第31話 採決差し止め
「本日、採決に入る」
議長代行が赤い封蝋の文書を掲げた瞬間、会議室の空気が固まった。
長机の上を回る視線。
貴族たちの喉が鳴る音。
誰もが“王家の赤”に弱い。
(ここで押し切れば終わる)
統合が決まれば、教会は国の上へ乗る。
その瞬間、今日までの鑑定結果も、私の被害も――“信仰の裁き”で塗られる。
喉の奥の空白が、冷たく疼いた。
(でも、今日は喋るのは私じゃない)
(喋るのは、添付資料)
エリオットが静かに立ち上がった。
「採決に異議があります」
議長代行が眉を寄せる。
「異議? これは勅令案だ。国王名代の――」
「だからこそです」
エリオットの声は淡々として、刃がない。
刃がないから、折れない。
「統合準備を議決するなら、添付資料が必須です。――今日の鑑定結果、記憶干渉の予備所見、押収調書、入退室記録、すべて」
議長代行が苛立ちを滲ませる。
「配布したではないか」
「配布しました。ですが――勅令案本文に添付として固定されていません」
その言葉で、会議室の空気が一段変わった。
“配った”と“添付した”は違う。
配った紙は、後で抜ける。
添付された紙は、抜けない。
エリオットが続ける。
「添付として固定されない限り、議決後に『見ていない』『知らない』が成立します。――それは、議決の瑕疵です」
財務大臣が、重く頷いた。
「議決の瑕疵は致命的だ。後で無効になれば、国が揺れる」
魔術大臣も続く。
「統合準備は宗教権限の拡張を含む。なおさら審査資料が必要だ」
議長代行は唇を噛み、赤い封蝋を机に置いた。
「……では添付を後で――」
「後では遅い」
エリオットが即答する。
「採決前に固定しなければ意味がありません。採決後の添付は改ざんと同じです」
枢機卿が静かに言った。
「議長。彼の言う通りだ。教会法でも、審議資料は議決前に確定する」
聖女の目が、枢機卿へ向く。冷たい。
(枢機卿府も一枚岩じゃない)
ノアが立ち上がり、淡々と言う。
「統合を望むなら尚更、“不正の疑い”は切り落とすべきです。受理簿の混入が確定した今、資料の確定なしに進めれば、統合派自体が疑われます」
聖女の唇が僅かに歪む。
「あなたは統合を妨げたいだけでしょう、ノア様」
「妨げたいのは、不正です」
ノアの声は揺れない。
その瞬間、議長代行が苛立ちを押し殺して言った。
「……よろしい。添付資料の確定を行う。だが採決は本日中だ」
本日中。
譲らない。
時間で押すつもりだ。
(だから次の刃は――“添付の内容”)
エリオットが、机の上に封筒を並べた。
封蝋。術式印。受領番号。
「添付資料は、封印済みのまま“番号で固定”します」
議長代行が眉を寄せる。
「中身を見ずに?」
「中身は既に公開鑑定で読み上げられ、公告板でも掲示されています」
エリオットは淡々と言った。
「ここで必要なのは“同じもの”を添付したという固定です。受領番号で一致を取れます」
魔術大臣が頷く。
「受領番号で一致なら、改ざんはできない」
議長代行は渋い顔で、書記官へ顎をしゃくった。
「……番号を列挙し、勅令案に添付として書け」
書記官がペンを走らせ始める。
赤い封蝋の横に、黒いインクで数字が増える。
数字が増えるほど、嘘が減る。
私はその様子を見ながら、金属片の角を握った。
(数字は、私を繋ぐ)
だが、聖女は黙っていなかった。
彼女は微笑みを戻し、柔らかい声で言った。
「議長。添付を増やすほど、国は混乱します。統合は“信仰の安定”のためにある。――今は決めるべきです」
決めるべき。
“空気”で押す言葉。
そして、次の刃。
「それに――」
聖女は私を見た。
「対象者は、言葉を失っています。あの者の周りの者が、都合の良い紙を並べているだけでは?」
喉が冷える。
言えない穴が疼く。
(ここで、私を“偽物”にする)
だが、エリオットは待っていたように言った。
「なら、なおさら添付が必要です」
会議室が静まる。
「本人が言えないからこそ、国の鑑定官、記録官、受領番号、封印。――第三者の形式で固めた。都合が良いなら、異議は文書で」
鑑定官の名が出る。
記録官の名が出る。
第三者の重みが増す。
財務大臣が冷たく言う。
「都合が悪いなら、あなたも文書で反論しなさい。口ではなく」
魔術大臣が続ける。
「触媒混入への反論も、文書で」
騎士団長が短く言う。
「記録に残らない争いは、秩序を壊す」
聖女の微笑みが、また薄くなる。
(口で勝てない場所を作った)
添付番号の列挙が終わり、書記官が読み上げる。
「統合準備勅令案、添付資料:公開鑑定結果(受理簿)、記憶干渉鑑定予備所見、押収調書控え、入退室記録欠落の記録――以上、受領番号……」
数字が並ぶ。
その瞬間、私は“嫌な予感”を感じた。
(数字が、ひとつ違う)
直感じゃない。
金属片の角を握ると、数字の形が頭に浮かぶ。
私が握ってきた受領番号の刻みと――読み上げの数字が、微妙に違う。
(混ぜた?)
(差し替えた?)
喉が詰まりかける。
私は声を出せない。
指摘できない。
だから私は、指で示した。
机の上の受領証。
私が持っている控え。
エリオットの視線を引く。
エリオットは一瞬で理解し、すぐに言った。
「確認を」
議長代行が苛立つ。
「またか」
「またです」
エリオットは淡々と言った。
「添付資料の受領番号、今読み上げたものと、こちらの受領証に記載のものが一致しません」
会議室の空気が凍った。
書記官が青くなる。
「そ、そんな――」
魔術大臣が机を叩く。
「番号をもう一度」
書記官が震える声で読み上げ直す。
……やはり違う。
議長代行が顔色を変えた。
「誰が書いた」
書記官が怯えた目で聖女を見る――より先に、聖女が微笑んだ。
「些細な誤記でしょう」
誤記。
誤記で済ませれば、差し替えが通る。
エリオットが即座に切る。
「誤記なら訂正手続きが必要です。訂正印、訂正理由、訂正者名、訂正日時。――なしに直せば改ざんです」
枢機卿が静かに言った。
「訂正しなさい。今ここで、全員立会いで」
ノアが淡々と補足する。
「誤記のまま採決すれば、後で議決無効になります。統合派が望むのは“安定”でしょう?」
聖女の目が冷たくなる。
(刺さった)
議長代行は歯を噛み、宣言した。
「採決は差し止める。添付番号の再確認と訂正を終えるまで、議決に入らない」
木槌が鳴った。
――採決が止まった。
私は息を吐いた。
喉の空白が、少しだけ軽くなる。
(勝てる)
(私が喋れなくても)
休会が宣言され、人々が立ち上がる。
その瞬間、聖女が私の横を通り過ぎ、私にだけ聞こえる声で囁いた。
「……数字にすがっても無駄」
冷たい声。
「あなたの“異端の奇跡”は、紙に残らない」
紙に残らない。
その言葉が、胸に突き刺さる。
(真相に近い)
私は金属片を握り、痛みで自分を固定した。
聖女は続ける。
「次は、あなたの“始まり”を奪う」
始まり。
――ループの起点。
記憶が削れる制約。
“異端の奇跡”。
私の中で、点が線になりかける。
そのとき、ノアが私の袖にそっと指を触れた。
人目のある距離で、でも確かに支える触れ方。
「……今夜、枢機卿府で“奇跡の記録”を探せます」
小さな声。
「教会には、奇跡を“記録する台帳”がある。統合派が隠している」
奇跡の記録。
(紙に残らないはずのものが、残っている)
私は喉が動いた。名前は言えない。でも――
「……いく」
小さく、言えた。
カイルが即座に言う。
「俺も行く」
エリオットが頷く。
「今夜が勝負です。次に潰す罠は――“始まりを奪われる”こと」
採決は止めた。
でも敵は止まらない。
私のループが“異端の奇跡”なら――
それを記録した紙が、必ずある。
今夜、枢機卿府でそれを掘り起こす。




