第30話 発言不要の罠
「発言不要」
紙の上のその四文字は、優しい顔をしていた。
不要。つまり「配慮」みたいな顔。
でも本当は、刃だ。
私の喉の空白を、罪の証拠に変えるための刃。
「名も言えない者が、何を言う」という空気を作るための刃。
私は机の上で指先を握りしめ、木枠の刻みを思い出した。
S・A。○。
(私はいる)
(いると、残す)
「令嬢」
エリオットが紙を覗き込み、淡々と言った。
「これは“禁止”ではありません。『不要』は、こちらが“必要”に変えられる」
必要に変える。
どうやって?
私は喉に手を当てる。言えない。
でも、紙は喋る。
「――陳述書(=本人の言い分を文書にしたもの)を作りましょう」
エリオットはもう結論に着いていた。
「評議会があなたを議題にするなら、あなたの陳述は“必要”です。拒否するなら、『拒否した』を議事録に落とす」
カイルが私の横で低く言う。
「本人を入れないなら、入れない理由を紙にさせる。……紙は逃げない」
リュカが短く吐く。
「ついでに、匂いも持ち込ませるな。会議室は密室だ。香を焚かれたら終わる」
ノアは少し離れた場所に立ち、視線だけで頷いた。
「会議の書記官は、枢機卿府からも出ます。――議事録に落ちたものは、教会も消せません」
私は息を吸って、ペンを握った。
(言えないなら、書く)
(書けるうちに、書く)
陳述書は、長くしない。
“理解できる名詞”で殴る。
そして、相手に答えさせる形にする。
エリオットが項目を並べ、私はそれに沿って書いた。
《本人陳述書》
1. 本日までに確認された事実:
- 受理簿に聖性触媒混入(公開鑑定で確認)
- 北塔保護室にて無記録処置、香炉残滓に触媒混入(記憶干渉の予備所見)
2. 異端告発について:
- 異端認定を議題にするなら、告発状(罪名・事実・証拠・証人・管轄・告発者署名)が必要
- 告発状がない限り、隔離・拘束・審問の議決は無効
3. 統合議題について:
- 本日の鑑定結果を添付資料として付議すること
- 添付なしでの議決は、重要事実の秘匿として異議申し立てを行う
4. 私の出席について:
- 本評議会が私の権利(身柄・名誉・発言権)に影響する以上、本人出席を認めること
- 本人発言が困難な場合、陳述書の読み上げを求める
最後に署名欄。
喉が詰まりかけたけれど、書く手は止まらなかった。
私は自分の名前を、紙の上に落とせる。
セレナ・アルヴィス
書けた瞬間、胸の奥が少しだけ落ち着いた。
言えなくても、ここに残せる。
カイルが私の手首を一度だけ押さえた。
「よし」という合図みたいに。
リュカが封蝋を押し、術式印を重ねる。
「剥がしたら割れる」
ノアが低く言った。
「受領証(=受け取った証明)を必ず取ってください。『受け取っていない』が一番便利な逃げ道ですから」
私は頷いた。
王城、臨時統合評議会。
会議室前の廊下は、静かすぎて怖かった。
厚い扉。石の壁。息が吸いづらい。
入口の役人が、招待状を見て言う。
「……代理人のみ。令嬢の入室はできません」
来た。
私は一歩も引かず、封筒を差し出した。
「陳述書です。受領してください。受領証を」
役人が眉を寄せる。
「受領証など――」
「出せないなら、受け取らないのですね」
エリオットが淡々と刺す。
「受け取らないなら、その拒否を記録官に。『本人陳述書の受領を拒否』――評議会の議事録に載せます」
役人の顔色が変わった。
ここで拒否が載れば、“最初から黙らせた”と残る。
政治はそれを嫌う。
役人は渋々、封筒を受け取った。
「……受領証を発行します」
紙に番号が付く。署名が入る。
受領番号。数字。
(数字は消えない)
次は入室。
「本人は入れません」
役人が繰り返した。
カイルが一歩前へ出る。
「本人を議題にするなら、本人の入室拒否は不当だ。拒否理由を書け」
「……書く必要は」
「必要だ」
カイルの声は低い。
「拒否が正当なら、紙にできるはずだ。できないなら、拒否は正当じゃない」
役人が詰まった、その瞬間。
扉が開き、年配の男が顔を出した。
国王名代――議長代行の貴族。
「……騒がしいな」
エリオットが一礼し、即座に言う。
「令嬢本人を議題にするなら、本人の出席を拒む理由を議事録に残してください。拒否するなら、陳述書を読み上げてください」
議長代行の目が、私の喉に一瞬止まる。
そして、封筒の封印に。
彼は政治の目で理解した。
拒否は、今この瞬間、損だ。
「……入れ。だが発言は不要だ」
不要。
また同じ言葉。
私は頷いた。
不要なら、こちらは“読ませる”。
会議室は、豪奢だった。
長い机。高い天井。窓は少ない。
香が焚かれやすい、密室。
私は遮断布を袖に忍ばせたまま、席に座った。
正面には、聖女エレノア。白い外套。慈悲の顔。
その横に、統合派の司祭たち。
さらに奥に、財務大臣、魔術大臣、騎士団長、枢機卿――父親たちの顔が並ぶ。
息子たちが、その背後に控える。
(このための布陣)
議長代行が木槌を打つ。
「臨時統合評議会を開会する。議題は二つ。
一、国政と正教会の統合案。
二、異端告発の取り扱い」
二つ目に、私がいる。
議長代行が言った。
「対象者本人の発言は不要。代理人が述べよ」
“不要”が、会議室の空気を作る。
聖女が微笑んだ。
「ご覧なさい。国も、秩序を望んでいるのです」
秩序。
またその言葉。
私は金属片を握った。角が刺さる。戻る。
エリオットが立ち上がる。
「まず、議事進行に異議があります」
会議室が静まる。
「本日の公開鑑定結果と、記憶干渉鑑定の予備所見を、議題の添付資料として付議してください。添付なしの議決は、重要事実の秘匿です」
議長代行が眉を寄せる。
「……添付は後で」
「後では遅い」
エリオットが切る。
「統合を議決するなら、『教会記録の偽装』と『保護拘束中の記憶干渉』は、最重要の判断材料です。今日の事実を抜いて統合を語るのは、議決の瑕疵(=手続きの欠陥)になります」
財務大臣――エリオットの父が、咳払い一つで空気を変えた。
「議長。添付を先に。議決が後で無効になるのは困る」
魔術大臣も頷く。
「鑑定結果を外す理由がない。国の鑑定だ」
騎士団長が低く言う。
「秩序の議題なら、なおさらだ」
議長代行は、口を引き結んだ。
「……よろしい。添付資料を配布」
紙が回る。
“今日”が会議に入る。
聖女の微笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
(効いた)
次に、エリオットは封筒の受領証を掲げた。
「そして、対象者本人の陳述書を提出しました。受領済みです。議事録に載せ、読み上げを求めます」
議長代行が言った。
「本人発言は不要――」
「発言ではありません」
エリオットは即答する。
「記録です。本人の権利に関わる議題を扱うのに、本人の陳述を議事録から外すのは不当です」
枢機卿が、静かに言った。
「読み上げなさい。教会の裁きでも、当事者の陳述は残す」
ノアの父だ。
その言葉が落ちた瞬間、聖女の表情が一瞬だけ凍った。
議長代行が、書記官に顎をしゃくる。
「……読み上げろ」
書記官が封印を確認し、割る。
そして、私の陳述書を読み上げ始めた。
「――異端告発を議題にするなら、告発状が必要。告発状がない限り、隔離・拘束・審問の議決は無効――」
聖女の指先が、机の縁を叩いた。
(刺さった)
書記官が読み終えると、ノアが立ち上がった。
「確認します。聖女エレノア様。あなたは告発者ですか」
聖女が微笑む。
「ええ。私は――」
「なら、告発状は」
ノアの声は淡々としている。
「署名付きの告発状を提出しましたか。罪名、事実、証拠、証人、管轄。――形式です」
聖女の微笑みが止まった。
止まったまま、言う。
「……口頭で十分です」
「十分ではありません」
枢機卿が静かに断じた。
「口頭告発は、責任が曖昧になる。虚偽告発を防ぐため、告発状が必要だ」
聖女が唇を噛む。
(告発状を出せば、自分が責任を負う)
(出さなければ、異端は議題にできない)
エリオットが追い込む。
「よって、本日の異端議題は付議不成立(=議題として成立していない)です。告発状が提出されるまで、審議を停止してください」
議長代行が木槌を握りしめた。
「……」
沈黙が、会議室で重い。
聖女は、ここで空気を塗り替えようとした。
「国が、異端を庇うのですか」
庇う。
また、構図を作る言葉。
しかし今日は、構図ではなく書類だ。
財務大臣が冷たく言った。
「庇うのではない。手続きを守る。告発状がないのは、あなたの不備だ」
魔術大臣が続ける。
「告発するなら、責任を取って紙にしろ」
騎士団長が言った。
「紙にできないなら、拘束は誘拐だ」
聖女の微笑みが、崩れそうで――崩さない。
崩さないまま、視線を私に投げた。
「……あなたは、やはり異端の奇跡を使っている」
私の喉が冷える。
言えない穴が疼く。
でも、その瞬間、カイルが私の前に立つ。
「言いがかりは紙にしろ」
盾の声。
「紙にできないなら、今ここでそれを“撤回”しろ」
聖女の瞳が細くなる。
撤回はできない。
でも、告発状も出せない。
(詰んだ)
議長代行が、苦渋の声で宣言した。
「異端議題は、本日審議しない。告発状の提出があってから扱う」
木槌が鳴る。
――一つ折れた。
会議室の空気が、少しだけ現実へ戻る。
だが議長代行は続ける。
「次、統合案。これは――」
来る。
本丸。
統合が通れば、教会は“国の上”を取る。
異端審問の土台ができる。
私は金属片を握り、遮断布に指をかけた。
(次は統合)
(ここで止めないと、全部が白に塗られる)
議長代行が、封蝋のついた文書を掲げた。
「国王名代として、統合準備勅令案を提示する。――本日、採決に入る」
封蝋の色は、王家の赤。
会議室が息を止める。
(もう用意してあった)
(最初から、決めに来てる)
私の喉の空白が、ひやりと広がる。
――次に潰す罠は、“統合を既成事実にする採決”。




