第22話 公開鑑定の告示
王城へ向かう馬車の揺れが、やけに遠く感じた。
祈りの匂いがまだ鼻の奥に残っている。甘く、ぼやける匂い。あれを吸い込むと、思考の端が溶ける。
(でも、今日は溶かさせない)
私は胸に抱えた封筒を押さえた。中身は押収調書の控え。封蝋の上には術式印。剥がせば割れる。割れれば改ざんが露見する。
“証拠の鎖”は、ここにある。
「令嬢」
隣に座るカイルの声が低い。
「ぼうっとするか」
「……少し」
嘘はつかなかった。嘘をつくと、自己申告まで薄くなる気がする。
「なら、今からは喋るな。息だけ数えろ」
命令形。硬い盾。私は頷いた。
馬車の向かいで、リュカが押収した受理簿を抱えている。封印済みの布袋。布の上からでも、術式の冷たい気配がする。
「それ、まだ匂う?」
私が小さく聞くと、リュカは即答した。
「匂う。だから俺が持つ」
相変わらず、理由を付けずに結論だけ言う。
でも、その“俺が持つ”が今は命綱だった。
魔術省の門は、王城とは違う緊張があった。
石壁に刻まれた紋章。見張りの目。門をくぐった瞬間、空気が乾く。祈りの匂いが薄れ、代わりにインクと薬草の匂いがする。
(ここは、私の味方だ)
リュカが受付に短く告げる。
「押収物の公開鑑定を申請する。物件は“正教会受理簿”」
受付官の目が一瞬だけ見開かれたが、すぐに形式の顔に戻る。
「押収調書は」
私は封筒を差し出した。
「控えです。封印と立会い署名付き」
受付官は封蝋と術式印を確認し、頷いた。
「受領します。受領番号を付与します」
――受領番号。
数字が書かれた札が出た瞬間、私の視界が少しだけ締まった。数字は強い。祈りの言葉より強い。
エリオットが隣で淡々と言う。
「公開鑑定(=大勢立会いで行う鑑定)にするなら、告示が必要です。日時、場所、立会い名簿、鑑定官名」
「……大聖堂が邪魔する」
「するでしょうね」
エリオットは紙を取り出し、もう“次”を書いている。
「だから先に、魔術省名義で告示を出す。王城の公告板にも同時掲示。拒否すれば『拒否した』が残る」
相変わらず、勝ち方が静かだ。
私は頷いた。
「やりましょう。今日中に」
鑑定室は、白い石の箱だった。
机の上に受理簿が置かれ、周囲を結界が囲む。触れる前に、鑑定官が“形式”を確認する。
「物件名、受理簿一冊。封印状態、良好。押収調書番号――」
数字が読み上げられるたび、私は自分がここにいると確信できた。記憶が薄くなるなら、数字と手続きにしがみつけばいい。
鑑定官が、ふと顔を上げる。
「……このインク、異質です」
リュカが低く言う。
「触媒だ。聖性を上塗りする。記憶をぼやかす」
鑑定官が頷き、冷静に続けた。
「公開鑑定に回すべき案件です。密室で扱うと、外部から“奇跡”と称する干渉が入る可能性がある」
(やっぱり)
エリオットが即座に言う。
「公開鑑定の告示を。王城公告板に同時掲示。立会いに騎士団、財務、そして枢機卿府――」
「枢機卿府は?」
鑑定官が問う。
ノアの名前が喉まで上がって、私は飲み込む。
(彼を表に出せば、燃やされるかもしれない)
でも――今は“表”が必要だ。表に出さなければ、闇に食われる。
「枢機卿府の立会いを一名、お願いします」
私が言うと、カイルが短く頷いた。守るという合図。
鑑定官は紙に記し、事務官へ回した。
「では告示を作成します。公開鑑定は二日後。場所は魔術省中庭――誰でも立ち会える場にします」
誰でも。
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
(“人の目”を、ここでも使える)
その帰り道だった。
魔術省の廊下を抜け、外気に触れた瞬間――風の匂いが変わった。
甘い。
祈りの匂いが、ここにないはずなのに。
(……来た)
視界の端が滲む。歩いているのに、床が遠い。自分の足が他人のものみたいだ。
「セレナ様」
遠くで誰かが呼ぶ。誰だっけ。……カイル? 違う、声が――
(だめ、名前が落ちる)
私は反射で、受領番号の札を握ろうとして――手が空を掴んだ。
札は、さっき受付官に預けた。
(しまった)
その瞬間、指先に冷たいものが押し込まれた。
金属片。
受領番号の刻みがある。私の掌にぴたりと収まる形。
リュカが私の前に立っていた。顔は険しい。
「握れ。数字を見るな、触れろ」
命令形。短い。強い。
私は金属片を握り、角が皮膚に刺さる痛みで戻った。
息が戻り、景色が焦点を結ぶ。
見上げると、門の外――道の向こうに、白い外套が一瞬だけ見えた。
聖女ではない。司祭でもない。
護教兵の影。
(匂いだけ投げた……?)
攻撃じゃない。試しだ。どの程度、私が揺れるか。
カイルがすぐ後ろで低く言った。
「今の、やったな」
「……うん」
私は喉が乾いたまま答えた。
リュカが、私の手首を掴む。
強くない。逃げないように固定するだけ。
「次は、もっと強く来る。公開鑑定の前に、お前を“言えない”状態にする」
言えない。
自分の名前も、事実も、証言も。
私は金属片を握ったまま、言った。
「じゃあ、先に“言える場所”を作る」
エリオットがすぐに乗る。
「告示文に、“令嬢本人の口頭説明は不要”と書きましょう。鑑定官が読み上げる。証拠は封印されたまま提示し、結果だけを公表する」
私は頷く。
(私が消えても、勝てる形)
それが、私の戦い方だ。
その夜、王城の公告板に、二枚の紙が並んだ。
一枚は魔術省の印。
《告示:公開鑑定》
正教会受理簿(押収物)について、異質な触媒混入の疑いにより公開鑑定を実施する。
日時:○日 場所:魔術省中庭
立会い:騎士団/財務府/枢機卿府(予定)
もう一枚は、私の手で短く。
《追記》
本件は、令嬢本人の口頭説明を要しない。鑑定官が記録に基づき読み上げる。
名指しで、私の“首”を守る文章。
見物人がざわつき、噂がまた風を切る。
「公開鑑定だって」
「教会の台帳を?」
「魔術省が?」
「……聖女様はどう出るんだ?」
私は遠くから公告板を見上げ、金属片の角を指でなぞった。
(次は、公開の場)
(密室で塗られない場所)
そのとき、背後でカイルが小さく言った。
「令嬢。……今のうちに、言っておけ」
「何を?」
「自分の名前」
胸が、きゅっと縮む。
(言えなくなる、と言われたばかり)
私は深く息を吸い、声に出した。
「セレナ・アルヴィス」
たったそれだけなのに、胸の奥が熱くなった。
カイルが頷く。リュカは無言で、私の手の金属片を一度だけ見た。
そしてエリオットが、静かに告げる。
「告示が出ました。次の手は一つです。――相手は、公開鑑定そのものを潰しに来る」
私は頷いた。
「潰させない」
でも、喉の奥に冷たさが残る。
“奇跡”は紙より強いと言った。
次は記憶に出すと言った。
私は金属片を握り直し、心の中で固定した。
(次に潰す罠は――公開鑑定の前に私を消すこと)
そして、翌朝。
伯爵邸の門に、白い封蝋の書状が届く。
差出人は――正教会ではない。
王城法務官の印。
封を切った父の顔が、硬く凍った。
「セレナ……“保護”の名目で、お前を拘束する手続きが回っている」
――来た。
公開鑑定を潰すために。
私を、場から消すために。




