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 ◆


 村に辿り着いたデラウは、ミグシスの姿を探した。

 ひと目で見当たらなかったため、その名前を叫ぶ。こうすればミグシスは姿を現さなければならない。

 ゆっくりと歩きながら姿を現したミグシスに対して、デラウは苛つきを覚える。


「扉を開けろ」


 ひと言だけ告げる。外に出て人間の兵士に戦わせれば良い。ミラノルさえ仕留めてしまえば、シアリスがいようとも自分が勝てるとデラウは考えている。

 最初からそれで済む話だった。だが、ミグシスは両手を軽く上げて、何の話か分からないとでも言うように何もしない。


「早くしろ!」


 デラウはまた叫ぶ。後方にシアリスが迫っている。


「シアリスさまがお見えですよ? もう少し待ってから出られた方が、手間が省けます」


 この状況を見てもまだ、ふざけたことを言うようなミグシスではないはずだ。デラウはようやく違和感に気が付く。奴隷たちの気配がない。もし、外で仕事をさせているにしても、ひとりも村の中にいないことなどあり得ない。

 奴隷であった住民は、すでに避難済みである。

 シアリスが戦いに遅れたのは、彼らを避難させるのにも、少し手間取ったためだった。

 彼らは強く洗脳されており、意識がオボロげな者もいた。そんな人物が四百人以上もいたのだ。オノン、トピナと力を合わせても、まとめて移動させるのは容易ではない。

 デラウ目の前にいる自分の従徒を見た。より深く、より詳細に見る。それは確かに自分の従徒である。影の力の繋がりも感じる。だが、何かがおかしい。


「貴様、ミグシスではないな……」


 いったいどうなっているのかは理解できなかったが、デラウの行動を素早かった。

 その胴体に手を突き入れると、心臓を引き抜き、潰す。従徒の体が地面に倒れ込む。ミグシスであった従徒の顔は、シアリスの従徒ナバルへと変貌した。

 シアリスが何かの小細工をしたのだ。ミグシスを殺し、デラウ自身に悟られぬように、ナバルにミグシスを演じさせた。

 従徒とその主である不滅者は、影の力で繋がっている。もし、従徒が死ねば、不滅者は気が付かないはずがない。そうであるのにも関わらず、ミグシスが死んでいて、ナバルと入れ替わっていることに、デラウは気が付くことができなかった。

 シアリスの従徒には、シアリスと同じ力が宿っていた。それは食った吸血鬼の力を引き継ぐという力である。

 シアリスはデラウの従徒のひとりのモビクで、それを実験していた。モビクをナバルに食わせて、いつデラウが従徒の死に気が付くか実験した。結果、デラウはひと月の間、モビクが生きていると錯覚していた。

 シアリスは実験の結果をもとに作戦を立てたのだ。ナバルにミグシスを食わせ、デラウに誤認させる。この場に誘い込むために。


「忌々しい‼」


 デラウはその力を自身へと奪い返すために、心臓から取り出した影の力を飲み込む。

 この従徒がまだ正気を保っているのであれば、ここにはまだミラノルの力は及んでいないことになる。影の力を使えるはずだと、デラウは考えた。

 影の力を解放し、従徒から取り戻した力を自身に吸収する。これでアトリエの管理者としての力を使えるようになる。

 デラウが手をかざすと、空間に扉が作られ始めた。

 シアリスが遠くから叫ぶ。


「トピナさま!」


 デラウは自らの周囲に浮かぶ三角形の物体に気が付く。なぜ今まで気が付かなかったのか。村の中央付近に立つ、二人の女が目に入った。

 魔術師トピナの肩に、軽く手添えるように置く精霊使いのオノン。

 どうして彼女たちがここにいるのか。その疑問を紐解く前に、デラウの思考は途絶した。

 出土品『鱗』の作り出した力場が、デラウの心臓を通った。

 黒い力の奔流が、周囲の空気を巻き込んで爆発し、鱗はその力に耐えきれず霧散する。

 シアリスは片手を上げて、エヴリファイの歩みを止めさせた。これ以上近付くのは危険だ。

 デラウの吸血鬼の力を肌で感じる。エヴリファイから降りたミラノルも、相手の次の行動に備えるために身構えた。

 力の奔流が弱まり、空に伸びる一筋の黒い煙となる。その直線との地上の接点が爆発し、そこから飛び出した翼が、ミラノルに向けて凄まじい速度で迫る。

 シアリスとエヴリファイが割り込まなければ、彼女は鷹にサラわれるネズミの如く、上空へと連れ去られていたはずだ。

 攻撃をサエギられ、浮かび上がった影は、今までのデラウとは似ても似つかない姿である。

 血管の浮き出た青白い皮膚。

 開ききった瞳孔。長く尖った耳。

 そぎ落とされたような鼻。

 背中から生えた蝙蝠のような大きな翼。

 猛禽を思わせる鉤爪。

 異様に伸びた鋭い牙。

 悪魔を彷彿とさせる姿のデラウは、甲高い声で吠えた。上空を旋回し、獲物を狙う。その血走った眼が捉えるのは、ミラノルのみである。

 シアリスの誤算は、デラウにはミラノルの力が覿面テキメンであることだ。

 収集家コレクタルはミラノルの影響下にあって理性を失っていたものの、言葉を使い、技術的な能力を使って戦っていた。

 シアリスも暴走したが、攻撃を受けたことで正気を取り戻すことができた。

 それに対して今のデラウの様子は、明らかに違う。もはや知性は感じられず、飢えた肉食獣のような狂気に満ちている。吸血鬼としての真の姿を晒している。

 再び吠えた吸血鬼は、急降下を開始する。確かに速度はあるが、直線的すぎる動きだ。

 背を向けて逃げる獲物には効果的だが、迎え撃とうとする敵に対して行うものではない。

 デラウの目には他の敵対者の姿すら写っていない。本能に従って狩りをするだけの野獣だ。

 シアリスとエヴリファイが身構えるが、その前にデラウが空中でよろめいた。離れた位置にいるオノンの放った三本の矢が、すべて命中した。

 矢はそれぞれ別の、常識外の軌道を描き、ほぼ同時にデラウを貫く。翼の付け根、右腕、右脚。すべてが致命傷ではなく、動きを止めるための攻撃だとわかる。

 クルクルと回転しながら落ちるデラウは、ミラノルの位置からかけ離れた地面に激突した。どんな魔物もこれだけの速度で墜落すればただでは済まない。土煙の中、起き上がったデラウも、無傷とはいかなかった。

 再生は凄まじい速度で行われるが、しばらくは(それでも数秒であるが)動くことは難しい。

 ようやく追いついてきたルシトールが、雄叫びを上げてデラウに突進した。

 例え正気を失っていても、この雄叫びを無視することはできない。デラウはルシトールを迎え撃とうとするが、トピナのイカヅチに大腿を貫かれ、体勢を崩した。ルシトールの振り下ろした一撃が、デラウを肩から切り裂く。

 不死斬りによる一撃である。全く痛みを感じてないようなデラウであったが、この攻撃には絶叫した。本能がその攻撃を避けるために、距離を取ろうとする。

 戦いは有利に進んでいる。 

 この調子で相手を文字通り釘付けにすれば、あとは時間の問題だ。多少の想定外はあったが、作戦通りに物事が進んでいる。だが、シアリスは少し残念に感じた。もっとデラウには楽しませてもらえると思っていたからだ。

 そもそもこの作戦は、はじめから破綻ハタンしている。

 シアリスの体力は、人間の状態では有限なのだ。寝る必要がないのも、食事を取る必要がないのも、作られた体だからではない。再現された人間の体は、影の力からその力を補充している。

 食べる必要がないのも、寝る必要がないのも、影の力があればこそだ。

 つまり、デラウをその力が尽きるまで、延々と攻撃し続けるという力技は、不可能なのだ。

 ミラノルの影響下でその作戦を実行すれば、シアリスの限界が訪れたとき、二匹の吸血鬼によってミラノルは捕食されることになる。

 これは誤算ではない。はじめからシアリスは作戦を実行するつもりなどなかった。

 距離を取ったデラウを追い、シアリスは影の力を使ったその圧倒的な速度をもって、その首筋に自らの牙を突き入れた。


 ◆


 シアリスの特殊能力は、本来はすべての吸血鬼に備わっているものなのかもしれないが、それを確かめる術はない。それをシアリスは意識して操ることを会得していた。

 血を飲むという行為は、生命力を取り込むための捕食である。だが、魔物である吸血鬼には、もうひとつの理由がある。

 儀式ギシキだ。

 吸血鬼は、牙を使って皮膚を食い破り、そこから血を吸う。その牙にはもうひとつの力がある。それは人間のタマシイを捕らえるというものだ。

 牙を差し込まれた人間は、魂を破壊され、魂を捕食される。吸血鬼の牙の一撃が、確実に致命傷となる理由である。

 これは吸血鬼の本能とも言うべき、儀式的な役割を果たす。

 吸血鬼はただ血を飲むだけでは、満足できない。噛みつき、魂を捕食することで、一時的な充足感を得ることができる。

 シアリスはこれを魔術的な儀式、不滅の魂を維持するための術の一部であると予測している。

 そして、噛みつかれても魂を破壊されない者もいる。魂魄コンパクが影の力で構成されている者である。

 つまり吸血鬼だ。

 吸血鬼が吸血鬼に噛みついても、その魂を破壊することはできない。

 シアリスはその破壊されない魂を吸収し、この魂をそのまま自分に取り込むことができた。

 これに気が付いたのは、本当に偶然である。

 収集家コレクタルとの戦いのとき、シアリスはミラノルの力の影響を受け、暴走してしまった。

 しかし、最後の残った自我によって、ミラノルをがむしゃらに襲うのではなく、収集家に噛みつき、その血と魂をムサボった。そのとき、シアリスは収集家の魂を自身に取り込むことに成功したのである。

 本来であれば、肉体から離れた魂に、記憶などの物理的な要素は保存されないが、吸血鬼の場合は別である。その魂は影の力によって構成され、再生の際に記憶を取り戻すことができるようになっている。

 吸血鬼とは、影の力が本体なのだ。

 シアリスは取り込んだ魂に自らの意識を繋ぎ、記憶を再現し、力を吸収することができた。これはシアリスに与えられた特別な能力と言っても過言ではない。

 本来はすべての吸血鬼に備わったその力は、ミラノルの力に当てられたことによって暴走し、目覚めることになる。そして、その力に抗い、自我を取り戻したことで、操ることができるようになった。


(まぁ、そんなことは僕には関係ない)


 突き立てた牙から流れ込んでくるのは、血液ではなかった。

 デラウの記憶を感じる。二千と七百年と三十六年。ほとんどが曖昧で、霞がかったようにはっきりしない。

 そんなことよりもこの膨大な力を一滴残らず飲み干すことに苦戦した。シアリスの予想よりもすっと多い。

 デラウが貯め込んだ生命力は、五十万人分を超えている。

 日々の体の維持のために消費してきた分を差し引いても、ほぼ毎食のようにメネルを捕食してきたに違いない。これだけの人数を犠牲にしてきたことを、多いと思うべきか、少ないと思うべきか。

 シアリスが溢れる影の力を制御しようとしていたところで、その意識は真っ白になった。

 体内に取り込んだデラウの記憶が、シアリスに話しかけてきた。


「シアリス、なぜ、こんなことをする」


 デラウの姿は、人の姿であった。いつもの、デラウだ。困惑しつつも平静を装い、デラウに言い返す。


「わかりませんか、父上。いや、あなたは理解しているはずだ。それとも忘れてしまったんですか? この世界に生まれたときに、下された命令を」


 デラウは沈黙した。シアリスは話し続ける。


「ああ、そうか。本当に忘れてしまったんですね。哀れだ。やはり、僕の行動は間違っていなかった。あなたは死すべき人……、いえ、失礼。死すべき吸血鬼だ」


 シアリスは大きな溜息を吐いた。


「だって、そうでしょう。あなたの晩年は酷いものだ。これだけの人数を虐殺してきて、最期は穏やかに農家(・・)として死ねると思っているのですか?

 ありえませんね。僕たちのような化け物は、壮絶で、最悪で、劇的な最期を迎えるべきなのです。だから、僕はあなたを殺す。自らが生み出した化け物に殺されるなんて……、すごく、劇的だと思いませんか!」


 シアリスは興奮するように言った。

 対してデラウは何も言わず、影となって消えた。これはただのデラウの意識の残滓だったのかもしれない。

 同時に白い意識は現実へと戻され、噛みついた首筋から溢れる影の力が、アトリエ内に霧散していく。


 ◆


 黒い力が放射され、近くに居たルシトールとトピナを吹き飛ばす。倒れ込んだ二人に、オノン、ミラノル、エヴリファイの三人は駆け寄り、彼らを助け起こした。


「何が起こったの⁉」


 突然、体を投げ出されたトピナは、困惑した様子で叫ぶ。オノンは彼女を支えながら、その問いに答えた。


「シアリスが吸血鬼の力を使ったみたい」


「なんでだよ! 力は使えないんじゃなかったのか」


 ルシトールが起き上がりながら言うが、ミラノルが訂正する。


「使ってはいけないってだけ。シアリスは力を使うことはできたけど、使わなかっただけ。今のシアリスは、力を使っても暴走しなかった。わたしたちはシアリスに騙されてたみたい……」


 シアリスはミラノルの近くにいた。デラウよりミラノルの方が近くにいたはずなのに、吸血鬼の力を解放したあとも、彼女には目もくれずデラウに襲いかかったのだ。聞いていた話とは違う。

 ミラノルがそう言う間にも、黒い力は渦巻く奔流ホンリュウとなって広がっていく。

 それは竜巻のように上空へと伸びると、空間の境界に当たり、四散していく。青空にしか見えないが、そこがこのアトリエの外壁、あるいは天井に当たる部分なのだ。


「シアリスは、いったい何をしたんだ?」


 トピナがその竜巻を見ながら言う。これでは近付くことは難しい。あの黒い力は魔力の塊だ。近付けば、肉体ともども魂までバラバラにされることだろう。


「シアリスが、デラウに噛みついたように見えた」


 エヴリファイが答える。


「それって……」


 オノンが口を開こうとしたとき、地面が揺れた。

 揺れは収まえう気配はなく、地面がめくれ上がり、ひび割れ、傾く。それは地面だけではない。空も同様に破壊されていく。竜巻が周囲を削り取るように広がっていくのが見える。


「これは、まずいんじゃないか……!」


 ルシトールが風に飛ばされまいと、しっかりと踏ん張りながら叫んだ。ミラノルの腰を掴んで、彼女を風から守ることとも忘れてはいない。

 このままでは、ここも飲み込まれるのは時間の問題だ。だが、脱出するには、この竜巻を迂回して、出口を目指す必要がある。

 ミラノルの判断は早かった。


「みんな、わたしの周りに集まって!」


 そう言い終わったときには、詠い始めている。

 ミラノルの周りに周囲の魔力が集い始める。皆が慌てて、ミラノルの周りを囲う。

 その数秒後に地面は崩れ、今まで立っていた場所は奈落へと変わっていた。ミラノルが作り出した部屋は、アトリエ内の空間に浮き、ルシトールたちを支えた。


「危ねぇ!」


 魔力の床の上で、見通しが良すぎる下を見ながら、肝を冷やしたルシトールが言う。


「これって……、古代魔術? どうなってるの⁉」


 トピナがミラノルを見ながら言うが、ミラノルに応える余裕はない。竜巻がすぐそこまで迫っていた。


(このまま、このアトリエを脱出する……)


 ミラノルがそう考えたとき、竜巻から伸びた無数の力の線が、ミラノルたちを包んだ部屋に直撃する。

 線はその壁を圧迫し、衝撃が部屋を揺らした。

 天地が入れ替わり立ち代わり、激流を行く木の葉のように、ミラノルたちを翻弄する。それでも部屋の形を維持しようと、訳もわからないままミラノルは魔術を続けた。

 それがしばらく続いたとき、ミラノルの意識は途絶える。

 意識が遠のくのを感じることもできないほどの衝撃が、彼女たちを飲み込んだ。


読んでいただきありがとうございます!

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