第29話 異端告発状
「……異端の奇跡」
その言葉が落ちた瞬間、広場の空気は“白”から“灰”へ変わった。
祈りの熱ではない。
恐れの熱だ。
「異端って……?」
「奇跡が異端?」
「時間を……戻したって……?」
ざわめきが、私へ向けて針になる。
喉の奥の空白が、ひやりと疼いた。
名前を言えない穴が、ここで“罪”にされる。
聖女エレノアは微笑みを捨てた顔で、私を指さした。
「国の鑑定が、信仰を汚したのではありません。――あなたが最初から汚していたのです」
そして、はっきり言い切る。
「この者は、神の秩序を捻じ曲げた。異端として隔離しなさい。ここで」
――隔離。
“保護拘束”より、露骨な言葉。
けれど同じだ。消すための箱。
私は息を吸った。遮断布を口元に当て、金属片(受領番号)を握る。角が刺さる。戻る。
(紙で勝つ)
(紙でしか、勝てない)
私が一歩踏み出そうとした瞬間、カイルが前に出た。盾の位置のまま、声を落とす。
「令嬢、下がるな。俺が受ける」
その背中が、広場の針を引き受けるように立つ。
「聖女」
カイルの声が低い。
「隔離を命じる権限は?」
聖女の目が鋭くなる。
「神の――」
「権限は“神”じゃない」
今度はエリオットが、淡々と切った。
「ここは王城前広場。国の治安と拘束は国の権限です。異端ならなおさら、告発の形式(=正式な手続き)が必要です」
聖女は鼻で笑う。
「形式、形式。あなた方はそれしかない」
「それで十分です」
エリオットは一歩も引かない。
「確認します。聖女は今、『異端』と断じました。ならば――告発状(=罪を正式に告げる文書)を提出してください。罪名、事実、証拠、証人、管轄(=裁く場所)。全部です」
広場が、静まった。
“告発状”という単語が、人の頭を現実へ戻す。
祈りではなく、書類の世界へ。
聖女が言葉を切り替える。
「告発状など、後で――」
「後では遅い」
エリオットが即座に刺す。
「あなたは『ここで隔離しろ』と言った。今ここで拘束するなら、今ここで根拠が必要です」
鑑定官も頷いた。
「妨害は記録済み。鑑定結果も記録済み。――この場での拘束は、王城法務官の手続きが必要だ」
記録官のペンが、さらさらと走る。
“聖女が異端と名指しした”
“隔離を要求した”
“告発状の提示を求められた”
――全部、紙に落ちる。
聖女の顔が、わずかに歪んだ。
(紙にすると、逃げ道が消える)
(言いっぱなしができなくなる)
そこへ、黒衣が一人、貴族席の影から進み出た。
ノア。
枢機卿の息子。
白ではなく黒で、教会の“影”を背負っている。
「聖女エレノア様」
ノアの声は静かだったが、よく通った。
「異端告発には教会法上、告発者の署名と責任が伴います。告発者は、虚偽なら告発者自身が裁かれる」
聖女の瞳が、刃になる。
「ノア様。あなたは私を裁くつもりですか」
「裁くのは、法です」
ノアは淡々と言った。
「そして今、受理簿に触媒混入が確定しました。教会の記録の虚偽が明らかになった直後に、同じ口で異端を叫ぶのは――順序が逆です」
順序。
それは、この世界で一番強い魔法だ。
“手続きの順序”を外した者は、負ける。
聖女は苛立ちを隠さず、声を強くした。
「この者が異端であることと、受理簿の件は別です!」
「別ではありません」
エリオットが即答する。
「あなたは『神の秩序』と言った。なら、“秩序”を証明するのは記録です。記録を偽装した者が、秩序を語るのは矛盾です」
民が、ざわりと頷き始める。
「確かに……」
「紙をいじってたのに……」
「じゃあ異端って言葉も……」
聖女は、ここで“空気”を塗り替えようとした。
祈りの姿勢。
香炉の動き。
甘い匂いが、また風に乗る。
(来る!)
私の視界が滲みかけた瞬間、リュカが術式具を上げた。
「遮断結界、展開」
風が一瞬、鈍る。
匂いの速度が落ちる。完全じゃない。でも、数秒。
その数秒で、エリオットが最後の釘を打った。
「記録官。今の香の焚き上げも“妨害”として記録。聖女が告発状を出せないまま隔離を求め、香で圧をかけた――と」
記録官のペンが止まらない。
聖女の動きが、わずかに止まる。
(妨害が、記録になる)
(祈りが、武器じゃなく罪になる)
聖女は、祈りを途中で切った。
そして、冷たい声で宣言した。
「……なら、国王に申し立てます」
国王。
それは“国の上”を持ち出す合図だ。
「国王が『統合』を望めば、教会は国を裁ける。異端審問(=教会の裁判)を、国の上に置ける」
広場が、凍る。
(来た)
王政と正教会の統合――敵の目的。
ノアの顔色が、ほんの僅かに変わった。
その一瞬で分かる。
(既に動いている)
カイルが、私の手首をそっと掴んだ。固定するだけの触れ方。
「令嬢」
声が低い。
「今は勝ってる。……顔を上げろ」
私は頷いた。喉の空白が痛い。でも、下は向かない。
私は声にならない代わりに、壇の上の“鑑定結果”の封筒を指さした。
次に、記録官。
そして、聖女。
――紙が残る。
だから私は残る。
鑑定官が、最後に大きく告げた。
「本日の鑑定結果は、王城文書所へ送付。公告板に掲示する。異議は文書で提出せよ」
“文書で”。
聖女は唇を噛み、身を翻した。
「……明日、国王の御前で」
白い外套が引いていく。
白が消えるほど、広場の空気が現実へ戻っていく。
その背に向けて、ノアが小さく言った。
「……統合の会議が、今夜開かれます」
聞こえるのは、私たちだけの距離。
エリオットが即座に返す。
「なら、今夜こちらも“先に”打つ。統合の議題に、今日の鑑定結果を載せる」
リュカが短く言う。
「載せさせるじゃない。載せる。公告板はもう動く」
カイルが私を見下ろした。
「令嬢。……行けるか」
私は喉の空白を抱えたまま、金属片を握った。角が刺さる。
そして、頷いた。
(行ける)
(紙がある)
(味方がいる)
――けれど、背中に冷たい予感が走る。
“異端の奇跡”。
聖女は、私のループを罪にする。
そして罪にした瞬間、私の“やり直し”そのものが、封じられる。
次に潰す罠は――
統合会議で「異端認定の前提」を作られること。
その夜、王城から伯爵邸に届いたのは、白い封蝋の招待状だった。
《王城・臨時統合評議会 出席要請》
差出人――国王名代。
そして追記が一行。
「対象者本人の発言は不要。代理人のみ出席可」
……私を、席から外すつもりだ。
(また同じ)
(私を“いないこと”にする)
私は紙を見つめ、金属片を握りしめた。
明日は、会議室で戦う。
“発言不要”の一行を、手続きで折る。




