表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の奇跡でやり直し。~正教会が世界を染める前に、私が潰します~  作者: 綾瀬蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/50

第13話 筆跡の罠


朝、目を開けた瞬間から、頭の奥が鈍く痛んだ。


眠ったはずなのに、体が重い。昨夜の侵入のせいだけではない。――削られている。自分の輪郭が、薄くなる感覚。


私は寝台の横の机に手を伸ばし、紙切れを一枚引き寄せた。昨夜、最後に書いた短い言葉。


「私は提出していない」


指でなぞる。


(……消えてない)


ほっとしたのは、文字が残っていたからだけじゃない。文字が残っている=私がまだ戦える、という合図だった。


「セレナ様」


マリアが控えめに入ってくる。顔が少し青い。きっと昨夜、眠れていない。


「皆さまが書斎に。騎士団副隊長様も……魔術省のお方も」


「……行くわ」


私は立ち上がり、髪をまとめながら深く息を吸った。


(今日は“筆跡”を守る日)


書斎に入った瞬間、空気が張りつめているのが分かった。


父、執事長、カイル・グラント、エリオット・ヴァイス、そしてリュカ・セルウィン。机の上には、昨夜の侵入で荒れかけたままの書類と、封印(=いじったら割れる印)を掛けた封筒が並んでいる。


「令嬢」


カイルが先に口を開いた。


「今日から伯爵邸内にも巡察を入れる。昨夜の侵入は“狙いが紙”だ。つまり――内部の手引きが疑わしい」


父が低く唸る。


「伯爵家の中に、教会の手が?」


「可能性は高いです」


エリオットが淡々と言った。


「侵入のタイミングが正確すぎる。宣言書を作った“その夜”に来た。情報が漏れている」


私は手帳を開きたい衝動を押し殺した。今は、手帳よりも“場の判断”が重要だ。


「まず確認したいことがあります」


私は机の端にあるインク壺を指した。


「このインク、いつから使っていますか」


執事長が答えかける前に、リュカがすっと手を伸ばした。


「触るな」


冷たい声。指先だけでインク壺の縁に触れ、目を細める。


次の瞬間、彼の指が淡く光った。嫌な光ではない。金属みたいに乾いた光。


「……混ざってる」


「何が」


私の声が少し掠れた。


リュカは短く言う。


「昨日鑑定した“聖性を上塗りする触媒”の痕跡。量は薄いが、確実にある」


背筋が凍った。


(だから文字が消えた?)


リュカは続けた。


「この触媒は、物に“神っぽさ”を貼り付ける。紙にもインクにもできる。……そして長く触れていると、記憶が定着しにくくなる」


「……私が、削られる理由」


口に出した瞬間、喉がひりついた。


カイルの目が鋭くなる。


「インクに混ぜたのは誰だ」


父が机を叩く。


「執事長!」


執事長が青ざめて首を振る。


「私は……最近、教会の管理局から『寄進関係の書面はこれを使うと良い』と“寄付”されたインクを……」


寄付。


その言葉に、私は胃の底が冷たくなる。


(ああ。教会は最初から、紙を狙っていた)


エリオットが淡々と確認する。


「寄付された日と、受領記録は?」


執事長が言い淀む。


「……書面では……」


「口で受け取った」


エリオットはため息を吐いた。


「それが一番危険だと、あなたももう分かっているはずです」


執事長が俯いた。


私は怒りを表に出さないように、深く息を吸った。


怒りは正しい。けれど怒りだけでは勝てない。今必要なのは、切り替えだ。


「今からやることは二つです」


私は指を二本立てた。


「一つ。伯爵家の“記録用のインク”を全部回収し、魔術省の封印インクに交換する」

「二つ。家の中の“筆跡”を確認する。――誰が、どの書面に触れたか」


カイルが頷いた。


「家人を集める。だが、騒ぎにすると逃げる」


「だから」


私が言い切る前に、リュカが冷たく続けた。


「囮(=わざと置く偽物の紙)を作る。触ったら痕跡が残るやつ」


エリオットの口元が僅かに上がる。


「いいですね。数字より確実です」


父が目を丸くする。


「囮……?」


私は頷いた。


「“誓文の写しがここにある”と見せかけた封筒を作る。触った人間に、魔術で印が残るように」


リュカは既に術式印を取り出していた。


「印は簡単だ。手に薄い染みが出る。洗っても落ちない。触った証拠になる」


カイルが短く言う。


「今夜、仕留める」




その日の午後、伯爵邸は静かに“入れ替わった”。


寄付されたインク壺は全て封印され、魔術省が持ち込んだ乾いた黒のインクに交換された。封印は二重。剥がせば割れる。割れたら分かる。


書記は呼ばず、私の筆跡で最低限の記録だけを残す。


そして、囮の封筒。


表にはわざと、それらしい字でこう書いた。


《誓文写し:保管》


中身は空。


代わりに、触ると印が残る薄い術式片が入っている。見た目はただの紙。けれど触った瞬間、指に“残る”。


(嫌なやり方だと思う)


(でも、相手が先にやってきた)


夕食の後、私は部屋に戻った――ふりをして、隣の控室に移った。カイルが廊下の陰に立ち、護衛が二人、回廊の端を塞ぐ。


リュカとエリオットは書斎に“気配だけ”を残すように座り、普通に書面を整理しているふりをした。


時間が、伸びる。


一刻が一刻じゃないみたいに、長い。


そのとき。


廊下の奥で、床板が微かに鳴った。


カイルが指を一本立てる。――“来た”。


暗がりに影が滑る。足音が忍び、扉の鍵に何かを差し込む音がする。


(鍵……持ってる)


内部の手引きだ。確信が、胸を冷たく撫でた。


扉が静かに開き、黒い服の男が一人、滑り込んできた。


フードを深く被っている。


だが、月明かりが頬を照らした一瞬、私は見た。


左頬の小さな傷。


――馬車を止めた、枢機卿府の使者の特徴。


(同じだ)


(こいつだ)


男は迷いなく机に向かい、囮の封筒へ手を伸ばした。


触れた瞬間。


リュカが小さく指を鳴らす。


男の指先が、薄く白く光った。――“印”が出た。


「動くな」


カイルの声が落ちる。影から踏み出し、剣の柄に手を置く。


男は固まる――どころか、笑った。


「……遅い」


声が低い。昨夜の侵入者と同じ種類の声。


「遅い?」


私が問うと、男は笑みを深くする。


「聖女様は、もう“受理”した」


胸の奥が、どくんと跳ねた。


(受理――受領、提出偽装)


ノアの警告が脳内で鳴る。私の思考が一瞬だけ薄くなり、言葉が崩れかける。


私は封筒の表の凸凹を思い出した。


――署名するな。誓文を潰す。


(戻れ)


「……何を受理したの」


私が問うと、男は肩をすくめる。


「あなたの“悔い改め”。あなたは既に、提出した」


「嘘だ」


声が低くなる。


カイルが男の腕を捻り上げ、床に押さえつけた。


「騎士団預かりだ。今ここで終わりにする」


男は痛みに顔を歪めながらも、歯を見せて笑う。


「終わり? 始まりだ。三日後、あなたは皆の前で“反故にした女”になる」


リュカが冷たく言った。


「印は出た。つまり触った。つまり侵入した。……言い逃れはできない」


「言い逃れ?」


男は笑ったまま、囁く。


「証拠は、都合よく消える」


その言葉が、私の背筋を凍らせた。


(消える。文字が薄くなる。手帳の行が消えた。インクに混ぜられた触媒)


私は一歩前へ出て、男の左頬の傷を見下ろした。


「誰に命じられた」


男は答えない。けれど、その沈黙が答えだった。


教会の誰か。聖女の近く。統合派。


カイルが男を引きずり起こし、扉へ向かわせる。


「王城へ。今夜中に吐かせる」


男は最後に、私へ向けて囁いた。


「……あなたは、繰り返すほど薄くなる。紙も、あなたも」


私は息を吸い、吐いた。


「薄くなる前に――折る」


自分でも驚くほど、声がまっすぐ出た。


男が連れ出され、扉が閉まる。


静寂が落ちた書斎で、私は机の上の囮の封筒を見た。


印は出た。捕まえた。


――なのに。


男は「もう受理した」と言った。


つまり、三日後の舞台には、“提出済み”という嘘が運び込まれる。


私は胸元の封筒を押さえ、心の中で繰り返した。


(宣言書は、分散した)


(受領偽装を潰すための楔は、もう打ってある)


だから、次の一手は――


私はリュカを見る。


「魔術省の封印で、“受理”の偽造は見抜ける?」


リュカは一拍置いて言った。


「見抜ける。だが――相手は“見抜かれても押し切る”形を作る」


エリオットが静かに続けた。


「つまり、次は“世論”です。『セレナが提出した』と信じる人間を増やす。……そして、祝福の儀で叩き落とす」


私は頷いた。


胸の奥の恐怖が、少しずつ“形”になる。


(次は言葉じゃない)


(人の目と、空気と、舞台)


私は短く言った。


「……大聖堂の前に、証拠を“見せる場所”を作る」


それが何かは、まだ言葉にならない。けれど、方向は定まった。


窓の外で、夜の鐘が鳴った。


三日後まで、あと二日。


そして私は、確信する。


教会はもう、誓文だけじゃない。


私の“信用”を焼きに来る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ