第50話 私が決める
三鍵封緘(別々の組織が鍵を持ち、三者が揃わないと開けられない保全方式)の金庫の前は、静かだった。
静かすぎて、私の呼吸の音だけが聞こえる。
枢機卿、庫長、国文書所。
三人が鍵箱を置き、国王名代の文書命令が机に置かれる。
記録官が紙を広げ、ペンを構える。
今日は開封ではない。
最終封印(今後、誰の道具にもならない形で閉じること)だ。
リュカが術式具を置いた。
その指先はいつもぶっきらぼうなのに、今日は少しだけ丁寧だった。
「芯は回帰の起点だ。お前を戻した。……でも同じだけ、お前を削った」
ノアが静かに続ける。
「封印すれば、戻れない。けれど、削れ方は止まる」
エリオットは、私を押さない目で見た。
「決めるのは君です。ここで誰かが代わりに決めたら、また同じことが起きる」
誰かが決める。
決められる。
そのたびに、私は箱に入れられる。
喉の奥が冷えた。
母の顔の輪郭が薄い。今も、薄い。
でも、薄いことを私はもう隠さない。
私は、胸の内ポケットから小さな帳面を取り出した。
最初の頁に太く書いてある。
セレナ・アルヴィス
次の頁。
カイル よぶ
エリオット かみ
リュカ まほう
ノア しずか
こわいとき みる
幼い字。
でも、私の輪郭。
私は金属片を握り、角の痛みで自分を縫い止めた。
そして、紙を出した。
「とめる」
書いた瞬間、胸の奥が静かになった。
怖さが消えたわけじゃない。
でも、怖さの上に“決めた”が乗った。
記録官が読み上げる。
「対象者、芯の最終封印を選択。筆記による意思表示。立会い、記録」
その音が、私の世界を固定する。
リュカが頷き、術式具を芯に向ける。
「なら、やる」
三つの鍵が順に回る。
封蝋が押され、術式印が重なる。
受領番号が更新される。
芯は、もう道具ではなく保全物(勝手に動かせない預かり)になった。
誰かの“奇跡”でもない。私の“罰”でもない。
その瞬間、頭の中が妙に静かになった。
薄い部分は薄いまま。
でも、これ以上崩れない。
(終わった)
遅れて涙が来る。
膝が笑い、私は立っていられなくなって、外套の端を掴んだ。
カイルの外套。
合図じゃない。
ただ、落ちないための掴み方。
カイルが私を抱き留める。
逃がさない距離なのに、息ができる距離。
「よく決めた」
私は紙に書いた。
「こわかった」
カイルは低く言う。
「怖くていい」
そして、額に短く口づけた。
許される場所。逃げない場所。
「これからは、俺が増やす。お前の“覚えてる”を」
増やす。
その言葉が、未来の形になる。
数日後、王城の公告板(公式掲示)に貼られたのは、結末の要点だった。
聖女職の停止。統合派の解体。
誓文原本の押収と無効。
香の使用の禁制。
教会の越権を禁じ、王政と教会の分離を明文化。
白い正しさは、もう単独では世界を縛れない。
私は最後に、自分の紙を一枚だけ掲示した。
名前ではなく、短い一文。
「わたしは ここにいる」
誰かが笑い、誰かが頷き、誰かが目を逸らした。
それでいい。私は誰の正しさにも、もう入らない。
帰り道、カイルが私の手を取る。指を絡める。
私は同じだけ返す。合図ではなく、ただ。
カイルが、少しだけ声を揺らした。
「……婚約は、続けるか」
盾の声じゃない。
男の声。
私は紙に書いた。
「つづける」
そして、もう一行。
「わたしが えらぶ」
カイルの目が熱くなる。
彼は短く笑って、私の名を呼んだ。
「セレナ」
呼ばれるたびに、輪郭が少しずつ濃くなる気がした。
私は彼の手を握り返した。
強くない。でも、逃げ道のない温度で。
(私が決める)
(そして、私は生きる)
完




