死のアトリエ
◆
しばしの硬直状態の間に、シアリスは戦略を巡らせていた。
といっても数秒ほどの時間でしかないが、ミラノルたちにとっては十数分程度の会話をしていたことを、シアリスは知らない。
こうした経験は初めてである。シアリスは戦いをしたことがない。それは前の人生でも同じだ。
シアリスは狩人だ。仕留めるときは、気付かれず、素早く、完璧に相手を無力化していた。
こちらの世界に生まれたあとも、それは同じである。吸血鬼の体になったことで、それは強固になった。シアリスは相手の命を奪うことでしか、自分の存在を確認できない。そのためにこの吸血鬼の体は、まさに天の与えもうた才覚である。
ただ、殺しがだんだんとつまらなくなってきていた。
吸血鬼の体は強すぎる。
人間であった頃は、肉体の限界を追求した行動、隠蔽と逃走のスリルがあったが、今はただの殺戮である。
そこで考えついたのが、デラウを殺すことであった。
凶悪で自分より強い者を狙えば、達成感を味わえると考えた。
ミラノルたちは、デラウの力を奪うために利用されたと思っているだろうが、そんなものは二の次である。ただ、強き者を殺すことで満足感が得られるかも知れない、という純粋な考えだった。
計画は楽しく、オノンやルシトールを懐柔し操ることは、満足感を得ることができた。誤算があったとするならば、デラウを殺したところで、どこも何も面白くなかったことだ。
だから、目標を変えた。楽しそうな獲物は、目の前にいる。
シアリスは計画を変更した。いや、シアリスに計画などない。常に突発的で、刹那的だ。こちらに来てからも、そこに違いはない。
誰にも本心は明かさず、明かす本心もない。それこそがシアリスの本質である。
彼はミラノルを見た。
「待ってください。暴走してしまったんです。今は正気に戻りました」
「……」
「オノンさま、申し訳ありません。すぐに怪我の手当てをしてください」
オノンは口をつぐみ、ミラノルは溜息をついて、呆れたようにシアリスを睨み返す。
「あなたはいつもそうやって、相手を惑わそうとするんだね。本当のことなんて、ひとつも言わない。言ったとしても、それは相手を利用するため……。もう話し合いの時間は終わったんだよ、シアリス」
シアリスの目が静かに冷たくなる。
「それで? このまま、殺し合いですか。とても野蛮じゃありませんか。僕たちのような異世界の人間が、この世界のルールに従う必要がありますか?
あなただってもっと楽しいんだ方が良い。そうだ、僕と一緒にこの世界を旅しましょう。お互い分かり合えるはずです。どこかで安住の地でも見つけて、静かに暮らすのも良いかもしれませんよ」
ミラノルは鼻で笑う。
「わたしを殺して、わたしの家族を殺して、まだそんなことを言えるなんてね。あなたとは絶対に分かり合えない」
言い終えないうちにシアリスは消え、彼はミラノルの瞳に鋭い爪を突き入れようとする。それを防いだのはルシトールだった。ミラノルの目では捉えられなかった動きも、戦士であれば的確に反応できる。斬り払った不死斬りで、シアリスの腕は切断された。
オノンの闇の手が振るわれ、シアリスの体は真横に吹き飛ぶ。
その体にトピナの放った霆が突き刺さる。ミラノルの力が合わさったことで、それは自然の雷撃を越える脅威的な威力となって、シアリスの体をバラバラに崩壊させる。
破壊されることを想定していたシアリスは、体を再生させなかった。敢えて再生を遅らせ、視線をその肉体に集中させる。
彼は地面に広がった自分の影の中に、いくつかの予備の肉体を作っていた。
体が地面から離される前に、その肉体の中に意識を移しておく。肉体を複数体操ることは負担が大きいが、ただの肉塊であれば力の消費は少ない。そのひとつに意識を移せば、ほぼ遅延なく肉体を維持できる。
その新たな肉体は、バラバラになった前のシアリスを見つめる四人の死角に、影の中から音もなく現れる。その死角からの奇襲の成功を確信したシアリスだったが、トピナの防御魔術に防がれてしまう。
少し離れた位置にいたエヴリファイは、シアリスの動きをしっかりと見据えていた。彼の優れた感覚を思念で伝達することで、その対応能力はただ五人いるという状況を超越する。
ひとつの生き物と化した今の五人に死角はない。
エヴリファイは地面に広がる影を感じ取った。今は夜だ。シアリスを殺すことはできないと思えるほど、その力は広がっている。
ここから本体を見つけ出すことは不可能に思える。もし、見つけ出したとしても、先ほどのように次の体に移られてしまうかもしれない。シアリスを虚無に引き込むには、確実に本体を捕まえなければならない。
その思念を感じ取ったミラノルは、上空へ魔術の光を放つ。それはデラウに対して魔術を使ったときと同じものだ。
あのときは焦りと不慣れさから、失敗をしてしまったが、今は違う。
辺りは昼のように明るくなり、シアリスの周囲に伸ばした影が浮かび上がった。そして、その光は無数の光に枝分かれし、地面へと降り注ぐ。それはシアリスを狙わず、影の中の予備の肉体を的確に撃ち抜いた。ただひとつを除いて。
「っ⁉」
この狙いは明確である。残ったこの肉体に入れと言っている。そして、予備の肉体など意味がないとのメッセージだ。
予想外の攻撃に驚いたシアリスは、後ろに跳んで次なる攻撃を逃れようとした。
降り注ぐ光の雨が、シアリスの視界を妨げる。その雨の隙間をトピナ、オノン、ルシトールが駆け抜け、シアリスへ迫った。
シアリスは防御しようとするが、トピナが腕を破壊し、オノンの矢が脚を斬り裂き、ルシトールの不死斬りがシアリスの心臓を貫く。
完璧な連携だ。もし、もうひとつの体に移ったのなら、ミラノルの魔術が彼を仕留めることになる。シアリスの策は見破られ、もはや逃げ場はなくなる。
ミラノルの胸に、シアリスの爪に突き立てられる。
誰もその動きを捉えることはできなかった。
シアリスは予備の肉体が再構成される場所を、意図的に知らせていたのだ。何らかの理由で、ルシトール含む全員がシアリスの肉体の場所を感知していることはわかっていた。だから、シアリスはもっと完璧に擬態した。
小さな数百匹もの小さな蟻となり、影に紛れて移動した。収集家が別種の肉体を模造したように、無数の小さな肉体に分かれ、偽装したのだ。
この奇策を見破ることはできなかったエヴリファイが、後ろを振り返ったときには、ミラノルの背中から胸を貫いて、シアリスの赤く染まった腕が見えた。
切断されたミラノルの左腕が宙を舞い、シアリスの牙が、ミラノルの首に深々と食い込む。
エヴリファイが叫んだ。
「エヴィ!」
エヴリファイがミラノルを、エヴィと呼んだ。エヴリファイが振り返って、ミラノルをエヴィと呼んだのだ。
シアリスはその違和感を覚えたとき、ミラノルの残った右腕がありえない角度で曲がり、シアリスの体に巻き付いていることに気が付いた。
シアリスは気が付かなかったのだ。トピナの幻影魔術によって、ミラノルとエヴリファイが入れ替わっていることに。
単純なトリックであるが、シアリスに魔術の知識がないことを、ミラノルたちはわかっていた。シアリスが本当に気付いていなかったことは、魔術を使った戦闘が、この世界ではとても重要だということだ。
エヴリファイの偽装技術と、ミラノルとトピナの魔術が、シアリスの吸血鬼の五感を誤認させる。シアリスがひとつの肉体を狙うように誘導したように、ミラノルもまたシアリスを誘導していた。
体を離そうとする。肉体が破壊されなったことで、シアリスはその肉体を捨てるという判断ができなかった。
エヴリファイの変形した腕を体から引き剥がし、その場を離れようとする。下がろうと後ろに跳ぶが、何かにぶつかり動きが止まった。何にぶつかったのか理解できず、シアリスは手探りで、その壁を何度も触った。
周囲はオールアリアのアトリエの中に見えるが、それは絵のように平面だ。目の前にあるガラスの壁の外側に描かれた、虚像である。
シアリスは自分がどこにいるのかわからなくなる。
「空間が崩壊すると、認識することが難しくなる。その壁の向こうには、何もない」
うしろに倒れていたエヴリファイが、半身だけを起こしてシアリスを見ていた。
片腕がなく、肩から胸にかけての大きな裂傷。そして、左の胸には大きな穴が開いている。生きているのが不思議なほどの損傷である。
シアリスはその言葉を無視して、自分の影を辺りに広げてみる。ここは球状になった狭い空間であった。
シアリスは、デラウから奪ったアトリエの『鍵』をつかって、外に出ることを試みるが、反応は全くない。
「無駄だ。その鍵の権限は、もうない」
シアリスは無表情でエヴリファイに近付くと、影の力で体を持ち上げ、その肩に爪を突き立てた。エヴリファイの口から苦痛の声が漏れる。
いつも無表情なエヴリファイだったが、その顔がゆがむ。だが、それは苦悶ではない。笑みだった。
「……無駄だ。二人とも、完全に消え去ることになる。魂の一片も残すことなく」
シアリスは何も言わず、影を使ってエヴリファイの肉を抉った。それでもエヴリファイは話すことを止めない。
「もう、ここから出ることはできない。鍵はもう壊した。誰も入ることも、出ることもできない。終わったんだよ、くそ野郎が! ミレイをお前の好きにさせるか! お前は負けたんだ‼」
エヴリファイは自分を創った王が、なぜ自分に感情を埋め込んだのか、ずっと疑問だった。
三千年もの間、動くことのないミラノルの体が保管された小屋で、ずっと考えていたことだ。だが、こうしてミラノルのために働くことができたことに、喜びを覚えた。この吸血鬼を殺すことができることが、自分の生まれた意味であると理解した。
これが王の意図したものなのかはわからない。ただ、少なくともエヴリファイは自由だ。
「憐れな奴だ。生まれ変わっても囚われ続けて、結局、それが原因で死……」
シアリスは無表情にエヴリファイの首を掴み、声を止めた。
「そうですか。どれくらいでここはなくなりますか」
徐々に空間が縮んでいることにシアリスは気が付き、いずれこの空間が潰れてなくなることを察知していた。手が離され、エヴリファイは口が使えるようになる。
「すぐだ。すぐにここはなくなる。虚無に飲まれ、すべてが終わる」
「そうですか」
シアリスはその言葉を聞いても全く動揺せず、エヴリファイの残った左手を握り潰した。抑えた悲鳴が狭い空間に響く。
「なかなか死にませんね」
そう言っておもむろにエヴリファイの片目を潰す。唸り声を上げて、エヴリファイは悶絶する。エヴリファイはシアリスを、残った片目で睨みつける。
「拷問などしても無駄だ。どうやったって出ることは……」
「わかっていますよ。出られないのでしょう。僕は負けた。それは残念です」
シアリスはエヴリファイの腹の皮膚を爪で剥ぎ取る。
「けれど、それがどうしたんですか。どうでも良いことだ」
「……ここは虚無だ。魂さえも消えてなくなる。もう二度と、お前は生まれ変わることはない」
シアリスはその言葉を聞いて、肩を落とした。
「それは楽しみです。そんな体験ができるなんて、ワクワクしますね」
爪が深々と肋骨の間に差し込まれた。そして、無理矢理それを引き抜く。骨が肉から剥がれる音と、漏れ出す息が空間を満たす。
エヴリファイは苦痛の中、目の前の美しい顔を見た。彼は死への恐怖も、痛みを与えることへの喜びも感じてはいない。
この得体のしれない少年は、何も思っていない。シアリスにとって、死など取るに足らないものなのか。いや、違う。彼はそんなことすら、どうでも良いことなのだ。これはただの作業。拷問に意味などない。生きていることに意味などないのだ。
エヴリファイは初めて恐怖した。
「悪魔……」
空間が臨界を迎え、水圧に潰されるように歪んだ。虚無には光も音もない。
エヴリファイの意識はそこで途絶えた。彼が最期に目に焼き付けたものは、天使のような少年の笑顔であった。
「せっかく生まれたのだから、楽しまないとね」
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