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異端の奇跡でやり直し。~正教会が世界を染める前に、私が潰します~  作者: 綾瀬蒼


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第34話 二度握れば「いいえ」


王城文書所の窓口で、羊皮紙が光っていた。

木箱から取り出された《誓文原本》。その最上段に、私の名前が、もう書かれている。


――私が書いた字じゃない。


喉の奥が冷えた。

名前を口に出せない穴が、紙の上で勝手に埋められている。


「受理――」


受付官が言いかけた瞬間、エリオットが、紙束を机に滑らせた。


「受理留保(=いったん止めて保留する)を申請します。理由は二つ。

一つ、誓文原本に“本人の自由意思”が確認できない。

二つ、原本の体裁に疑義がある。――筆跡と触媒の疑いです」


統合派の司祭が、苛立った声を上げる。


「何を言う! 国王名代の――」


「文書で」


カイルの声が低く落ちた。盾の声。


「命令なら紙で出せ。口頭は“言った言わない”になる」


司祭の言葉が詰まった。

詰まったところへ、ノアが一歩進む。黒衣のまま、静かに。


「司祭殿。誓文は“神聖”だからこそ形式が要ります。

本人が拒否したのに署名を迫るなら、それは誓いではなく強要です」


強要。


その単語が出た瞬間、窓口の空気が変わった。

受付官の指が止まる。後ろの列の視線も止まる。


(“強要”は、紙にした瞬間に武器になる)


リュカが小さく鼻で笑った。


「……やっと、まともな単語が出たな」




受付官は困った顔で、こちらと向こうを見比べた。


「しかし……緊急扱いで……」


エリオットは淡々と、受領証を出した。


「こちらの申立は先に受理されています。受領番号もある。

先受理(=先に受付で確定した手続き)が優先です」


数字が机に置かれるだけで、私は少しだけ呼吸が戻った。

数字は、私をつなぐ。


司祭が声を強める。


「本人の意思確認なら、ここで今すぐ“はい”と言わせれば――」


喉がひやり、と鳴った。

“はい”は言える。だから危ない。

言える言葉だけを抜き取られたら、私は簡単に“同意”にされる。


その瞬間、カイルの手が、私の手首をそっと掴んだ。

逃がさない固定。震えを止める固定。


「口でやるな」


短い命令。私へではなく、場へ向けた命令。


「発話阻害がある。言葉は歪む。――意思確認は記録官立会いで、形式でやれ」


ノアが続ける。


「それから、意思確認の前に一点。

この誓文原本、最上段の氏名が“本人の自署”ではありません。本人が署名する前に氏名欄が埋まっているのは、教会法上も不自然です」


司祭が笑った。


「準備のために書いただけだ!」


「なら、誰が書いたのですか」


ノアの声は柔らかいのに、逃げ道がない。


「“誰が書いたか”が言えないなら、原本は汚染されたと見なされます。――保全が妥当です」


保全(=証拠を動かせないように預かる)。


エリオットが即座に畳みかける。


「受付官。誓文原本は本日ここで保全してください。封緘し、預かり証(=預かった証明)を出し、受領番号で固定を」


司祭が机に手を伸ばした。


「触るな!」


カイルが、その手首を掴むでもなく、ただ前に立った。

盾が“距離”で止める。


「触るなら、記録官を呼べ。今の動きは“証拠隠滅の疑い”になる」


司祭の顔が引きつる。


受付官はようやく腹を決めたように言った。


「……分かりました。誓文原本は、保全として預かります。封緘します」


木箱が引かれ、羊皮紙が封筒に入れられ、封蝋が押される。

術式印。

そして、受領番号。


(奪えた)


“原本を奪う”のは暴力じゃない。

“原本を動かせなくする”――それが手続きの勝ち方。




保全の処理が終わるまでの短い時間、私は壁際の椅子に座らされた。

外套の重みが肩に残っている。カイルの匂い。布の温度。


その温度が、なぜか痛い。


(私は、守られるだけの人形じゃないのに)


そう思うのに、守られると心がほどけてしまう。


ノアが私の前にしゃがみ、目線を合わせた。


「……声、辛いですか」


私は頷いて、首元の遮断布に指を当てた。

言葉にできない代わりに、指で“ここ”を示す。


ノアは一枚の小さな紙を出した。名刺のような厚紙。

そこに、丁寧な筆致で文字を書き始める。


セレナ・アルヴィス


書き終えると、紙を私に向けた。


「今日は……これで意思確認を補助しましょう」


私は紙を見つめ、指でなぞった。

文字の凹凸はないはずなのに、指が“形”を覚えるような気がする。


ノアは、そっと私の指先に自分の指を重ねた。

触れるだけ。押さえない。逃げられる触れ方。


「あなたが忘れても、手が覚えるように」


胸の奥が、きゅっと鳴った。


(ずるい)


(こんな優しい言葉、記録には残らないのに)


その背後で、カイルの気配が微かに強くなる。

視線が刺さる――怒りじゃない。焦りに近い。


ノアも気づいたのか、すっと手を引いた。

引いたのに、指先に熱が残った。


カイルが私の隣に立ち、短く言った。


「……俺を見る」


命令形。盾の言葉。

私は彼を見上げる。


カイルは一拍、言い淀んでから、低く続けた。


「今から“言えない”なら、合図を決める。俺だけが分かる合図」


ノアが静かに提案する。


「握る回数で。二度なら“いいえ”。一度なら“止めて”。三度なら“はい”」


“はい”は危ないのに、選択肢に入れてくれるのが、逆に救いだった。

逃げ道があると、人は耐えられる。


私はカイルの手に、自分の手を置いた。


――二度、握る。


カイルの指が、同じだけ握り返した。


「……分かった」


その声が、なぜか恋みたいに低かった。




「意思確認室へ」


呼ばれて、私たちは窓口奥の小部屋へ通された。

机と椅子。記録官。受付官。

そして、立会いとして枢機卿府の書記官と、騎士団の名札。


統合派の司祭も入ろうとしたが、エリオットが止めた。


「意思確認は“圧”が入ると無効になります。立会いは第三者のみ。異議があるなら文書で」


司祭の顔が歪む。


「では聖女が――」


「なおさら駄目だ」


カイルが言い切った。


「相手方当事者だ。入れたら脅迫になる」


小部屋の空気が張り詰める。

密室は危険。でも今日は、形式の密室だ。記録官がいる。


記録官が淡々と質問した。


「アルヴィス伯爵令嬢。誓文原本に署名する意思はありますか」


喉が、きゅっと締まる。

“署名”という言葉が、胸の奥の穴に触れる。


私は声を出さず、カイルの手を――二度、握った。


カイルが即座に言った。


「拒否。令嬢は署名を拒否している」


記録官が頷く。


「意思表示:握り二回=拒否。……記録」


ペンが走る音が、やけに心地よかった。

私の声じゃないのに、私の意思が紙になる。


記録官は続ける。


「告発状について。受理手続きに異議は?」


私は一度、握った。

“止めて”。


カイルが読み上げる。


「受理は“留保”を求める。添付資料確定と、本人の自由意思の確認が先」


エリオットが補足する。


「本日、誓文原本の保全が成立。よって、署名は物理的に不可能。告発状は受理されても、誓文による拘束効は発生しない」


記録官が淡々と記す。

一行一行が、鎖になる。


最後に、記録官が紙を差し出した。


「確認のため、ここに印を」


私は震える指で、紙の上に×を書いた。

署名ではない。拒否の印。


それだけで、胸が少し軽くなった。


(拒否が言えなくなる前に、拒否を残せた)




部屋を出た瞬間、廊下の空気がざわついた。


統合派の司祭が、受付官に食い下がっている。


「なぜ保全など! 聖女の名で――」


その言葉を、ノアが静かに切った。


「聖女の名で動くなら、令状を出しなさい。署名で。責任を取れる形で」


司祭が言い返せない。

言い返せないまま、憎しみの目だけがこちらを刺した。


その視線の中で、カイルが私の前に立ち、わざと少しだけ近づいた。


近すぎる距離。

私の肩に外套を直し、指が一瞬だけ頬に触れる。


「顔色、戻った」


耳元で言う声が低い。


(こんな場所で)


(でも、見せつけてる)


“触れられるのは俺の側だ”と。


胸が熱くなって、私は目を逸らせなかった。

逸らしたら、負ける気がした。


ノアはそれを見て、何も言わない。

ただ、小さな紙片――私の名前を書いたカードを、私の掌にそっと押し込んだ。


「……落とさないで」


その一言が、なぜか甘い。


エリオットが淡々と現実へ戻す。


「受領証、二通。保全預かり証、受理留保記録の控え。――全部揃いました」


リュカが短く言う。


「次は香だ。今日、絶対に焚かれる」


その瞬間、使者が走り込んできた。王城印の封筒。


「国王名代より通達! 本日正午、王城内・礼拝堂にて“異端告発の予備聴取”を行う! 対象者は出頭――」


礼拝堂。


密室。香。祈り。

“削り”が一番効く場所。


封筒の追記に、短い一文があった。


『聖女立会い』


喉がひやりと凍った。


(来た)


拒否の言葉が消える前に、拒否を奪いに来る。


カイルが私の手を、強くない力で握った。

二度、握り返す。合図じゃない。支えだ。


「行くぞ」


盾の声。


ノアが、私の掌のカードを見て、小さく言う。


「……礼拝堂は、僕が一番詳しい。入口も、香の位置も、逃げ道も」


エリオットが結論を出す。


「正午までに、礼拝堂の“手続き”を先に取ります。立会いの制限、香の禁止、記録官の同席。――先受理で縛る」


私は喉の空白を抱えたまま、でも二度握る合図を、もう一度カイルに送った。


(いいえ)


(誓文には、いいえ)


そして、心の中でだけ言った。


(――“拒否”が消える前に、私は勝つ)

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