第48話 提出口
王城文書所の提出口は、朝から人が絶えない。
紙束を抱えた者、封筒を胸に押し付けた者、緊張で指先が白い者。
そして、その列の外側に置かれた小さな机。
記録官(記録を取る役)と、提出口係(提出を受け付ける役)が並ぶ“臨時の目”。
エリオットが、受領証を一束置いた。
「本日、誓文原本が来ます。提出停止の仮処分申立て(手続きを一時止める申立て)は受理済みです。提出があれば、その場で本人確認と原本照合を」
提出口係は封蝋を見て、顔を引き締めた。
「承知しました。提出者の署名、差出人、保全先、受領番号。形式で取ります」
形式。
その言葉は、私の胸を少しだけ落ち着かせる。
形式は、口の熱に流されない。
でも、落ち着いた分だけ、喉の奥が冷えた。
ここは入口。奪われたら終わる入口。
カイルが、私の手を取った。指を絡める。
強くはないのに、離れない形。
「息、合わせろ」
私は頷いて、指を一度だけ握り返した。
(ここ)
カイルの親指が、私の手の甲を小さくなぞった。丸い跡みたいに。
それだけで、喉の空白が崩れずに済む。
ノアが、私の掌に氏名カード(名前を書いた札)を重ねた。
セレナ・アルヴィス
「薄くなったら、見て」
私はカードの角を撫で、金属片も握った。
角の痛みが、私を現実へ縫い止める。
列が進む。
午前の光が斜めに差し、提出口の木枠が明るくなる頃。
白い外套の男が現れた。
胸元に、枢機卿府の紋。
手には、長い羊皮紙の筒。
(来た)
エリオットが一歩も動かず、提出口係に目だけで合図する。
提出口係は淡々と手を出した。
「提出者名、身分証、差出人、保全先」
男は胸を張る。
「枢機卿府書記官。差出は聖女様。保全は正教会文書庫」
その瞬間、ノアの目が冷えた。
「保全先は国文書所です。昨日の条件で通っています。教会単独保全は不可」
男が眉を吊り上げる。
「これは信仰の誓いだ。国が口を挟むものでは――」
「信仰ではない」
エリオットの声が、静かに落ちる。
「文書だ。提出するなら国の保全先に従え」
提出口係も続けた。
「提出物検査(提出物の確認)を行います。封の状態、紙質、水印、そして内容の抜粋確認。拒否するなら拒否理由を文書で提出してください」
拒否理由を文書で。
その一言で、男の喉が鳴った。
彼はしぶしぶ筒を差し出した。
提出口係が封を解き、羊皮紙が広げられる。
人の目ではなく、紙の目がそこへ集まる。
リュカが術式具をかざした瞬間、眉が動いた。
「触媒の癖がある」
触媒(筆跡や紙の癖を似せるための道具)。
その言葉だけで、空気が冷える。
ノアが羊皮紙の端を持ち上げる。
「枢機卿府の水印がない。……これ、枢機卿府の紙じゃない」
提出口係が声を落とした。
「偽造の疑い」
男の顔色が変わる。
羊皮紙を引っ込めようとした手首を、カイルが掴んだ。
痛めない。折らない。
ただ、逃がさない。
「動くな」
低い声。
その瞬間、背後から白い声がした。
「……騒がしいですね」
聖女エレノアが、提出口の奥から現れた。
微笑みは整っているのに、目は笑っていない。
「国が信仰を妨げている。皆さん、見てください。これは迫害です」
周囲の職員がざわつく。
ざわつきは、危うい熱になる。
でも、エリオットは紙で切った。
「迫害ではない。偽造の疑いで提出を止めている」
聖女は笑みを崩さない。
「偽造? なら本物を出せばよいだけです。……その前に」
視線が、私の喉へ刺さる。
「あなたは統合を拒みますか?」
罠。
ここで声が出ない私を、“意思がない”にする罠。
喉の奥が凍りかけた瞬間、私は反射でカイルの指を二度握った。
(いいえ)
カイルが即座に言い切る。
「拒否。令嬢は統合を拒否している」
聖女が微笑む。
「代弁」
その瞬間、エリオットが受領証を机に置いた。
紙が、机に着地する音がする。
「意思補助登録(本人が言いにくい時の意思表示を補助する登録)は受理済み。補助手段は国の簿冊に固定されている。否定するなら、否定理由を文書で。署名で」
微笑みが、ほんの一瞬だけ遅れた。
私は小さな紙を出して、震える字で書いた。
「わたしが きめる」
提出口係の目が、私の文字へ移る。
口ではなく、字が当事者として立つ。
提出口係は淡々と宣言した。
「提出停止。偽造の疑い。差出人確認不備。保全先条件違反。よって受理しません」
受理しません。
その一言が、扉を閉める音だった。
聖女の目が細くなる。
「……なら“本物”を出しましょう」
彼女が指を鳴らした――ように見えた。
リュカが低く言う。
「匂い、来る」
だが、その前に記録官が机を叩いた。
「本日の提出口は、香の持ち込み禁止(条件違反は即時中止)として告示済み。発動があれば記録し、鑑定官が封緘します」
聖女の動きが止まる。
紙が、香より先に届いた。
その場で、白い外套の男は拘束された。
拘束は暴力ではない。手続きと記録が作った結論だ。
聖女は微笑みを貼り直して去っていく。
去り際、私にだけ落とす声が冷たい。
「……あなたの奇跡を、奪います」
胸が冷える。
でも私は、カイルの手を合図ではなく握った。握るだけで、逃げないと決める。
カイルが低く言う。
「奪わせない」
その言葉が、喉の空白に熱を入れた。
エリオットが提出口係へ向き直る。
「今の羊皮紙は偽造。だが、聖女が“本物を出す”と言った以上、本物は存在する。所在を洗う。出入り記録、運搬記録、保管庫の開閉記録」
ノアが静かに頷く。
「本物が出れば、今度は“合法の顔”になる。……だから、出る前に押さえる」
リュカが短く吐く。
「移送だ。提出前の移送。そこを潰す」
私は金属片を握り、角の痛みで自分を固定した。
薄くなる前に、次の入口を握る。
次に潰す罠は、もう見えている。
誓文原本を“別口”で運び込み、誰にも触れさせず受理だけ通すこと。




