表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の奇跡でやり直し。~正教会が世界を染める前に、私が潰します~  作者: 綾瀬蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/50

第25話 入退室記録


目を開けた瞬間、白い天井が「知らないもの」に見えた。


ここはどこ。

――いや、それは分かる。北塔。保護室。閉じた場所。


分かるのに、胸の奥が空っぽだ。


「……っ」


声を出そうとして、喉が引っかかった。


(名前)


自分の名前を、言ってみる。


「――せ……」


そこで、音が途切れた。舌が固まる。言葉の手前で、空気だけが漏れる。


(……言えない)


怖さがせり上がる前に、私は寝台の木枠に触れた。


浅い刻み。


S・A


指先で辿れる現実。

私は息を吸って、もう一度、刻みをなぞった。


S・A。S・A。


掌の中には、冷たい金属片。受領番号の刻み。数字の角が刺さる。


(数字は消えない)


(なら、私は数字にしがみつく)


扉の外で、金具が鳴った。


「セレナ様。お目覚めですか」


看守の声。

私の名前を呼ぶ。


――呼ばれても、返事ができない。


私は喉を鳴らした。声にならない。


「……?」


看守が不審そうに間を置く。


「……具合は?」


具合。

その言葉は言える。


「……だい、じょうぶ」


声は出た。なのに、名前だけが空白だ。


看守は扉の覗き穴越しに私を見て、短く言った。


「司祭が来ます。清めの追加だそうです」


清め。


背骨が冷える。

甘い匂いが、まだ部屋の隅に残っている。


(もう一度やられたら、次は“何が”消える)


私は袖の内側に指を滑らせた。封印粉はもうない。昨夜、撒いた。追加は撒けない。


なら――残すのは、声じゃない。


私は木枠の刻みの上に、さらに一つだけ爪を立てた。



丸印。

“はい”でも“いいえ”でもない。

生きている、という印。


扉の外の気配が増える。司祭の足音。香炉の金具の音。


(来る)


その瞬間、廊下の奥で――別の足音が重なった。


硬い革靴。迷いのない歩幅。

そして、金属の短い鳴り。


――笛。


一音だけ。


空気が変わった。


「止まれ」


低い声が落ちた。聞き覚えがある。盾みたいな声。


「ここは保護室だ。入退室の記録(=出入りの記録)を出せ」


看守が慌てた声で返す。


「副隊長殿……!? 同伴は――」


「同伴じゃない。監査だ」


言い切る声。次に、紙の擦れる音。


「拘束調書の控えがある。執行者名も場所も、昨夜すでに記録になってる。――ここで嘘をつくな」


(……カイル)


胸の奥が、きゅっと鳴った。


扉が開いた。


最初に見えたのは、カイルの背中だった。濃紺の外套。立ち位置が、私を隠す盾の位置。


その後ろに、エリオット。紙束を抱えている。

さらに、リュカ。手袋越しに術式具(=魔術の道具)を握っている。


そして――王城文書所の記録官。


「令嬢」


カイルが私に視線を落とす。いつもより短い。


「……言えるか」


私は口を開いた。けれど――


「……」


音が出ない。喉が、名前の形だけで詰まる。


カイルの眉が僅かに動いた。


次の瞬間、彼は私の手首をそっと掴んだ。強くない。逃げないように固定するだけ。


「答えなくていい」


声が少しだけ低く、柔らかくなる。


「俺が呼ぶ。――セレナ」


呼ばれると、胸が痛い。

痛いのに、温かい。


私は頷く代わりに、握られた指を、ぎゅっと握り返した。


それだけで、世界の輪郭が少し戻った。




廊下では、司祭が香炉を持ったまま立ち尽くしていた。


「副隊長殿。これは保護の一環で――」


「保護なら、記録だ」


エリオットが淡々と切った。


「昨夜、何時に誰が入室した。何をした。誰が立会った。――入退室の記録と処置記録(=何をしたかの記録)を提出してください」


司祭が薄く笑う。


「奇跡に記録は不要です」


「不要なら、許可も不要になる」


エリオットの声は冷たい。


「つまり、あなたは“無許可で拘束者に処置”をした。――それは保護ではなく侵害です」


看守が口を挟みかける。


「入退室は……昨夜は記録が……」


「ない?」


カイルの声が落ちる。


「“ない”なら、なおさら今ここで作れ。『記録しなかった』という事実を記録官が書く」


記録官のペンが、もう動いている。さらさらと。


(紙が、また鎖になる)


司祭の表情が僅かに固まった。


そこでリュカが、短く言った。


「床、見せろ」


看守が戸惑う。


「……床?」


リュカは保護室の敷居にしゃがみ、術式具をかざした。


次の瞬間、空気が“きら”と揺れた。


見えないはずの粉が、淡い線になって浮かぶ。

敷居に、足跡の形。


入った足。出た足。

しかも――二人分。


「封印粉の痕跡だ」


リュカが淡々と言う。


「昨夜、二人が入ってる。記録は“ない”のに」


看守の顔色が変わる。


司祭が咳払いで誤魔化そうとした。


「……それは、彼女が――」


「違う」


私の口は、名前以外なら動いた。


「……わたし、まいた。……きのう」


言えた。

短くても、言えた。


カイルの指が私の手首をほんの少しだけ強く押さえた。

“よく言った”の合図みたいに。


エリオットが一歩前へ出る。


「記録がない入退室。記録がない処置。封印粉で足跡が出る。――結論は一つです」


声は大きくないのに、廊下の空気が静まった。


「保護拘束は、すでに“形式”を失っています。よって、拘束は無効。直ちに解除してください」


司祭が声を上げる。


「そんな――!」


カイルが遮った。


「王都騎士団として、拘束者の安全確保を優先する。――令嬢を出す」


看守が震える声で言う。


「でも……上から――」


「上なら、ここにいる」


エリオットが紙束を示した。


「拘束調書、口述記録、受領証。全部、王城の形式で残っている。――これ以上やれば、あなた方が“誘拐”になる」


“誘拐”という単語で、看守の手が止まった。


扉の鍵が外れる。


私は、外へ出た。




外気に触れた瞬間、祈りの匂いが薄れた。


その分だけ、頭の霧が少しだけ晴れる。


でも――名前だけは晴れない。


私は唇を噛み、木枠の刻みを指で思い出した。


S・A。○。


(私はここにいる)


(それだけは、残った)


カイルが私の前に立ち、声を落とした。


「セレナ。――俺を見る」


命令形。短い。盾。


私は彼を見た。


「言えなくてもいい」


カイルの目が揺れた。怒りじゃない。焦りでもない。

“守れなかった”という痛みの色。


「俺が、君の名前を守る」


その言葉が胸に刺さって、息が詰まりそうになる。


私は、握っていた金属片を彼に見せた。受領番号。


(数字で戻れる)


言葉にできない代わりに、私は頷いた。


エリオットが淡々と割り込む。


「次は魔術省です。“記憶干渉鑑定(=記憶をいじられたかの鑑定)”を、公開鑑定と同じ形式で取る。――『判断能力がない』の主張を先に潰します」


リュカが短く言った。


「匂いも採る。香炉の残滓(=燃えカス)と、部屋の空気。証拠になる」


ノアの名前は出ない。

今は表に立つべきじゃない。


その代わりに、“形式”が立つ。


私は、喉の奥の空白を抱えたまま、歩き出した。


そして、心の中で繰り返した。


(次に潰す罠は――「記憶が削れたから無効」)


(私が喋れなくても、記録は喋る)


――公開鑑定まで、あと二日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ