第26話 記憶干渉鑑定
魔術省の廊下は、乾いていた。
祈りの匂いが薄い分だけ、頭の霧が少し晴れる。
それでも――喉の奥の空白は消えない。
(名前)
言おうとすると、舌が止まる。
“そこだけ”が抜け落ちたみたいに。
「無理に声を出すな」
カイルが私の半歩前で言った。いつもの盾の位置。
そして少しだけ声を落とす。
「俺が呼ぶ。必要な時は、俺が呼ぶ」
胸がきゅっと鳴る。
私は頷いて、掌の金属片――受領番号の刻みを握り直した。
数字。角。冷たさ。
私はそこに戻れる。
受付で、エリオットが淡々と申請書を出した。
「記憶干渉鑑定の申請。対象はアルヴィス伯爵令嬢。発生状況は“保護拘束中の無記録処置”。併せて、香炉残滓と空気の保全採取を申請します」
受付官が書類を確認し、眉を動かす。
「……教会絡みですね」
「だからです」
エリオットは一字一句、崩さない。
「密室で処理されたなら、密室で塗り替えられる。ここは国の形式で残します」
受付官が頷いた。
「受領します。受領番号を付与」
札が出る。数字が付く。
その瞬間、私の視界が少し締まった。
(私は、ここにいる)
リュカが短く言う。
「採取班、すぐ出せ。空気は時間が経つほど薄まる」
言い方が命令形で、でも不思議と安心する。
“危険物は俺が持つ”の人だ。
鑑定室に通されると、白い石の箱に机が一つ。
その上に、透明な瓶と封蝋、薄い布袋が並べられていた。
鑑定官はまず、形式を確認する。
「対象者確認。氏名――」
喉が詰まった。
(言えない)
私は口を開いて、音にならない空気を吐いた。
「……」
その瞬間、鑑定官の目が僅かに鋭くなる。
「……本人確認の代替は?」
エリオットが即答した。
「本日朝の王城文書所の口述記録控え。受領番号付き。本人署名もあります」
「提示を」
紙が出される。封印が割られないよう、立会いの下で開かれる。
鑑定官が受領番号を読み上げ、記録官が写しを取る。
「……本人署名、筆跡一致。よろしい」
鑑定官が私を見る。
「発声に異常が出ています。これは“意思”ではなく“阻害”の可能性が高い」
(阻害)
つまり、私が怯えて黙ってるんじゃない。
外から削られた結果だ。
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
カイルが背後で低く言う。
「今の一言、記録だ」
記録官のペンが、さらさらと走る。
鑑定は、残酷なほど淡々としていた。
質問が飛ぶ。
私は答えようとする。
答えられるものと、答えられないものが、はっきり分かれる。
「年齢」
「家名」
「今日の日時」
ここまでは言える。
「氏名」
そこで舌が止まる。
鑑定官が頷く。
「特定語彙のみの発話阻害。呪いではなく“記憶と発声の接続”を切っている」
リュカが横で短く言った。
「清め香に混ぜる手口だ。台帳の触媒と同系統」
鑑定官が目を細める。
「……同系統なら、痕跡が出る。採取班」
扉が開き、採取班が入る。
持ってきたのは、封印済みの小瓶と布袋。
「北塔保護室の空気採取」
採取班が読み上げる。
「採取日時、採取者名、立会い名――」
名が並ぶ。
私の味方の名が、紙に落ちる。
(人の目が、鎖になる)
小瓶に空気が封じられ、封蝋が押され、術式印が重ねられる。
剥がせば割れる。
次に布袋。香炉の残滓(=燃えカス)が入っている。
「封印、良好」
鑑定官が匂いを嗅がずに言い切った。
「匂いではなく、成分で見ます」
机の上で、残滓が溶媒に落とされる。
術式盤に置かれ、光が一瞬だけ走った。
その瞬間、私の視界が――少しだけ揺れた。
(……また薄く――)
私は反射で金属片を握る。
角が刺さる。戻る。
カイルの声が落ちた。
「息を吸え」
短い命令で、世界が戻る。
(私は、ひとりじゃない)
鑑定官が、結論を急がずに言った。
「予備所見」
紙に落とすため、わざとゆっくり。
「香炉残滓に“聖性触媒”の混入。台帳に使用された触媒と同系統。加えて、対象者の発話阻害が一致」
エリオットがすぐに問う。
「違法性は?」
鑑定官は躊躇せず言った。
「宗教行為の範疇を超えています。これは“記憶干渉”。許可なく行えば侵害。王城の保護拘束中に行われたなら、なおさら重い」
(……言った)
“侵害”と、国の口が言った。
私は喉が震えた。
嬉しいのに、怖い。これを言わせた瞬間、敵は必ず潰しに来る。
リュカが低く言う。
「公開鑑定の前に、これを“告示”にしろ」
エリオットが即座に繋ぐ。
「予備所見でもいい。『記憶干渉の疑い』として公表し、公開鑑定と同日に“併催(=同時開催)”を申請します」
鑑定官が頷いた。
「可能です。公開の場で読み上げます。――対象者本人の口頭説明は不要」
私は小さく息を吐いた。
(私が喋れなくても、勝てる形)
それが、私の戦い方だ。
そのとき、扉がノックされた。
「鑑定官殿。正教会より“停止要請”が到着しました」
空気が凍る。
(来た)
エリオットが笑わずに笑った。
「停止要請。つまり、止めたい」
鑑定官は封を切り、目を走らせ――淡々と言った。
「却下します」
一言。
強い。
「ここは魔術省。国の鑑定です。宗教組織が止める権限はない」
紙が机に置かれる音が、やけに大きかった。
カイルが低く言う。
「その却下も、記録だ」
記録官のペンが走る。
(鎖が増えた)
でも敵は、止められないなら別の手で来る。
――“本人”を潰す。
――“公開の場”を潰す。
――“証拠”を割る。
リュカが私の手の金属片を一度だけ見て、短く言った。
「次は、封印を割りに来る」
エリオットも頷く。
「公開鑑定の当日、搬送中が一番危ない。封印を割れれば『汚染された』と言える」
カイルが一歩前へ出た。
「護送は騎士団がやる。ルートも複数。――令嬢は俺の視界から外さない」
その言葉が、胸に刺さった。盾の宣言。
私は頷き、木枠の刻みを思い出す。
S・A。○。
(私はここにいる)
帰り際、鑑定官が封蝋を押した封筒を差し出した。
「予備所見の写し。封印済み。受領番号付き」
数字が付く。
紙が喋れる形になる。
私は封筒を受け取って、言えないはずの言葉を心の中で言った。
(ありがとう)
口にできなくても、心は残っている。
王城の公告板に、夜、二枚目の告示が貼られる。
《告示:記憶干渉鑑定(予備所見)》
北塔保護室にて、許可なき“記憶干渉”の疑い。香炉残滓に触媒混入。対象者に特定語彙の発話阻害を確認。
本件は公開鑑定に併催し、鑑定官が記録に基づき読み上げる。
ざわめきが起きる。
“奇跡”が、初めて“疑い”として国の文字になった。
その直後。
伯爵邸へ戻った私たちを待っていたのは、新しい召喚状だった。
差出人は――王太子。
内容は、短い。
「公開鑑定を延期する。明朝、王城へ来い」
エリオットが紙を見て、静かに言った。
「次に潰す罠は――“延期”です」
延期は、時間を奪う。
時間を奪われれば、私の記憶が先に削れる。
カイルが私を見る。
「行くか」
私は喉の空白を抱えたまま、金属片を握った。角が刺さる。
そして、頷いた。
(行く)
(延期させない)
――“紙で勝つ”ために、明朝は“王太子の口”をもう一度、記録で縛る。




