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異端の奇跡でやり直し。~正教会が世界を染める前に、私が潰します~  作者: 綾瀬蒼


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第47話 夕刻の奇跡


夕刻までの時間は、短いのに長かった。


王城文書所の廊下を抜け、法務官室を経由し、広場の掲示担当官まで押さえる。

紙は走れば追いつく。けれど、群衆の熱は走るだけでは追いつけない。


エリオットが最後の封筒を机に置いた。


「公開祈りの集会、開催はできる。ただし“王城広場の使用”は国の手続きに従う。条件を付ける」


担当官が頷き、読み上げる。


「持込物検査(持ち込む物の確認)。香の持ち込み禁止。火器禁止。記録官同席。鑑定官同席。違反は即時中止」


リュカが鼻で笑った。


「良い。匂いを殺せる」


ノアは、静かに私の手のひらに氏名カード(名前を書いた札)を重ねた。


セレナ・アルヴィス


「人の目が熱いほど、あなたの輪郭は薄くなりやすい。……カードを見て」


私は頷き、カードを握る。

握った瞬間、カイルが私の手を取った。指を絡める。


「離すな」


低い声。命令形なのに、甘い。


私は返事の代わりに一度だけ握り返す。

(ここ)


カイルの親指が、私の手の甲を小さくなぞった。丸い跡みたいに。


(……好き)


言えないのに、胸の中だけが勝手に書いてしまう。




広場は、白で満ちていた。


祈りの幕。白い花。白い衣。

でも白の中心には、祭壇がある。誰かが意図して作った中心。


聖女エレノアは、群衆の前に立っていた。

微笑みを整えたまま、こちらを見る。


「国が、信仰に条件を付けるのですか」


エリオットが、掲示担当官から受領証(受け取った証明)を受け取り、淡々と返す。


「広場の使用に条件が付くのは当然です。あなたが拒むなら、開催自体ができない」


群衆がざわつく。

聖女は笑みを崩さず、ゆっくり頷いた。


「分かりました。神の前で、国の形式にも従いましょう」


(従うふり)


そう思った瞬間、喉の奥が冷えた。


リュカが私の首元を見て、ぶっきらぼうに言う。


「布、ずれてる」


指先が冷たい。銀糸の位置を直す。

近くて、息が跳ねる。


それを見たカイルの腕が、私の肩に被さった。


「早くしろ」


苛立ちじゃない。焦りの声。


リュカが鼻で笑う。


「はいはい」


ノアが小さく囁いた。


「今、あなたが揺れるのは当たり前。……揺れても、戻れるように」


私は氏名カードを握り直し、金属片も握る。角の痛みで輪郭を縫う。




持込物検査が始まった。


祭壇脇の箱が開けられ、担当官が一つずつ確認する。

蝋燭、布、杯、水、書板、羊皮紙。


担当官が問う。


「香は?」


聖女が微笑む。


「不要です。神は香などなくとも降ります」


その言い方が、逆に怪しい。


リュカが一歩前へ出た。


「鑑定官として確認する。布、祭壇布、外套。全部」


鑑定官(魔術的な検査をする担当)という肩書きは、今日だけは刃になる。


聖女の目が細くなる。


「……どうぞ」


リュカが術式具をかざす。空気がきしむ。

次の瞬間、彼の眉が動いた。


「出た」


小さな陶片が、祭壇布の裏から落ちた。割れた香の器。

昨日と同じ匂いの、同じやり口。


群衆の息が止まる。


担当官が声を荒げた。


「香の持ち込み禁止に違反! 記録官、記録!」


記録官のペンが走る音が、広場のざわめきを割った。


聖女の微笑みが、ほんの一瞬だけ割れる。


「……誰かが仕込んだのでしょう」


「なら、あなたの管理不備だ」


エリオットが淡々と切る。


「あなたの催事で、あなたの祭壇から出た。責任はあなたに帰る」


白い空気が、初めて揺れた。

白は正しさの顔をするけれど、証拠には弱い。


(ざまぁ)


胸が熱くなって、涙が出そうになる。


その瞬間、カイルの手が私の手を一度握った。落ち着けの合図。

私は同じだけ返す。


(ここ)




聖女は、そこで引かなかった。


香の器を担当官に渡しながら、声を張る。


「見なさい。これが国のやり方です。祈りを妨げ、奇跡を疑い、信仰を汚す」


群衆がざわめき、怒りが戻りかける。


だからエリオットは、紙を一枚掲げた。


「国医所見(国の診察結果)。掲示済み。あなたが“病”と言って連れ出そうとしたことも、拒否の記録も、全部ある」


ノアが静かに続ける。


「信仰は汚れていない。汚れているのは、手続き違反と隠し香だ」


聖女の視線が私に刺さる。


「あなたは、文字で隠れるのですね」


胸がひやりとする。

でも私は小さな紙を出し、震える指で書いた。


「わたしが きめる」


群衆の中で、誰かが声に出して読んだ。


「……わたしが、きめる」


言葉が、伝染する。

紙は一人の手から、百人の口へ移る。


聖女の微笑みが、薄くなる。




それでも聖女は、最後の一手を残していた。


彼女は羊皮紙を掲げた。

署名欄が並ぶ、長い紙。


「ならば、皆で誓いましょう。王家と教会の統合を、神の前で」


誓文(署名で縛られる契約)。


喉の奥が凍る。

あれが成立した瞬間、回帰の逃げ道は閉じる。私だけじゃない。皆も縛られる。


リュカが低く言った。


「来た。こっちが本命だ」


ノアの声が一段落ちる。


「……統合派の誓文。群衆で成立させれば、家も権利も一気に縛れる」


エリオットが即座に叫ぶ。


「その誓文、提出手続きは? 誰が受領し、誰が保全する? 受領番号は? 立会いは?」


聖女が笑う。


「祈りに番号が必要ですか」


「必要だ」


エリオットの声は冷たい。


「番号がない誓文は、後で差し替え放題だ。あなたの得意技だろう」


群衆がざわつく。

“差し替え”という言葉は、さっきの隠し香の記憶と結びつく。


聖女は表情を変えずに、羊皮紙を差し出した。


「なら、あなたが受領すればいい」


その言葉が、罠だった。


受領した瞬間、こちらが誓文に触れたことにされる。

触れた者が汚れる。群衆の前で。


(悪い勝ち方)


私は喉が痛んで、反射でカイルの指を二度握った。

いや。


カイルが、即座に私の前に半身で立つ。誰の目からも私を隠す角度。


「拒否」


低い声。


「令嬢は誓文を拒否している。ここでの署名行為も拒否している」


記録官がペンを走らせる。

拒否が紙になる。


聖女が、群衆へ向けて声を張った。


「見ましたか。彼らは、統合を恐れているのです」


その瞬間――群衆の前列から、一人の若い貴族が進み出た。


「なら……私が署名します。信仰のために」


若い男の指が、羊皮紙へ伸びる。


(だめ)


私は息を吸う。

声は出ない。喉の奥の空白が、拒否を吸い込む。


だから私は、紙を出した。


大きく、震える字で。


「だめ」


それだけ。


でも若い男は、止まらない。

止まらせるには、紙だけじゃ足りない。


カイルが動いた。


男の手首を掴む。痛めない。折らない。止めるだけ。

それでも群衆が息を呑む。


「触るな」


低い声。


「署名は自由だ。だが、この誓文は手続きがない。後で人生を奪われる」


若い男が反発しかけた瞬間、ノアが静かに前へ出た。


「あなたの家名で答えてください。誓文の保全先はどこですか。誰が原本を持ちますか」


若い男が詰まる。

答えられない。


聖女が、そこで一歩前へ出た。


「原本は私が預かります。神の僕として」


その言葉に、群衆の熱が戻りかけた。


――だからエリオットが、最後の刃を落とす。


「預かるなら、提出しろ」


淡々と、受領証の束を掲げる。


「文書所へ提出。受領番号を付けて保全。公開で。今この場で。できないなら、あなたは“差し替えるつもり”だ」


群衆が、聖女を見る。

白い正しさが、署名と番号の前で揺れる。


聖女の微笑みが、わずかに遅れた。


(出せない)


その一瞬で、若い貴族の手が止まる。

止まったところへ、リュカが低く言った。


「よし」


空気が戻る。




けれど聖女は、負け方を選ばない。


彼女は羊皮紙を畳み、群衆へ慈悲の顔を向けた。


「今日はよいでしょう。では代わりに、祈りを。署名ではなく、唱和を」


唱和。口で縛るやり方。


喉の奥が冷える。

言葉は、奪われる。


その瞬間、カイルが私の耳元に落とした。


「俺を見る」


私は頷き、彼の指を一度握る。


(ここ)


そして気づく。

カイルの呼吸が、私に合わせている。

私が崩れれば、彼も崩れるみたいに。


(……重い)


重いのに、嬉しい。恋はそういう形で胸に来る。


エリオットが担当官へ向き直る。


「開催条件違反は、もう一つ出ている。隠し香の時点で中止できる」


担当官が頷きかけた瞬間――


聖女が静かに笑った。


「中止? 群衆の祈りを止めるのですか」


白い圧が、担当官へ向く。

止めれば悪者になる。止めなければ、聖女が勝つ。


(ここが本当の勝負)


ノアが、小さく一歩前へ出た。


「祈りは止めない。だが“手続き違反の催事”は止める」


言葉が静かで、強い。


「あなたが本当に祈りたいなら、明日、正式な持込検査を通し、香の器も提出し、誓文原本も提出しなさい。受領番号を付けて。そうすれば誰も止めない」


群衆がざわつく。

“明日”という具体が、熱を冷やす。現実の冷え。


聖女の目が、ほんの少しだけ細くなる。


「……明日、ですか」


その間に、彼女は別の箱を作れる。

だから、私は紙を出して書いた。


「いま やめて」


短い。幼い字。

でも今の私の全部。


カイルの手が、合図じゃなく握り返してくる。

離さない、の言葉。




担当官が、木札を掲げた。


「開催条件違反。隠し香の持ち込み。よって本日の催事は中止。解散を」


ざわめきが爆ぜる。

でも同時に、記録官のペンが走り、鑑定官が香の器を封緘袋へ入れ、受領証が作られる。


封緘(開けたら分かる封印)。

受領証(受け取った証明)。

番号。


群衆の熱の前に、冷たい鎖が立つ。


聖女は、最後に私へ微笑んだ。


「……あなたは、紙で生き延びましたね」


私は紙に書いた。


「まだ」


まだ終わっていない。

まだ削られる。

でも、まだ折れる。


聖女の笑みが、ほんの少しだけ凍る。




解散の波が広場を揺らす中、私はふと気づいた。


母の顔。

輪郭が、また一段、薄い。


(さっき、何か唱えかけた?)


喉の奥が痛む。怖さが遅れて来る。


カイルがすぐに私を包むように引き寄せた。外套の内側、誰の目も届かない距離。


「見なくていい」


低い声。


「今日は勝った。だから、今は俺の中にいろ」


その言い方が、甘くて、苦しい。


私は返事の代わりに、ただ彼の服を掴んだ。

合図じゃない。恋の掴み方。


少し離れた場所で、エリオットが受領証を揃えながら言う。


「香の器は取った。群衆の前で。これで次は“香ではない”と言い張れなくなる」


ノアが頷く。


「でも、誓文の羊皮紙は持ち帰られた。……次は、提出される前に押さえないと」


リュカが吐き捨てる。


「提出されたら終わりじゃねえ。提出されたら、奪えねえ。だから逆に、提出前の“移送”を潰す」


エリオットが結論を落とした。


「次に潰す罠は、誓文原本を王城文書所へ“正当に提出”してしまうこと。提出された瞬間、相手は合法の顔をする」


私は金属片を握り、角の痛みで自分を固定した。


次に潰す罠は、もう見えている。


誓文原本の提出を止めること。

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