第24話 拘束調書
玄関の外に立っていたのは、王城治安局の黒い制服だった。
先頭の男は、紙束を掲げるように持っている。
――“令嬢を連れていく”ための紙だ。
その横に、白い外套。正教会立会い。
(同席、ね)
同席のくせに、空気は支配する側の顔をしている。
「アルヴィス伯爵令嬢セレナ様」
治安局の男が、形式の声で言う。
「保護拘束を執行します。ご同行ください」
私は一歩も動かず、先に口を開いた。
「拘束調書(=拘束した事実の証明)を作ってください」
男の眉が僅かに動く。
「……調書?」
「はい。押収調書と同じです」
私は淡々と続ける。
「開始時刻/執行者名/立会い名/拘束場所/理由。そして私の所持品を預かるなら、預かり票(=検査票)も」
白い外套の司祭が、薄く笑った。
「令嬢。保護です。罪人扱いのような――」
「罪人扱いしないなら、なおさら記録が必要です」
私は微笑まずに返す。
「保護なら、透明でなければいけない。密室は保護ではなく“隠し場所”です」
空気が一瞬だけ止まる。
カイルが、私の半歩前に出た。
「調書を作れ」
声が低い。命令形。刃ではなく盾。
「拒否するなら、“拒否した”をここで記録する」
治安局の男は一瞬だけ迷い――結局、紙束を開いた。
「……よろしい。簡易調書を作成する」
簡易でもいい。重要なのは“鎖”だ。
「口述記録官を」
エリオットが淡々と足す。
「王城文書所の記録官で。治安局の内輪記録では意味が薄い」
治安局の男の口元が引き攣った。
「時間が――」
「時間がないなら、尚更です」
私は言い切る。
「後で“なかったこと”にする時間が無いように」
結局、治安局は近場の記録官を呼んだ。
廊下で、紙とペンが広げられる。執事長が時刻を読み上げ、父が立会い署名をする。
記録官が淡々と問う。
「拘束理由は」
治安局の男が答える。
「心身不調による判断能力低下の可能性。公序維持のため」
私はすぐに口を挟んだ。
「異議あり。私は本日、王城文書所で“判断能力が保たれている”口述記録を作成し、受領証もあります」
治安局の男の目が一瞬だけ泳いだ。
(効いた)
記録官のペンが走る。
「令嬢は異議を申し立てた。なお本日、判断能力を確認する口述記録が存在する――」
“存在する”が紙に落ちた。
これで、後から「虚言」とは言いにくくなる。
次に、所持品。
司祭が私の笛に目を止める。
「それは預かります」
来た。
私は即答しない。即答すると流れに乗る。
「預かり票を」
私は同じ刃を出す。
「何を、誰が、いつ預かったか。返却はいつか。――書いてください」
司祭の指が止まる。治安局の男が苛立った顔で頷いた。
「……笛一つ、預かり票を出す」
紙が一枚増え、笛の記載が入る。
預かり者の名前が書かれる。
(よし)
私は笛を差し出した“ふり”をして、最後の瞬間に小さく囁いた。
「……これは通報具です。騎士団の副隊長に預けてください」
カイルが即座に手を出した。
「俺が預かる」
司祭が言い返す前に、治安局が「預かり先:騎士団副隊長」と書き込む。
預かり票に名前が落ちた瞬間、笛はもう奪えない。
奪えば“盗み”になる。
カイルが笛を懐へしまい、私を見ずに低く言った。
「必要なら、俺が鳴らす」
胸の奥が、きゅっと鳴った。
北塔の保護室は、思ったより“きれい”だった。
きれいすぎる。
清潔な布、白い壁、整った寝台。
(きれい=痕跡が残らない)
だからこそ、私は袖の内側の小さな袋を確かめた。
――封印粉(=撒くと術式の痕跡が残る粉)。
部屋へ通された瞬間、私はわざとつま先を滑らせるように一歩踏み込んだ。
床の角。扉の敷居。
そこへ、指先でほんの少しだけ粉を落とす。
見えない。匂いもしない。
でも術式は残る。
“誰が出入りしたか”が、後で追える。
「……何をしている」
司祭が気づきかける。
私は顔色を変えずに言った。
「足がふらついただけです。『心身不調』なのでしょう?」
司祭の口が止まる。
(あなたが言った理由を、あなたに刺す)
小さな勝ち。
治安局の男が形式的に言う。
「外部との接触は禁止。必要物資は職員が運ぶ。食事は――」
「記録は残りますか」
私はすぐ聞く。
「入退室の記録。差し入れの記録。医師の診察があるなら診察記録」
治安局の男の眉が寄る。
「……面倒な――」
「面倒なら、拘束をやめればいい」
私は淡々と言った。
「保護は、透明であるべきです」
男は歯を噛み、短く答える。
「……残る。残させる」
扉が閉まる。鍵の音。二重。
静寂が落ちた瞬間、私は息を吐いた。
(ここからが本番)
私は寝台に座り、掌の中の金属片を握った。
受領番号の刻み。角。冷たさ。
数字は消えない。――消されにくい。
……そう思った瞬間、部屋の隅から甘い匂いがした。
祈りの匂い。削りの匂い。
(最初から仕込んである)
視界がふわりと滲む。
(……何のために、私はここに?)
言葉がほどける。
理由が霧に沈む。
私は反射で、手袋の内側の爪痕を押した。痛みで戻る。
「……セレナ・アルヴィス」
声に出す。
一度じゃ足りない。
「セレナ・アルヴィス」
二度目のとき、喉が少し引っかかった。
(来てる。奪いに来てる)
私は寝台の木枠に爪を立て、浅く刻んだ。
S・A
短い印。
名前を言えなくなっても、指先で辿れる。
甘い匂いが強くなる。
頭の奥が白くなる。
そのとき、扉の向こうで足音が止まった。
鍵の音。小さく開く気配。
(誰?)
私は粉を撒いた敷居に目を落とした。見えないはずの粉が、私の中だけで“ここにある”と分かる。
扉が少し開き――低い声がした。
「……記録は?」
治安局の男の声。
司祭が答える。
「必要ありません。清めです」
清め。
その言葉だけで、背骨が冷えた。
(清め=削る)
私は立ち上がり、寝台の木枠の刻みを指で触れた。S・A。現実。
扉が、完全に開いた。
白い外套が一人、入ってくる。
手には小さな香炉。
甘い匂いが、部屋を満たす。
司祭が微笑んだ。
「令嬢。あなたを守るための“祝福”です」
守る。祝福。保護。
全部、縛るための言葉。
私は微笑まなかった。
「祝福なら、記録を」
司祭の微笑みが僅かに固まる。
「……ここは保護室です」
「だからこそ記録を」
私は繰り返す。
「いつ、誰が、何をしたか。――後で“なかった”にできないように」
司祭は一瞬だけ私を睨み、香炉を持ち上げた。
「では、あなたの記憶から“争い”を消しましょう」
消す。
言われた瞬間、言葉が胸に刺さるより早く、匂いが脳を撫でた。
視界が白くなる。
(だめ……)
私は最後の力で、木枠を掴み、刻みを指でなぞった。
S・A。
S・A。
「……セ……」
声が途切れる。
司祭の声が遠くなる。
「ほら。薄くなる」
――薄くなる。
その言葉だけが、最後に耳に残った。
そして暗転する寸前、私は確かに聞いた。
扉の外、治安局の男が小さく言った声を。
「……入退室の記録、残すんだな?」
司祭が鼻で笑う。
「残りませんよ。奇跡ですから」
私の指先が、刻みに滑る。
S・A。
(……名前)
(私の、名前)
世界が白くなり――
次に目を開けたとき、私は自分の名前を、口に出せなかった。




