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異端の奇跡でやり直し。~正教会が世界を染める前に、私が潰します~  作者: 綾瀬蒼


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第43話 意思補助登録


会議室を出た廊下は、さっきまでの緊張が嘘みたいに冷えていた。

冷えた空気が、喉の空白を撫でる。


母の顔。

輪郭が薄い。


(……思い出したいのに、掴めない)


私は金属片を握って痛みで自分を縫い止めた。

その動きを、カイルが見逃さない。


「今はいい」


低い声。命令形なのに、抱きしめるみたいに近い。


「いま、消えるもんは追うな。……俺が追う」


胸が熱くなって、苦しい。

私は返事の代わりに、ただ彼の指を握った。合図じゃない握り。


「……離すなよ」


カイルが小さく言った。


その横で、エリオットが封筒を整理しながら淡々と告げる。


「聖女が“正式申立て”に行くなら、こちらも正式に先手を打ちます。――時間の主導権を奪う」


ノアが頷く。


「後見申立ては、手続きに入った瞬間“審査が長引くほど相手が削れる”」


リュカが吐き捨てる。


「だから長引かせねえ。短く潰す」


エリオットが一行で結論を出した。


「意思補助登録を入れます。今日中に」


「……登録?」


私が小さく言うと、エリオットは私を見て、ほんの少しだけ声を柔らかくした。


「あなたが“言えない”なら、“あなたが選んだ代理人”を国の簿冊に固定する。

そうすれば、相手が後見を申し立てても――審査の最初にあなたの登録が必ず参照される」


登録されていれば、勝手に外されない。

“いないこと”にされない。


(紙で、私を席に縛る)


私は喉の空白を抱えたまま、頷いた。




夜の王城文書所は、昼より静かだった。


書類の擦れる音、蝋の匂い。

それだけが世界の輪郭を作る。


受付の上級書記官が眉をひそめる。


「意思補助登録? ……そんな制度、普段は使いません」


「普段じゃないから使うんです」


エリオットの声は淡々としているのに、逃げ道がない。


「対象者の発話阻害が議事録に記録され、香の妨害も証拠保全され、さらに刻名式の停止命令違反も記録されている。

――この状況で“普段”の枠に入れる方が不自然です」


書記官が唸る。


「登録には立会いが――」


「枢機卿府立会い、庫長立会い、国文書所立会い。揃っています」


ノアの父(枢機卿)が短く言う。

その一言で、書記官の肩が落ちた。


「……分かりました。ですが、登録の内容は厳格に。代理権の範囲は限定してください」


「限定します」


エリオットは最初から用意していた紙を出した。


《意思補助登録申請書》

•対象者:セレナ・アルヴィス(発話阻害あり)

•補助手段:筆記/合図(握り回数)/氏名カード

•指定代理人:エリオット(法務担当)

•代理権の範囲:

 ①隔離・拘束・誓文・刻名等の同意拒否の代弁

 ②証拠保全・鑑定請求・手続差止申立

 ③記録官立会いの要求

•期限:30日

•解除:対象者の×印ひとつで即時

•禁止:財産処分/婚姻成立行為/誓文締結


私はその紙を見て、胸が少しだけ楽になった。

縛るのではなく、守るだけ。

そして、いつでも×で切れる。


(誓文と違う)


エリオットがペンを私の前に置く。押さない。待つ。


カイルが隣で、私の指を包むように握った。


「書ける」


小さな断言が、背骨を立てた。


私は震える指で、申請書の余白に○を書いた。

同意。

続けて、小さく書く。


「わたしが えらぶ」


書記官がそれを見て、目を逸らさずに頷いた。


「……記録。対象者、自署に準ずる意思表示あり」


受領証が作られる。

受領番号が付く。

封蝋が押される。


その瞬間、世界が少しだけはっきりした。


《意思補助登録 受理》


(取った)


(時間を奪われる前に、時間を奪った)




だが、聖女は“時間で殺す”ことだけが武器じゃない。


書記官が最後の確認として言った。


「登録が入った以上、後見申立てが来ても直ちに却下にはなりません。

ただし――相手は“医療鑑定書”を添付してくる可能性があります。『精神・記憶摩耗』を根拠に」


医療鑑定書。


(偽造される)


リュカが短く吐いた。


治癒師ヒーラーの紙を出してくるぞ。教会付きの」


ノアが静かに言う。


「教会の“診断”は、信仰語が混ざる。……それを国の医療に見せかける」


エリオットが即答した。


「ならこちらも今夜、国の鑑定予約(=国医による診察枠の確保)を受理させる。先受理で、相手の紙を鈍らせる」


書記官が眉を上げる。


「今夜、国医は――」


枢機卿が淡々と答えた。


「呼べる。王家は今、教会の越権を嫌っている」


“嫌っている”。

政治の匂いがする。でも今は、それも味方。


エリオットが畳みかける。


「記憶摩耗の経過を“国医の形式”で残す。香の影響も、刻名式接触も、全部。

そうすれば、聖女の紙は“宗教の印象”に落ちる」


紙で、紙を折る。


私は喉の空白を抱えたまま、けれど少しだけ笑いたくなった。

だって、こんな戦い方、私たちしかしていない。




手続きが一段落したところで、私はふと気づいた。


エリオットが、ずっと“私を見ない”で待っていたこと。

私が○を書く瞬間も、視線で押してこない。


(押さない人)


私は衝動的に、紙の端に小さく書いた。


「ありがとう」


それをエリオットに見せると、彼は一拍だけ固まって――ほんの少しだけ、口元を緩めた。


「……礼は不要です。これは、あなたの権利だから」


権利。

そう言って誤魔化すのに、耳が少し赤いのが可笑しい。


その横で、カイルが無言で私の手を取って、手の甲に親指で小さな○を描いた。


“ここ”。


その仕草が、恋の印みたいで胸が苦しい。


ノアが私の掌に、いつもの氏名カードを重ねた。


セレナ・アルヴィス


「……薄くなっても、戻れます」


その声が、優しすぎて怖い。

優しさは、記憶より先に刺さるから。


リュカはぶっきらぼうに言った。


「……お前、今日よく書いた。書けるなら勝てる」


褒め言葉が不器用で、逆に熱い。


私は四人を見て、息を吸った。

そして、紙に書いた。


「いまだけ だれも けんかしない」


カイルが目を細め、エリオットが小さく息を吐き、ノアが苦笑し、リュカが「は?」と呟く。


……でも、皆、頷いた。


(私が決める)


(こういうことも)




帰り道。


夜風が冷たいはずなのに、外套の中は熱かった。

カイルが私の歩幅に合わせてくれる。手は離さない。


「……怖いか」


私は頷いた。


カイルが言う。


「怖くていい。……でも、明日も来る」


明日。

聖女の“正式申立て”。


私は金属片を握り、角の痛みで自分を固定してから、紙に書いた。


「まもって」


カイルがその紙を見て、呼吸が一瞬止まったみたいに見えた。


そして、低い声で言った。


「守る」


短い。

でも、誓文より重い。


その後、言葉を足す。


「……ただ守るだけじゃない。お前が“決める”のを守る」


胸が、焼ける。

私は返事の代わりに、彼の指を――一度、強く握った。




そして、その夜の最後。


屋敷へ戻る前に、エリオットが私に封筒を差し出した。


「意思補助登録の控えです。あなたが持ってください。奪われないように」


私は受け取り、胸に抱えた。

紙の重さが、私の輪郭になる。


その時、使者が走り込んできた。王城印の封筒。


「緊急! 聖女側より――正式申立てが提出されました!」


封筒の表題。


《後見開始申立て(暫定措置付き)》


暫定措置。

――“すぐ箱に入れる”ための言葉。


そして添付。


《治癒師診断書:刻名汚染による意思不安定》


来た。

偽造する気で来た。


エリオットの目が冷える。


「……診断書の署名者、誰だ」


ノアが封筒を覗き込み、息を吸った。


「……教会付き治癒師。統合派の名が載っています」


リュカが歯を鳴らす。


「やっぱりだ」


カイルが私の手を握り、低く言った。


「令嬢。見ないでいい。――俺が前に立つ」


でも私は、見た。

見て、紙に書いた。


「うそ」


それだけで、胸が少し軽くなる。


エリオットが即答した。


「明朝、こちらも提出します。国医の予約受理と、香の成分鑑定請求、そして――診断書の真正調査(=本物か調べる)」


紙で、紙を折る。


私は金属片を握り、角の痛みで自分を固定した。


次に潰す罠は、はっきりしている。


「偽の診断書で“暫定隔離”を成立させ、私を手続きから外すこと」

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