいに立つの神官が告げる。
「代価を」
「代価を」
「代価を」
それに呼応するように他の神官達が祭壇と少女取り囲むように立つ。
「代価を」
「代価を」
「代価を」
少女を取り囲む神官達が口々に唱える。その声に少女は小さく眉をひそめるがすぐに元の毅然な表情に戻ると懐から儀式用の短刀を取り出した。
鞘から引き抜くと刃は怪しげな光を宿していた。
そして少女は、一切の躊躇いも無くその刃を自分の右目に突き立てた。
*
「それで戒斗、君はどうする?」
立ち上がり俺の前までやって来たレムリアは顔を覗き込みながらそうたずねてきた。
「え?ああ・・・そうだな・・」
レムリア突然話を振られた事と、彼女のこ蠱惑的な表情につい曖昧な返事を返してしまう。怪人の奴は迷うこと無く了承してしまったが自分はそう簡単には決断を出せずにいた。その怪人と言えばわれ関せずといったように足を組んでソファーに座り本棚から取り出した本を読んでいる。そもそも悪魔に転生するなど荒唐無稽にも程がある。まぁ、この状況自体が荒唐無稽そのものなのだが。
「仮に・・・断ったりしたらどうなるんだ?」
「断る?君がか?そんな選択肢が君の口から出るとは思っていなかったが・・・・・うむ、そうだな、もしそんな選択肢を君が選んだら・・・消えてもらうよ」
そういってこちらを見据えるレムリアの目は確かに彼女が悪魔なのだと理解するのに十分なものだった。
そして同時に吐き気を催すほどの殺気がこの空間を支配する。一つはレムリアから俺に向けられたもの。
もう一つは怪人からレムリアに向けられたものだ。
血が凍りついたのかと感じるような重い緊張が走る。
その永遠のように感じる、されど現実には一瞬の緊張を破って先に動いたのは怪人だった。
パタン、と読みかけに本を閉じた怪人はソファーから跳ね上がるように立ち上がる。そしてレムリアの顔を鷲掴みにすると陶磁器のように白い肌に怪人の爪が深く食い込む。
そしてそのまま、少女の姿をしたそれを一切の躊躇も無く地面に叩きつける。何度も、何度も。彼女の後頭部が打ち付けられる度に頭蓋骨と床が砕ける音が響き渡る。
床が朱に染まり水音が混ざってくるほど打ち付けた後、今度は彼女の無造作に黒髪を掴み上げその小さな身体ごと振り回し本棚めがけて投げ捨てた。
掃除が行き届いていなかったのか本棚が崩れると大量の埃が宙に舞い上がる。
「おいおい、痛いじゃないか」
レムリアの声が響く。その口調は今の怪人の仕打ちなど無かったかのように軽い。
「糞が・・・」
対してそう返した怪人の声には焦りと悔しさが滲む。ふと見ると、彼が先ほどまでレムリアを蹂躙していたその右腕が無くなっていた。切断されたのではなく力任せに引きちぎられたような傷跡だ。
そしてゆっくりと立ち上がり怪人に近づいてゆく。引きちぎった怪人の右手を引き摺りながら。
その肌も髪も着飾った白のフリルワンピースにも一切の乱れも汚れも無い。
「そう、怒るなよ、戒斗が大人しく悪魔になればそんな事はしないさ。それに私は戒斗が引き受けてくれると信じているしね」
怪人に擦り寄る程の位置まで近づき上目遣いでその悪魔はそう微笑みかけた。
完全に頭に血が上っている怪人はその言葉に耳を貸すことなく左手を振り下ろすがレムリアはそれをかわしスカートを翻し軽やかに怪人の背後に回りこんだ。
「落ち着けって・・・ほらコレは返すからさ」
ズブリ、と嫌な音を立て怪人の背中に彼自身の右腕が突き立てれる。
「ごふっ・・・!!」
血を吐きその場に膝を着く怪人。動けなくなった怪人の髪をすきながらレムリアはこちらを見据える。
「さぁ、どうする?」
どうする、もなにも無い。この状況で自分が選べる選択肢など決まっている。
*
「いやぁ、二人とも快く承諾してくれて私もうれしいぞ」
本当に愉快そうに笑うレムリアからはさっきまでの殺気は感じられない。
「がるるるる・・・!!」
さっきの事もあってか怪人は敵意を剥き出しで彼女を睨み付けている。傷自体はすでに跡形も無く完治していた。その回復力にはレムリアも驚き、お前本当に人間か?、などと関心の声を漏らしていた。
「さて、では早速、契約といこうか」
パチン、と彼女が指を鳴らすと俺と怪人の前に羊皮紙のような立派な質感の紙が出現する。そこには見たことも無い文字がびっしりと書き記されている。
「それはギアスロール、絶対遵守の契約書だ。この契約書を用いて交わされた契約はたとえ神であっても違えることはできない。よく内容を理解した上で納得したら自分の血でサインをしてくれ」
「理解ってこんな文字・・・」
読めませんよ、と言おうとして異変に気づく。確かに見たことが無い文字なのだが目を通すだけでその意味が理解できるのだ。
最後まで読み終え自分の血でサインを記す。隣を見ると怪人も同じようにサインを終えたところだった。
「うむ、結構、結構。これで君達はこの瞬間から悪魔となった。歓迎するよ我が同胞」
大仰な仕草で両腕を広げ歓迎の意思を伝えてくるレムリア。
「おい、悪魔となった、つっても俺の身体は今までと何も変わってねーぞ・・・まさかてめぇオレ達を騙したのか?」
イラついた口調で怪人がレムリアに詰め寄る。俺自身も悪魔になったと言われても自覚が沸かない。ただサインをしただけで何の変化も身体には顕れてはいない。
「落ち着けよ。騙してなんかいない、お前ら悪魔になったからってすぐに私みたいな完全無欠で最強、その上、超絶美少女の超弩級のスーパー悪魔にでもなれると思っているのか?雑魚が」
「ああ?喧嘩売ってんのか?」
安い挑発に食って掛かる怪人。そんな彼の反応を面白そうに眺めながら彼女は続ける。
「いいか?君達、というか悪魔になりたての者は全て下級悪魔のさらにその最下位に位置づけられる。上に上りたければひたすら業を積むしかない。まぁ、君らすでに下級悪魔のスペックじゃないからすぐに上にこれるさ。怪人もすぐに私ともう少しまともにじゃれても平気になるよ、ふふ」
「てめ!!今すぐ・・・」
「おっとほら早速仕事だ」
飛び掛る怪人をヒラリ、とかわしどこからとも無く現れた紙を目の前に突きつける。
「・・・召喚要請?」
「そうだいくら人間をシコシコ殺しまくったって業は大して増えない。人の魂を食らえ。それが最も効率良く業を積む方法だ。そして悪魔だけに許された特権でもある。自分を召喚した主の為に馬車馬のように働き、主の最期にその魂を食らうのだ」
「なんかイメージと違いますね・・・レムリアさんもそんなことを?」
「ん?ああ、若い時はね。私程上位の悪魔になればしょぱい契約なら無理やり破棄して召喚者の魂を奪えるよ。まぁ、君達にとって今は大事な下積み期間だ、楽なんてしようとせずせいぜい身を粉にして働くことだ。わかったらほら、仕事だ仕事。怪人これはちょうどあつらえたかのようにお前向きの仕事だ。たっくさんぶっ殺せるぞ」
怪人の眉がピクリと反応する。レムリアから書類を奪い取るとじっくりとその内容を確認する。そして読み終えた怪人の顔には笑みが浮かんでいた。
「・・・いいじゃねぇか、実に俺向きだ」
「順調にいけばその契約者の寿命分は向こうにいなきゃならない。私からすれば一瞬のような時だが悪魔になりたてのお前にしたら相当な時間に感じるだろう。それでもいいんだな?」
「もちろんだ」
「そうか、ならば・・・」
天井から紐が垂れ下がる。レムリアはその紐を掴むと思いっきり下に引いた。
「行って来い!!」
音も無く怪人の立っていた床が消える。へ?と言う普段聞かない素っ頓狂な声を上げ怪人は奈落の底に落ちていった。
*
身体が怪しげな光に包まれていた。
その光が小さくなっていくにつれて自分が見慣れない場所に立っていることに気づく。手荒ではあったがどうやらオレはうまい事召喚されたらしい。
洞穴の中に造られた祭壇のようなものの上にオレは立っているようだ。祭壇を囲むようにローブをまとった神官がそして目の前には若い女が立っていた。
その女の右目はきつく閉じられもう片方の空色の瞳がオレを品定めするように見つめている。
その無遠慮な視線に対抗するようにオレもその女を観察してみることにする。
蕩けるような飴色の肌、短く切りそろえられた銀色の髪。引き締まったその肢体を包むそれは制服を思わせるデザインをしている。整った顔立ちは可憐さと同姓すら惹きつけるであろう麗しさを兼ね備えている。
気になるところがあるとすれば、その尖った長い耳だけだ。まるでファンタジーの世界の住人のようだ。
何はともあれ、この女がオレが悪魔として最初にその魂を貪るご主人様なのだと直感的にわかったのだった。