第28話 王城前広場の開示
王城前広場は、朝からざわめいていた。
石畳の広い空間。
王城の正門が見下ろし、左右には兵の列。
そのさらに外側に、民の輪。貴族の席。商人の背伸び。
――“誰でも見られる場所”。
ここで勝てば、嘘は逃げられない。
ここで負ければ、私も逃げられない。
喉の奥の空白が、ひやりとする。
名前を言おうとすると、そこで止まる。
私は掌の金属片を握った。受領番号。角が刺さる。戻る。
「……大丈夫だ」
カイルが私の半歩前、盾の位置で言った。
声は低いけれど、さっきより少し柔らかい。
「言えなくてもいい。今日、喋るのは紙だ」
私は頷いた。
エリオットが紙束を抱え、淡々と確認する。
「会場配置、立会い名簿、物件の封印状態、読み上げ順。――全部、先に固定済みです」
リュカは周囲を嗅ぐように見回していた。
「匂いの動きがある。香を焚く位置、あそこだ」
彼が視線で示す先、広場の端に白い外套が数人。小さな香炉を並べている。
(来る)
“匂いで削る”と、もう宣言されている。
でも今日は、密室じゃない。
匂いが動けば、誰でも気づく。
私は胸元に、薄い布を忍ばせた。魔術省から渡された“遮断布”。匂いと術式の侵入を少しだけ遅らせる。完全じゃない。けれど、数秒でいい。
数秒あれば、紙は読める。
鐘が鳴った。
鑑定官が壇に上がる。
横に記録官。机の上に封印された受理簿と、香炉残滓の封印瓶。さらに、北塔の空気瓶。
封蝋。術式印。受領番号。
数字が並ぶだけで、胸が落ち着く。
鑑定官が声を張った。
「これより、公開鑑定を開始する。対象物件は――正教会受理簿(押収物)」
最初に、封印状態の確認。
立会い署名。
封印が割れていないことを、民の目の前で示す。
エリオットが小さく息を吐いた。
「ここが肝です。封印が無傷なら、“汚染された”と言い逃れできない」
鑑定官が続ける。
「次に、併催:記憶干渉鑑定(予備所見)の読み上げを行う。対象者本人の口頭説明は不要」
私は喉の空白に触れ、少しだけ救われた。
(私は喋らなくていい)
(喋らされない)
鑑定官が読み上げる。
「北塔保護室にて、許可なき“記憶干渉”の疑い。香炉残滓に聖性触媒の混入。対象者に特定語彙の発話阻害――」
そこまで読んだ瞬間、広場の端で香が焚かれた。
甘い匂いが、風に乗って滑ってくる。
(来た)
視界の端が滲む。
喉が冷える。
言葉がほどける。
私は反射で遮断布を口元に当て、金属片を握り込んだ。
角が刺さる。痛い。戻る。
カイルの声が、すぐ背後で落ちる。
「息を吸え。前だけ見ろ」
命令形。短い盾。
私は頷く。
リュカが壇の下で手を上げた。
「鑑定官。香の干渉あり。風向き確認。匂い遮断を申請する」
鑑定官が即答する。
「記録官、記録。――香の焚き上げ位置、時刻、風向き」
記録官のペンが走る。
“匂いの妨害”が、国の記録に落ちた。
その瞬間、民のざわめきが変わる。
「今の匂い、急に来たぞ」
「聖女様の香?」
「鑑定を邪魔してるのか?」
香は、黙っていれば奇跡に見える。
記録すれば妨害に見える。
(よし)
そこへ、白い外套が進み出た。
聖女エレノア。
広場の中心に立つだけで、空気が“白く”なる。
祈りの声が自然に混ざり、民が膝をつきかける。
聖女が微笑む。
「皆さま。国が信仰を裁くのですか」
言葉は柔らかい。
でも狙いは硬い。
“国vs信仰”の構図にすれば、私の証拠は薄くなる。
鑑定官が淡々と返した。
「裁くのではない。鑑定する。――混入物の有無を確認するだけだ」
聖女が私を見る。慈悲の目。
「あなたは、苦しいのでしょう。名を言えないほどに」
喉がひやりとする。
(言えないことを、武器にされる)
私は下を向かない。
向いたら、空気に飲まれる。
私はエリオットを見る。
彼が一枚の紙を掲げた。
《告示》
対象者の発話阻害は“記憶干渉の所見”として記録済み。
よって、対象者本人の口頭説明は要しない。
紙が、私の代わりに返事をする。
聖女の微笑みが僅かに薄くなる。
「……可哀想に。国に利用されて」
利用。
その言葉が、胸を刺す。
でも、私は利用されているんじゃない。
私は、国の形式を“使っている”。
私は金属片を握り、ゆっくり一歩前に出た。
そして、声にならない代わりに――指で示した。
壇の上の受理簿。封印。受領番号。
そして自分の喉。
“言えない=干渉”の証拠。
カイルが一歩前へ出て、私の代わりに言った。
「令嬢は名を言えない。――だからこそ、誰が何をしたかを記録で問う。聖女、答えろ。北塔に入ったか」
聖女の目が一瞬だけ鋭くなる。
「私は、入っていません」
即答。
だから嘘だ。
リュカが低く言った。
「足跡は二人分だ」
エリオットが畳みかける。
「入退室記録は“ない”と看守が言った。封印粉で足跡が出た。――その二人は誰ですか」
聖女の微笑みが固まる。
「……私の部下が、保護の確認に」
「確認なら、記録は」
鑑定官が淡々と切る。
「記録がない処置は侵害。予備所見に記載済みだ」
聖女が言葉を変えようとした瞬間――
鑑定官が、ついに受理簿の封印を“立会いの下で”割った。
封蝋が割れる音が、広場に響いた。
その音は、奇跡より強い。
「これより、受理簿の筆跡と触媒の確認に入る」
鑑定官がページを開いた。
そこには――私の名前が書かれているページ。
あの“私らしい”筆跡。
喉がきゅっと縮む。
言えない名前。書かれた名前。
鑑定官が淡々と指摘する。
「この筆跡は、意図的に“対象者に似せている”」
リュカが短く補足する。
「触媒で癖を馴染ませてる。だから“似る”」
聖女が声を上げる。
「中傷です!」
鑑定官は手を止めず、術式盤にインク片を落とした。
光が走る。
次の瞬間。
鑑定官が、はっきり言った。
「――混入を確認。聖性触媒。国の文書に用いるべき成分ではない」
ざわっ、と広場が揺れた。
「混入って……偽装?」
「教会の台帳が?」
「聖女様の……?」
聖女の微笑みが、初めて揺れる。
私はその揺れを見逃さず、最後の“形”を出した。
エリオットが封筒を掲げる。
「押収調書。議事録。公告板の受領証。すべて受領番号付き。――この受理簿は“提出済み偽装”のために作られた」
そして、鑑定官が締める。
「本鑑定結果は、王城文書所に送付し、公告板に掲示する。――異議があるなら、文書で提出せよ」
文書で。
逃げ道を、また紙に閉じ込めた。
聖女は一瞬、黙った。
黙るしかない。
でも――聖女は最後の手段に出る。
彼女は祈りの姿勢を取り、広場の空気を“白く”塗り替えようとする。
「神の光よ――」
その瞬間、私は胸元の遮断布を握り、金属片を強く握った。
角が刺さる。戻る。
そして、初めて――私は声を出した。
名前じゃない。
でも、確かな一言。
「……やめて」
たった二文字。
それだけで、カイルが前に出た。
盾が動く。
「祈りを止めろ。ここは鑑定の場だ。妨害は記録される」
リュカが壇の下で、術式具を掲げた。
「風、止めるぞ」
エリオットが記録官へ言う。
「今の祈り開始も記録。妨害行為として」
祈りが、初めて“妨害”の記録になった。
聖女の唇が震える。
(折れた)
私は喉の奥の空白を抱えたまま、でも確かに立っていた。
――そして、広場のざわめきの中で、聖女の顔から“慈悲”が落ちた。
代わりに残ったのは、冷たい本音。
「……異端の奇跡」
聖女は私を見て、はっきり言った。
「あなたのそれが、最初から邪魔だった」
その一言で、広場の空気が凍る。
(来た)
真相へ近づく刃。
そして、私は理解する。
次に潰すべき罠は――
“私のループ”そのものを、罪にすること。




