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半死半生

 ◆


 かれこれこの状態が続いて、三時間ほどが経つ。

 もう助けは来ないかもしれない。思考する余裕はないが、目の前のこの男モキシフに対する怒りが沸々としていた。もう喉が枯れてきている。呪文の貯蓄チョチクも間もなく絶える。そうなれば、精神が破壊されることとなる。

  トピナは魔術師である。

  魔術学校を首席で卒業し、周りの反対を押し切って冒険者となった。それから数年、数々の古代魔術師のアトリエを探索し、出土品アーティファクトを売ることで生計を立てていた。

  人間ひとりの力など、たかが知れている。だから、ほとんどの者は徒党を組んで物事に挑む。だが、トピナは誰とも組もうとしなかった。

  臨機応変に魔術を使うには、呪文を唱えるための時間が必要である。

 そのための時間稼ぎ役として、前衛の戦士などを連れて歩く。冒険をする魔術師の基本である。トピナは孤独を愛したわけではないが、才能があるが故に仲間は邪魔であった。効率よく魔術を行使するには、その力の及ぶ場所に仲間が居ては巻き込んでしまう。

  その点、オノンは都合の良い相手だった。

 魔術の知識があるので巻き込まれることもないし、前衛も後衛もこなせるので前に出すぎることもない。実践経験も豊富なので、足手纏いになることもない。そして、同性同士なので、二人きりで過ごしても厄介事にはならない。

  オノンとはアトリエ内部で偶然、再会して行動をともにするようになってから、早五年もの付き合いである。育ての親を除けば、十九年の人生でもっとも長く付き合いのある人物である。

  オゴりと油断だ。出土品の窃盗と密売を行うこの盗賊たちに、天罰を与えてやろうと思ったのだ。

 たまたま見かけたと思っていた盗賊団。しかし、誘い込まれていた。こいつらの狙いはオノン、エルフであった。ずいぶん前から付け狙われていたらしい。

  のこのことひとりでアジトに乗り込んで、不意打ちを食らったトピナは人質となった。呼び出されたオノンは抵抗することもなく、捕縛ホバクされた。

  自分のことなど放っておけば良いのに。

  怒りはモキシフに向かっているのではないと気付く。自分の迂闊ウカツさと傲慢ゴウマンさ、足手纏いを嫌って独りでいたのに、自分が足手纏いとなってしまった。

  トピナは呪文を唱える。もう喉が限界だ。


「ずいぶん粘るじゃないか」


  モキシフがニヤつきながら言った。こいつは魔術師ではない。

  一口に『魔術師』と言っても、多様な種類の専門家が存在する。そして、魔術師から見たら魔術師ではなくとも、一般人から見たら魔術師にしか見えない者もいる。

 モキシフはそのひとりだ。魔術師を成す定義とは、魔術を使える者である。傍から見たら魔術に見えても、魔術でない力がある。

 例えば、エルフ。彼らは魔法を使う。魔術ではなく、それは精霊術と定義されている。

 もっともこれはメネル族が勝手に言っていることで、エルフはそれをただ魔法、あるいは願い事としか言わない。

 そして、モキシフは魔術も魔法も使えない。魔道具を使って擬似的な魔術を使うのだ。

 魔道具を使うには研鑽も努力も必要ない。使い方を知っていればよいだけだ。魔道具を使って魔術師を名乗るなど、魔術師に対する侮辱だ。何人もの魔術師が義憤ギフンに駆られて、こいつに挑んだのだろう。そして、こいつは生き残った。

  トピナを拘束している魔道具は、おそらくは古代魔術師のアトリエから出土した、希少で強力な物品だ。

 今、トピナは自分自身の魔力によって身動きができない状態にある。魔術師の戦法は複雑だが、緊急時の対処法は限られている。防御結界魔術は、接近戦でもっとも確実で高い効果を発揮する魔術だ。

  通常、魔術というのは呪文を唱えなければ発動できない。呪文には大なり小なり唱える長さに差があるが、それらを短縮するための技術の開発は、長年に渡る魔術の研究の上での一大課題となっている。

 その研究成果のひとつで、現在もっとも使われている方法が、事前詠唱による短縮法である。簡単に言えば詠唱するべき呪文を最後の一文を除いて唱えておき、魔力を何らかの道具(杖、武器、装飾品など)に蓄えておく。必要なときにその魔力を取り出し、最後の一文を唱えることで魔術を発動させるというやり方だ。

  この方法は単純で、魔術発動の信頼性が高いため、多くの魔術師が使用している。さらなる長所としては、道具に魔力を移しておくことで、平時には魔力を蓄積し、必要時に解放することで、発動時の魔力の節約ができる。

 しかし、今はその長所を逆手に取られている。


「ホント、おまえら魔術師はプライドが高くて助かるよ! こうしてボクがやっていけてるのも、君たちのおかげさ! わざわざアトリエに潜らなくても、持ってきてくれるんだからさ」


  このモキシフの魔道具は、魔力を強制解放する力があるのだ。

 もし、呪文の詠唱をやめてしまえば、消費しきれなかった魔力は暴走、逆流し、トピナの精神はズタズタに引き裂かれるだろう。だから彼女は連続して使い続けることができ、効率良く魔力を消費できる防御結界魔術で、内からも外からも身を守った。

 もし、少しでも発動が遅れていたら、腕輪に貯めた自らの魔力が暴走していたはずだ。

 魔力そのものには物理的な効力はないが、それは空間と精神に作用する。

 もし、魔力の純粋な奔流ホンリュウを人間が浴びてしまったら、その魂は肉体から引き離され、別の次元に飛ばされると言われている。それを確認した者は存在しないが、廃人となった者は何人も存在した。

  あと何回、事前詠唱は残っているだろうか。毎日欠かさず五十回分は事前詠唱をしてきた。まだ余裕はあるはず。問題は舌を噛んで呪文を唱え損ねるかも知れないことだ。そうなればその瞬間に終わりだ。

 モキシフがトピナの周りをゆっくりと旋回しながら、その様子を楽しんでいる。

 かれこれ数時間、訊ねてもいないことをペラペラとよく喋った。トピナの膝が崩れ落ちそうになる。だが、負けるわけにはいかない。少しでも生き残る可能性があるならば、諦めるようなことはしない。


「ふん、ようやく限界か」


  モキシフがだらしない体を揺すって笑った。

  防御結界魔術は物理的攻撃をほとんど遮断する。その代わり、身動きも取れなくなる。まさに八方塞がりの状態だ。このまま、ジワジワと削られていくしかないのかと、強気なトピナも考え始めていた。


「この楽しい時間も最後だろうから教えてやるよ。お前の相棒の末路をさ」


  トピナは睨みつけるが、モキシフは構わず続けた。


「エルフを欲しがるやつは多いけど、今回の話は、ボクでも狂ってると思ったね。やつらエルフを晩餐にするんだとさ。ウケるだろ?

 エルフを食えば、病気がなんでも治って、不老不死になれるんだとよ。バカみたいな話だぜ。もしそれが本当なら、魔大戦のときに不老不死のメネルがいたはずだ。なのに今、不老不死のやつなんていやしない。

 金持ちになるとそんな簡単なことも解らなくなるのかねぇ。まぁ、ボクも今回の件が無事片付けば、一生遊んで暮らせる金が手に入るから、あいつらのことを笑えなくなるのかもしれないけどね」


  トピナは注意深く話を聞いていた。呪文を唱えながら、話を聞くのはとても難しいが、それでも聞いた。この状況を脱し、モキシフを殺したら、次はその金持ちだ。だが、モキシフもクセ者だった。特定できるようなことはなかなか言わない。

  モキシフは壁に掛かった、時間を知らせる魔道具を見た。


「そろそろ、街に着いたころだな……。とっても楽しい時間だったよ、魔術師さん。廃人になった君の体は、有効活用させてもらうから、安心してほしい。ちゃんと世話もしてくれる人がいるから」


  むかつくやつだ。だが、自分に限界が来ているのもわかっていた。

  オノンのことを考えた。彼女は逃げ出せたはずだ。あのバジリスクのようにしぶといエルフが簡単に捕まって、大人しくしているはずがない。助けになど来る必要はない。もう足手纏いはごめんだ。

  一瞬、意識が遠のきかけたそのとき、静かな倉庫に大声が響き渡った。

 顔を隠した少年がガラクタの山に飛び乗った。


ウルワしき美女の危機に、闇夜仮面マスクオブザダークネス、見参!」


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