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別離の海

  ◆

 

  二つの大きな河川に挟まれたこの都市レキアラグナは、肥沃な大地と漁場を持つ、この国最大の食料拠点の一つである。

 人も物も溢れており、交易・交通の要所としても栄えていた。そして、人の出入りが激しいということは、それだけ管理も難しい。盗賊や密輸組織、人身売買を生業とするような裏稼業も、当然のように蔓延っている。

  彼女、エルフのオノンが捕まったのも、そういった犯罪組織のひとつであった。

  組織名はノヴァトラ、頭目の名はモキシフという男である。

 彼は魔術師であり、戦士であり、そして様々な犯罪のエキスパートである。

 魔術師であれば犯罪組織なぞに加担しなくも、十二分な金が手に入るはずだ。それでも彼は犯罪組織のボスとなり、悪逆のかぎりを尽くしている。生粋の悪人なのだろう。

  石造りの街のほとんどの十字路には、輝石による街灯が設置されており、街の輪郭がぼんやりと見える。目的地が特徴的な街で助かった。この辺りに土地勘はないが、空から見てもすぐに見つけられる。

  この世界には、魔術によって単身で空を飛ぶことのできる者もいる。

 父デラウが昼間は飛ぶなと厳に言い聞かせてきたのは、空も見張られていると言うことだ。ただ、夜を飛行するものは少ない。

 この世界には光源が多くはない。大都市に行けば街頭もあるにはあるが、高い塔に航空障害灯が設置してあるわけなく、夜目が聴くか、かなり感覚の鋭いものでなければ、上下がわからなくなって地面に激突することになる。

 シアリスは人を抱いたまま飛ぶのは初めての経験だったため、空中での制御には少し骨が折れた。


「あの港に降りて。その先の倉庫の地下に囚われているはず」


  オノンが指差す。できれば公園の芝生にでも着地したかったが、一刻も早く助けなければいけないと言う意思を尊重した。


「いたっ」


  鈍い音とともに、シアリスは背中から着地した。

 影の力で衝撃を吸収したものの、すべてを和らげるわけではない。オノンの体に衝撃がいかぬよう、彼女の体を翼で包んだので、シアリス自身はほとんど直接、地面に落ちたようなものだった。


「なっ、どういう着地の仕方なの⁉」


「申し訳ありません。着地に自信がなかったので、安全策をとりました」


「どこが安全なの!」


  小声でやり取りする。影の中に潜むファスミラが警戒を発する。

  しわがれた声が聞こえた。


「なんだァ……」


  港のボートハウスの管理人だろう酔っ払いが、扉から顔だけだして外を見回した。しかし、そこには波打つ堤防と暗い石造りの地面があるだけで、何も見つからなかった。気のせいかと思ったのか、酔っ払いは顔を引っ込め、扉がパタリと閉まる。

  地面にできた黒い塊には気づかなかったようだ。

  影が開き、シアリスにオノンが覆い被さるような状態で出てくる。オノンの甘い香りを楽しんだシアリスだったが、オノンの方は気にせず立ち上がり、シアリスに手を差し出した。

 無言で手を取り、立ち上がる。ファスミラに影で声を伝える。ほとんど発声しない会話方法で当人たちにしか聞こえない。


(先行して対象を見つけろ。手は出すな。相手は魔術師らしい。油断しないように)


(わかりました)


  ファスミラの気配がオノンを追い越して消えた。シアリスが近くにおり、これだけの闇が深い夜の街で、不滅者の近くにいるならば、従徒であっても影になって自在に動ける。その力を存分に発揮してもうらおう。


「便利そうね、その影の力も。吸血鬼になれば、皆、使うことができるものなの?」


  今、質問することかとシアリスは感じたが、探りを入れているのだろう。ちなみに飛んでいる最中にファスミラのことは紹介してある。従徒の説明は省いて、吸血鬼仲間だということにしてあった。


「どうでしょう。僕たち以外の吸血鬼を見たことがないので、別の力を使う吸血鬼もいるかも」


  嘘でもないし、真実でもない。不用意に情報を与える気はない。


「ふぅん。長生きしてるクセに知識に乏しいわね」


  嫌味で言ったつもりだろうが、それを気にするほど、シアリスも若くはない。


「僕は見た目通り、生まれたばかりです。まだ、生後一か月ですよ」


  ふぅん、とまた鼻で返事をする。信じていない。

 エルフは足を少し緩めた。目的地の倉庫が近いようだ。


「あそこ、あの倉庫。その中の部屋に隠し通路があって、地下に通じてる」


  物陰に二人で隠れた。

  倉庫の中からはいくつかの人の気配がする。だが、何か作業をしているというよりは、暇を持て余しているといった感じだ。見張りとして、寝ずの番をしているのだろう。余程高価なものでも扱ってないかぎり、寝ずの番など倉庫にはいらない。ほとんどは商会が運営する警備の巡回で事足りるからだ。

  ファスミラが戻ってくる気配がした。曰く、地下への別の入り口が見つかったらしい。人が入れる大きさだろうな、と問うと、はいと短い返事がある。

 影になれば少しの隙間から侵入できるから、いざ行ってみたら肝心のオノンが入れないのでは意味がない。シアリスだけでも乗り込んで友人を助けることは可能だろうが、今回は手助けするだけだ。


「ねぇ、ファシーが戻ってきたんでしょ。ね、その内緒話やめてくれない。イライラするから」


  どうやら会話まで聞き取れないが、エルフは影の力の気配を敏感に感じ取れるようだ。そして長く生きているからって、物事に寛容になれるわけではないらしい。いつの間にかファスミラの名は略されてしまった。


「オノンさま、別の入り口を見つけたらしいです。そっちから入りますか」


「そう……ね。本当は正面から入って、ぶちのめしてやりたいけど」


「助けるのが先ですね。ファシー、案内頼む」


  何となく乗っかって、わざとらしくファスミラをファシー呼びしてみる。ファスミラは何か言いたげにシアリスを見つめた後、「こっちです」と言って駆け出した。

  海岸近くの大きな排水口がいくつか並んでいる場所がある。汚水に濡れた場所で臭いも酷く、昼間でも誰も近寄ろうとしない。中に入れないように、はめ殺しの鉄格子が付けられている。

 定期的に兵士が見回りしているが、臭いを忌避しておざなりである。そのため、排水口がひとつ増えたくらいでは気付きもしない。定期的にメンテナンスもしているだろうが、その作業員に賄賂を掴ませて(あるいは脅して)見逃されている。オールアリアの城下町にも似たような場所はあった。

  ファスミラが示した場所は、他のところより綺麗な水が流れている。さすがの盗賊団も臭いのは嫌なようだ。格子の一本を持ち上げて、少し捻ると簡単に外れた。シアリスが先に中に入ろうとすると、オノンが止めた。


「私が先に行く。これは私の戦いだから」


  シアリスはオノンを見上げる。


「こんなことで言い争っている場合じゃないですから譲りたいところですが、僕の方があなたより強いので、僕が先に行きます」


「なんで、そんなことを……」


  オノンが言い終わるのを待たずに、さっさと排水口に入り込む。人ひとりがやっと通れるほどの通路だ。子どものシアリスと小柄なオノンでも追い抜かすことは難しい。


「待って……!」


  シアリスは口元で指を立てる。


「敵地なんだから静かにしてください。友人を助けたくないのですか」


  そう言われてはオノンも黙るしかない。狭い通路を進むと、今度はかなり広い水路へと出た。明かりの真っ暗闇の通路に水が流れる音が響く。


「暗い……」


  オノンが独り言のように言う。エルフの目もかなり暗闇に強いが、光源が全くないところでは流石に役に立たない。シアリスはオノンの手を取って、近くの通路まで案内する。


「ありがとう」


  オノンが小さく言った。

  この通路の天井にはハッチがある。ここを上がると、先程の盗賊のアジトである倉庫に出るはずだ。だが、ここには梯子を掛けた跡はあるが、梯子自体はない。スイッチなども見当たらないので、おそらくは中からしか開けられないのだろう。

 上部からは人の気配がする。見張りがいるのだ。


「私の精霊術で……」


  オノンが言うので、シアリスは首を横に振った。


「僕が中に入って梯子を降ろします。少し待っていてください」


  オノンはどうやって入るのか訊ねようとするが、その前にシアリスは闇に溶けるように消えてしまった。そして直後に、何かが倒れるような音が上から響き、光が差した。天井のハッチが開き、梯子が静かに降ろされた。

  オノンは梯子を登る。差し出されたシアリスの手を取って登りきると、素早く周囲の様子を確かめる。先程まで誰かがいたような痕跡があるが、誰もいなかった。


「見張りをどうしたの?」


「しっ」


  シアリスが喋るなとジェスチャーをする。

 部屋というよりは通路と言った感じの場所だ。続く廊下の先に薄明かりが隙間から漏れる扉がある。シアリスはその扉を指差し、オノンは頷いて、そちらの方を見た。

  オノンが扉に近付き、隙間から様子を伺う。扉の向こうには大きな部屋が広がっており、木箱やら皮袋やらが、所狭しと積み上げられている。はみ出した怪しげな物品の隙間の先に、オノンは友人の姿を見た。


「トピナが居る。まだ無事」


  トピナというのが、オノンの友人の名前らしい。

 オノンに変わって、シアリスも隙間から扉の先を見た。表向きも倉庫、裏向きも倉庫という盗賊のアジトである。シアリスは何となくだが愉快に感じ、動いていないはずの心臓が少しだけ踊るのを感じた。

  二つの人影が見える。


「女の方がトピナで、男の方がモキシフ?」


  シアリスが問うとオノンは頷いた。

  盗賊魔術師モキシフは禿げ上がった小太りの男である。太い二の腕はとても魔術師を想像させないが、様々な奇怪な装飾品で彩られた服装は、大道芸人、あるいは成金の商人を思わせる。人を馬鹿にしたような笑みも、それを助長させていた。

  トピナの方はシンプルな服装に身を包んだ、長身の女性である。

 長い四肢にゆったりとしたワンピース。ボサボサの赤髪が気の強さを物語っている。オシャレとはとても言えないが、それが似合っている。まだ幼さの残る顔は、今は苦痛の表情を浮かべているが、エルフにも劣らない整った顔立ちだ。

  他にも複数人の盗賊たちが、荷物を整理したり、暇を持て余したりしているが、どれも覇気がない。ただの雑魚だろう。

  モキシフが彼女を拷問しているのかとも思ったが、どこか様子がおかしい。

 トピナは立ったまま、両手を広げて何かに耐えている。よく見ると彼女の周りには、三角形の金属片のようなものが無数に浮かんでいる。それが彼女の両手から放たれる力場に、ぶつかっては火花を散らしている。モキシフはそれをニヤニヤと眺めているだけだ。


「僕が注意を引くから、その隙に助けてあげて」


  オノンが何か言いかけるがそれを飲み込んだ様子で、ハッキリと頷いた。シアリスは扉の隙間から影となって倉庫に入っていった。



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