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不思議の国の紫苑  作者: 青波零也
アステエルの御伽話
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パンドラの箱

パンドラの箱【Pandora's box】

 人類最初の女パンドラが神々から「開けてはならぬ」と言われた箱を開けたことで人類にあらゆる害悪を解き放つことになったが、その箱の一番底には小さな希望が残っていた、とされるギリシアの神話。

 人は、禁止されたことほどやってみたくなるものだ。もし、箱を開けた時の結果を聞かされていたとしても、パンドラはいつか箱を開けていたのではないだろうか。

 ――それが、「人らしさ」というもの、だろう?

 

 *   *   *

 

 女神暦一〇八一年、ライブラ共和国リベル、噴水広場。

 カイル・フローウェンはそこで、一人の魔女に出会った。

 

 

「あら、お久しぶりね、カイル。

 そんな怖い顔しなくてもよいのではなくて? 今日の私は魔女ではなくて、人畜無害な吟遊詩人。伝説の『歌姫』ならともかく、私の歌では人一人殺せやしないわ。だから、そう身構えるのはやめてちょうだい。

 けど……そういえば、この前面白い話を聞いたの。歌う箱に殺された人の話。

 興味がおありかしら。それなら私のお話に付き合ってちょうだいな。そうね、ほんの少しあなたの懐から銀貨を恵んでくれるともっと嬉しいわ。もちろん話を聞いてから、あなたが金を払うに値する話か判断してくれればいいのよ。

 案外良心的じゃないか、って? 何しろ私はただ物語りたいだけだもの。それで金を取るなんて、何とも、ねえ。けれど金が無ければ心も体も飢えるばかり、物語ることも歌うことも出来やしない……だから、あなたが面白いと思ったら、私の豊かな毎日のために、その気持ちを形にして分けてほしいというわけ。

 それじゃあ、物語を始めましょうか。

 これは、ある小さな町のお話。そこには小さな喫茶店を営む、一人の男がいたわ。

 彼の周りにはいつも小さな子供が集まっていて、とても賑やかだったそうよ。その理由が彼の持つ小さな箱。きらきら輝く色とりどりの宝石に飾られた、女神ユーリスの横顔を彫った箱……それだけで、煌びやかなものに憧れる女の子の目を奪うことも出来たけれど、もちろんただ綺麗なだけの箱じゃないわ。

 彼の持つ箱は、まさしく不思議の箱。何と彼の手の上にある時だけ、誰も知らない音楽を奏でたの。

 歌う箱、なんて珍しいでしょう。魔道具にも音を記録するものはあるけれど、何日も同じ音を奏でることは出来ない。正しく魔力を篭めていたって、いつかは必ず劣化して聞こえなくなってしまうものよ。

 だけど、その箱は常に同じ曲を、毎日同じ音色で奏で続けたというわ。

 その音色は、まるで天上の響き。女神の箱舟が奏でたという鈴の音に似ていたそうだけど、何処まで誇張なのかは私の知ったことではないわね。

 ともあれ、子供たちは歌う箱を求めて毎日彼の元を訪れては、箱を鳴らすよう彼にせがんだわ。子供たちに箱の中身が見えないように彼がちょいと仕掛けを施して箱を閉じると、少しの間だけ箱が歌うという仕組み。

 どんな仕掛けなのだろう、と子供たちはこぞって箱の中身を見たがったわ。けれど、彼はにっこり笑って首を横に振るだけで、決してその中身を見せることは無かった。箱はとても丈夫なものでね、しかも彼は仕掛けを施した後に鍵をかけてしまうから、子供たちは最後まで中身を見ることが出来なかったの。

 当然、歌う箱のことは、子供たちじゃなくて大人たちも不思議に思ったわ。ただ、子供たちよりもずっと疑り深い目で彼を見ていたのは確か。変な手妻を使って子供たちを集める男を疑いたくなるのも、まあ、わからないでもないけれど、ね。

 そんな大人たちの冷たい視線を浴びながらも、彼は笑顔で毎日毎日箱を歌わせた。子供たちの喜ぶ顔が見たかったのかしらね。町の子供たちの誰もが箱の歌を口ずさむようになったその頃に……一人の泥棒が、彼の店に忍び込んだの。

 泥棒といっても、その日は何を盗もうとしたわけじゃない。箱の秘密を明かして欲しい、という町のとある人物からの依頼で、彼の知らない間に店に置いてある箱の鍵を開けようとしたのよ。

 驚いたことに、箱には何も魔法がかかっていなかった。ただ、単純だけど頑丈な鍵が取り付けられていて、それが箱を固く閉ざしていたわ。魔法の鍵を開けることには慣れていても、魔法でない仕掛けの鍵には慣れていない泥棒は相当苦心したけれど、やっとのことで箱を開けて、その中身を見た途端に店を飛び出した。

 泥棒は、すぐさま雇い主に自分が見てしまったものを告げたの。すると雇い主もすっかり怯えてしまって神殿に連絡したわ。雇い主はその町の中でもそれなりに偉い人だったからでしょうね、数日後には町にユーリス本殿の司祭が巡礼に訪れたの。

 その日も彼は歌う箱を手に子供たちに囲まれていたわ。甘い果実のジュースを片手に、皆で声を合わせて歌を歌っていた。

 そこに、突然巡礼の司祭様……と名乗る異端審問官、影追いが現れたの。

 子供たちは自分たちの知る『司祭様』とは違う、恐ろしげな雰囲気を湛えた影追いを前に怯えて、手を取り合って震えていたけれど。彼は何もかもを悟った風に、自分を迎えに来たのかと問うたものよ。影追いたちは有無を言わさず子供たちの前から彼と歌う箱を奪い去って、幻のように消えてしまった。

 そう……歌う箱は女神ユーリスの歴史には存在し得ないもの、禁忌機巧だったの。禁忌機巧を持っていると知られてしまった彼は、異端として神殿に告発されたのよ。

 けど、彼が何処から箱を手に入れてきたのかは誰にもわからないままだったわ。彼は、子供たちの前では箱については何一つ、黙して語らなかったというからね。

 ああ、歌う箱が本当は何だったのかって?

 あえて言わなくてもわかるのではないかしら。Musicbox、自鳴琴……魔法の力抜きで、一つの曲を奏でる自動楽器よ。おそらくは、女神ユーリス降臨以前のものを復元したものだと思っているわ。

 そう、あんな簡単な仕組みで動く自鳴琴ですら、神殿は魔法の力とは違う仕組みを持つ禁忌の機巧として存在を許さなかった。自鳴琴の仕組みを知る彼を殺して箱を消すことで、全てを楽園の闇に葬り去って無かったことにしたのでしょうね。

 そうすると、歌う箱を持っていた彼は阿呆で間抜けな異端研究者だった、もしくはその異端研究者から禁忌であるかも知らずに箱を預かっていただけのかもしれないけれど、その辺りは私も推測することしか出来ないわ。

 結局、歌う箱とその持ち主は、二度と戻っては来なかったから。

 かつて歌う箱に群がっていた子供たちは、大人たちから箱と彼のことは忘れるよう言い含められて、彼がいた店も当然潰れて跡形も無くなってしまった。以来、その町では彼と歌う箱のことが語られることは無くなってしまった、というわけ。

 こうして、一人の男が歌う箱と共に楽園の歴史の闇に消えていった。

 これで、この話はおしまい。

 ……あら、何だか納得いかない顔をしているわね。

 語られることが無くなったなら、何故私が知っているのか、って?

 簡単なことよ。あなたは、『忘れろ』と言われたことを言葉通りに忘れられる? むしろ、言われれば言われるだけそのことばかりを考えてしまうのが人という生き物だと思うのだけれど。

 私は、この話を町の外に出た、かつて子供だった『彼ら』から聞いたわ。歌う箱のこと、歌う箱をとても大切にしていた男のこと。忘れるように言われた彼らは誰一人、彼のことを忘れてはいなかった。私の前で、彼の箱が奏でた『誰も知らない』歌を口ずさみもしていたわ。

 ねえ、カイル。彼はね、こうなることがわかっていたのではないかと思うの。

 歌う箱は、結果的に彼を殺した。それは覆しようの無い事実。

 そして、彼はその運命を甘んじて受け入れたわ。受け入れざるを得なかったのかもしれない。

 けれど、彼が好きだったであろう歌は、歌う箱に触れた子供たちの中で歌われ続けている。箱そのものが失われた今も、神殿が奪うことの出来ない記憶の中に、歌は確かに受け継がれたの。

 まるで、遠い世界の神話のようじゃないかしら?

 恐ろしい箱の中には、必ず小さく煌く素敵な何かが隠されているものよ」

 

 

 語り終えた吟遊の魔女にカイルは銀貨を一枚渡し、それとは別にもう一枚銀貨を渡した。

 二枚目の銀貨を見て首を傾げる魔女に対し、カイルは「彼への歌を」とだけ言った。心得たように頷いた魔女は膝に乗せていた八弦琵琶を異形の腕に抱えなおし、細い指先で爪弾きはじめた。

 カイルには、前奏を聞くだけでそれが「彼」の持っていた歌う箱の歌であることが理解できた。

 そして魔女は歌い始める。女神と世界樹の楽園にはあるまじき、遠い世界の神を賛美する歌。琵琶の音色と女の歌声で紡がれる『誰も知らない』はずの歌を聞きながら……カイルは、きっと箱が奏でる音色で遠い世界に思いを馳せたであろう名も知らぬ男に、彼なりのやり方で冥福の祈りを捧げた。

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