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白玉楼中

 ◆


 ミラノルたち三人はオールアリア城下街の安宿ヤスヤドに泊まっていたのだが、何者かが宿に訪れたと思うと、宿の主人から丁寧に追い出され、今は成金ナリキンご用達の高級宿に泊まらされていた。

 断るわけにもいかず、高級宿の女将オカミに嫌な顔をされながらも迎え入れられる。

 宿の従業員らは、ミラノルたちを有無を言わせず風呂に案内すると、服やらなんやらを剥ぎ取られてしまった。ルシトールはさすがに武器だけは死守した。

 ミラノルは、ルシトールとエヴリファイ二人から引き離され、少しの不安を感じたが、大きな大浴場を貸し切りで使うことは久しぶりであり、もう二度とないと思っていたので、不安などすぐに吹き飛んでしまった。

 ミラノルは体を洗ったあと、御影石ミカゲイシで作られた大きな浴槽に体を沈める。翼のある蛇の像の口から、湯は大量に流れ出している。湯加減も少しぬるめで、長風呂に丁度良く心地が良い。


(戦いの前に、こんな気分になれるとは思ってなかったな……)


 この街に来たのもシアリスの作戦の一環である。少ないながらもシアリスに感謝した。

 湯の良い香りに包まれながら、天井を見上げた。自分の小さな掌を、持ち上げて眺める。


(少し大きくなったかな)


 ミラノルは見た目だけで言うならば、メネルの年齢で十か十一である。成長の幅が大きくなる年齢だ。

 ミラノル自身、不安であったのだが、ホムンクルスが成長することができるのかという疑問があった。

 近頃は服のサイズが合わなくなり、実感が湧くほど体が大きくなり始めたので、その不安は解消されていた。ずっと小さな女の子のままなのは、生きていく上で色々不便なことが多すぎる。

 この体を得てから二年と半年ほどだ。今まで少しずつたくさんの過去の記憶を思い出したが、それらはいずれも違和感にアフれ、自分のものだとは思えなかった。だが、近頃はその違和感も少なくなり、自分が昔、別の時代を生きていたことを実感できるようになってきた。

 この体は、以前の体とは違う。

 記憶は思い出してきたが、その記憶にある自分は、今の自分とは別人だった。考え方も、容姿も、習慣も、立場も、まったく別のところにある。

 ミラノルを作った魔術師は、どんな目的を持ってミラノルを作ったのか。この記憶を入れたのは、なぜだろうか。

 記憶だけを移す魔術など聞いたことはない。それならば魂自体をこの体に入れたのだろうか。だが、魂は記憶を保存するわけではない。記憶とは肉体の物理現象に過ぎない。

 ミラノルは自身の状況を分析する。

 もし、あり得るとするならば、魂の形に肉体が引っ張られ、成長とともに記憶を蘇らせた可能性はある。だから、違和感も薄れるように馴染んでくるし、記憶は少しずつしか思い出せないのだ。

 魂が肉体に影響を与えうるならば、肉体も魂に影響を与える。もう自分は、昔の自分ではないはずだ。

 今の自分は今の自分でしかなく、昔の自分ではないと思いたいとも思う。

 ミラノルの知識は、この一か月で飛躍した。

 リッチとの戦い、オノンとの精神の接触が、多くのことを思い出す切っ掛けとなった。

 さらにその知識が、知識の分析を可能にし、加速度的にミラノルは過去の自分と融合した。

 ミラノルは魔術師であった。今や幾つかの魔術も思い出し、扱えるだろう。まだ完全にすべてを思い出したわけではないのが気掛かりだが、決戦おいて魔術は役に立ってくれるはずだ。

 少し練習しておくかと思い立ったミラノルは、魔力を操り、お湯を浮かして増やしてみる。

 まさしく水玉となった湯は、浴場内を無重力のように漂わせる。

 オノンの意識の中で、鯨に変身した感覚を思い出す。その感覚を手掛かりに、水玉をいくつもに分裂させたり、合体させたりして数分遊んでいると、突然、浴場内に悲鳴が響き渡る。

 ミラノルは驚いて、悲鳴をした方を見る。そこには数人の裸の女性が浮き上がる水玉を見て、腰を抜かしているのが見えた。湯気で視界が遮られ、流れる湯の音で、他の客が入ってきていたことに気が付かなかったのだ。

 慌てて湯の魔術を解いたのが、それがさらにまずい事態を巻き起こした。浮かび上がっていた湯が重力に引かれ落下し、大きな波となって破裂した。溢れた水が扉すら破って、人も物もすべてを洗い流し、廊下まで流れ出した。


 ◆


 ミラノルは部屋の隅の椅子に座らされ、目の前でルシトールとエヴリファイが豪華な食事をするのを眺めさせられていた。

 ここはミラノルたち一行に用意された部屋である。造りは豪華で、寝室は二つに分かれており、ダブルサイズのベッドが四つもあった。

 空腹で腹の虫が鳴るが、ルシトールはそれを無視する。我慢できなくなったミラノルは、重々しげに口を開いた。


「あの……、すみませんでした。もうしませんので許してください……」


 ルシトールと出会ってから、こんな風に子ども扱いされたのは初めてのことである。

 宿の女将とルシトールから説教を受けたミラノルは、現在、大浴場を破壊した罪により、折檻セッカンとして夕食を待て(・・)されている状態である。

 運よく怪我人がおらず、被害は破壊されたのは扉と、びしょぬれになった石造りの脱衣所と廊下のみだったので、子どもの悪戯イタズラとして、この程度で済んでいる。


「……反省したのか」


 ルシトールがミラノルに言う。ミラノルは首を縦に何度も振り、肯定する。


「よし、食っていいぞ」


 ミラノルはその言葉が言い終わらぬうちに立ち上がると、椅子にも座らずに食べ始めた。この体になってから、どうも腹が減る。それに我慢することが難しい。

 今、ルシトールたちはかなり上等な服を着ている。風呂上りに用意された服を着ただけだが、どの服もサイズがピタリと合っており驚いた。

 話によればこの宿に案内した使いの者が置いていったらしいが、おそらくシアリスの差し金だろう。デザインも今まで着ていた一張羅イッチョウラに近いもので、着心地も良い。

 いつもなら施しなど受けないと言うところだが、今はありがたく受け取ることにした。しかし、ルシトールはその上から、いつもと同じように鎧を付けたので台無しである。

 一通り食べ終えると、ミラノルは久しぶりの満腹感に苦しんだ。ルシトールはつまようじで歯の掃除をしながら、何気なくミラノルに訊ねる。


「それで? どうやって湯を溢れさせたんだ」


 説教のときはミラノルの説明は容量を得なかった。ルシトールは子どものやったことだからと宿の主人を誤魔化したが、彼女がそんな悪戯をするとは思ってはいない。


「いやあ、ちょっと魔術の練習をね……。貸し切りだと思ってたから……」


「魔術? トピナにでも教わったのか?」


 ルシトールたちは常に一緒に旅をしているので、近頃、魔術を使えるようになったとするなら、教わる魔術師はトピナくらいしか思いつかない。


「ううん。その……、前に、知らないことを思い出すってことを話したじゃない。その記憶の中に魔術を使っているのがあって、戦いに役に立つんじゃないかな、と……」


「魔術……。前に話していたときは、どうでもいい記憶ばかりだと言っていたじゃないか。いつから使えるようになったんだ」


「この間のリッチとの戦いの後。でも多分、魔術を読み解けるようになったのも、この記憶のおかげだと思うから、もっと前からなんだと思う」


 ルシトールは、ふ~んと鼻を鳴らすと、どこか遠くを見て考える。


「エヴィは? なにか変化はあったのか」


 エヴリファイもミラノルと同じホムンクルスである。同じアトリエから見つかった、いわば兄妹のようなものだ。


「ない。だが、ミラノルの言動が変化したことには気が付いていた。知能の水準が上がった。今日は失敗をしてしまったようだが」


 ミラノルは肩を竦める。ルシトールは、なんでそういうことを黙っているんだ、と独り言のようにつぶやいて、気を取り直し、溜息をついてから話し始める。


「わかった。だけど、戦いのときにはその力は使う必要はねぇよ。その力は計画に含まれていないし、まだ完全に扱いきれているとは言えないんだろ。悪い結果になるかもしれねぇ。まぁ、最後の手段に取っておいてくれ。誰にも教えるな」


「わかった。シアリスにも、トピナたちにも言わない」


 いつもならここで、全員に絶対話すと、ルシトールをやり込めるところだ。


「なんだよ。拍子抜けするな。本当にミラノルか?」


 ルシトールは冗談めかして言うが、ミラノルは少し気落ちしたような表情で、声を落として話す。


「わかってるよ。切り札に取っておくんでしょ」


「……なんだよ。なにか気に障ったか」


 ミラノルは首を横に振り、残りのデザートを平らげて、肘をついて満足感を楽しんだ。

 脳に血液が回らなくなり、眠たくなってきたミラノルは、フラフラと立ち上がって、部屋の中央にある大きなソファに寝転がる。ソファは一度入り込むと起き上がるのに苦労ほど柔らかい。


「まだ昼だぞ。寝るなよ」


「ん~。むしろ今寝ておいた方がいいじゃない? どうせ戦うのは夜になるんだからさ」


 まさにその通りで、デラウから送られてきた招待状は、晩餐に招待するというものである。戦うことになるのは、夜。吸血鬼の時間になる。

 この場違いな高級宿に泊まれるのは、招待状を届けに来た筆頭執事の計らいである。汚れた体で居城に上げるわけにはいかないという、彼の意地であった。

 ルシトールにとって、風呂など赤子のころに入った以来だが、悪くはない体験だった。

 飯も腹いっぱい食べられて、貴族の生活も悪くはないと感じる。テーブルに肘をついて椅子の上でまどろんでいたルシトールは、呼びかける声で飛び起きる。


「ルシトール」


 そのまま、テーブルの脚に立てかけていた剣を手に取り、立ち上がる。呼びかけてきたのはエヴリファイである。

 彼から話しかけてくるときは、ミラノルが危険なときか、敵が近付いてきたときだけだ。


「敵か」


「いや、そうじゃない。話を聞いてほしいんだ」


 ルシトールは驚きを覚えつつも、再び腰掛ける。エヴリファイが自分から話をしてくるのは珍しい。ルシトールは言わずにはいられなかった。


「お前……、不吉なことをするな」


「不吉? そうなのか?」


 エヴリファイは不吉などという迷信は気にはしないが、人間を不安にさせるようなことは排除しておきたいとは思っている。


「命がけの戦いに行く前に、いつもと違う行動をするのは、不吉なんだよ」


「別にいつもと違う行動はしていないと思うが」


「お前が声を出すことが、今までどれだけあったよ。いや、まぁいい。それで? どんな話があるんだ」


 エヴリファイが頷いて、口を開く。


「さっき、お前は自分に変化がないか聞いたとき、変化はないと言ったが、あれは嘘だ。ミラノルのような変化ではないが」


「どんな変化だ」


「体が重く、思うように動かなくなってきた。自分は間もなく機能停止するだろう」


「キノウテイシ? どういう意味だ」


「人で言うならば、死ぬということだ」


「……」


 ああ、やはり不吉な話だったな。と、ルシトールは肩を落とした。

 エヴリファイとは仲が良いというわけではない。彼は話を好む性格ではないし、行動も大人びているのでルシトールが世話を焼く必要がなかったからだ。

 だが、何年も寝食をともに過ごした仲ではある。情が湧かないわけではなかった。信頼の置ける仲間であることは間違いない。


「そこまで深刻になるものなのか? ただの疲れ、とか……」


 エヴリファイはゆっくり首を横に振った。


「そういう類のものではない。死をすぐそこに感じる。言葉で言い表すのは難しいが……、これは事実だ。おそらく、ひと月を待たずして、自分は消えるだろう」


 エヴリファイの体は不思議だ。大きく変形できるのは右腕だけだが、全身も少しは変形できる。

 皮膚についた小さな傷程度なら、一瞬で治癒チユしてしまうし、骨格をある程度変形させて、男女を入れ替えることもできる。

 だが、彼は非常に男性的な性格をしているとルシトールは思っていた。今もその思いを話す彼は、中性的な顔ではあるが、男にしか思えない。もっとも、肉体的特徴でいうならば、最大の特徴が有るはずのところにそれがないのだが。


「そう……か。なにか解決策はないのか」


 それも首を振って否定する。


「その必要はない。自分は生きるのに飽きた。ミラノルの記憶が戻った今、解決できるかもしれないが、その必要はない。このことはミラノルには言わないでくれ」


 あっさりと死ぬことを選ぶと言われ、ルシトールは何も言えなかった。ミラノルがソファの上で寝返りをする。


「自分はお前に見つけられるまで、あの小さな部屋で多くの時間を過ごした。お前に見つけられたとき、これでようやく終わると思ったのだ。何もすることはなく、何も感じることはないはずの自分が、死を望んだ。それが、自分が初めて自覚した、自分自身の意思だった」


 古代魔術師の時代は、三千年以上も前の話である。そのアトリエ内にいたホムンクルスは、アトリエができたときに造られたとするならば、彼もまた同様の時間を過ごしている。


「エヴィ……。だから、俺が部屋に入ってきたときに、なにもしなかったのか」


 ルシトールは彼と出会ったときのことを思い出した。


 ◆


 ルシトールは、ミラノルとエヴリファイに出会う前は、護衛を生業とする傭兵であった。

 傭兵の仕事と言うのは多岐に渡り、いわば何でも屋のように仕事を受けることがある。商人の護衛だけでは食ってはいけないのだ。

 ルシトールの場合、商人にこき使われるのが嫌で、固定の護衛になることはせず、行商の護衛で各地を転々とする、いわゆる根無し草のような生活を送っていた。

 収入は安定しないが、様々なものを見て回り、気楽に暮らす生活は、ルシトールの気性に合っていた。

 今回の仕事は、商人の護衛ではない。老魔術師のアトリエ探索の手伝いである。

 そういう仕事は冒険者がやるものだが、今回の魔術師は、冒険者を雇った上でさらに自分の護衛に傭兵を雇うという、なかなかの怖がり(・・・)だった。

 アトリエ内の探索は途中まで順調に進んだが、結果としては、探索隊は全滅した。ルシトールと雇い主の老魔術師を除いて。


(あのとき、魔術師のじいさんには世話になったな。今度、土産でも持って訪ねてやるか)


 アトリエ内を逃げ回り、出口も入口も判らなくなったとき、ミラノルとエヴリファイが居る、アトリエの最奥の部屋を見つけたのだ。

 そこはアトリエ内部とは思えない、場違いな場所であった。

 そこには扉はなかった。

 廊下の一角に突如として、柔らかな芝草の生えた村のはずれがある。

 小さな井戸。家禽がいたかもしれない囲い。赤い瓦屋根の小屋。ルシトールの故郷の村を彷彿とさせるような、長閑ノドカな風景がそこにはあった。

 アトリエから脱出するには、この小屋を探索するしかないと感じたルシトールと老魔術師は、どんな魔物が飛び出してくるかと思いながらも、中に入る。

 その小屋の中に、ミラノルとエヴリファイが居た。正確に言うならば、時間を止められたような状態で、封印されていたと言うべきだろうか。

 ルシトールが迂闊ウカツにも、文字の書かれた腕輪を触ったことで、ミラノルの封印が解かれることになる。

 ホムンクルスだと思っていたのだが、二人は襲いかかってくることはなかった。

 ミラノルは寝ぼけマナコで、余りにも無力。エブリファイはルシトールたちを気にすることなく、湯を沸かして茶を入れ始めるという、空気の読めなささだ。

 ルシトールと老魔術師は、彼らがアトリエに囚われたただの人だと思いこみ、一緒に脱出をすることを提案した。そのときのエヴリファイの言葉を思い出す。


「彼女が戻ったのなら、自分の役割は終わりだ」


 そう言ったエヴリファイは、絶望しているようにも、希望が芽生えたようにも見えた。だが、ミラノルの説得によって、ともに脱出することになる。

 あまりに知識の欠落しているミラノルのことを、他人に説明して預けるのには苦労するだろうし、エヴリファイに至っては、自分のことをホムンクルスだと言う。

 老魔術師とミラノルに乗せられ、結局、ルシトールが折れる形となった。彼らを見捨てて立ち去ることもできず、三人で旅立つことになってしまった。

 そのあとは、なし崩しである。吸血鬼の襲撃が相次いだことで、ミラノルの能力が発覚し、狩人としての才能に開花することになる。


 ◆


 出会った始めの内は、エヴリファイがホムンクルスだとは思っていなかった。しばらく行動を共にして、ようやく認めざるを得なかった。

 彼らはホムンクルス。魔物だ。

 だが、そのことに気が付いたときには遅い。彼らを非情に斬れる心を、ルシトールは持ち合わせていない。

 自由になったエヴリファイは、自由を謳歌オウカしている、とまではいかないものの、ミラノルを守ることに全力を尽くしていると思っていた。

 だが、彼にはそれすらも重荷だったらしい。


「自分は外に出たときに、消えるはずだった。だが、ミラノルが魔術を書き換えた。それは無意識だったのだろう。自身を守るための無意識の力の行使だ。ミラノルは自分を特別だと言ったが、ミラノルが自分を特別にしたのだ」


 エヴリファイはホムンクルスと思えないほど、感情を表現するようになった。


「だが、それも終わりだ。ルシトール、お前にミラノルのことは任せる。自分はもう疲れた。それに……」


 ルシトールは次の言葉を待った。


「この戦い、命を懸けずには終われないだろう。そうであるならば、命を懸けるのは自分の役目だ。嫌な予感(・・・・)がする。お前が迷信を気にするように。

 戦いは、ただ倒すだけでは終わらない。だから、自分がミラノルを命懸けで守る。そのあとのことは、お前に任せる」


 エヴリファイの表情は、いつもの冷ややかな表情ではない。力ある決意の表情である。ルシトールは力強く頷いた。

 彼が三千年の時間を、あの小さな小屋で、どのような思いで過ごしてきたのかは、どうやっても理解はできない。それでもルシトールは彼の思いを汲み取った。

 端的に一言だけ、エヴリファイに言った。


「わかった」


 ルシトールは少し笑った。


「予感がするだって? 随分と人間らしくなったもんだ。その決意、受け取ったぜ」


 立ち上がったルシトールは、エヴリファイに近付いて手を差し出した。エヴリファイも立ち上がり、その手を取る。

 固い握手を交わしたところで、ミラノルがソファから落ちた。叫び声をあげて、床を叩いたミラノルは、起き上がると握手を交わす二人を見て、目を丸くする。


「何してんの?」


 なんとなく照れ臭くなって、ルシトールは手を離した。


「男と男の約束事だ。さてと、いつまでここで待てばいいんだ? 迎えが来るはずだよな」


 韜晦トウカイしつつ、話を本題の方へ向ける。

 窓から指す光は、ゆっくりと部屋の奥までと伸び始めている。にわかに宿の外が騒がしくなったため、窓から様子を確認する。四頭()き豪華な馬車が、宿の中庭に止まっており、紳士が宿の者に何かを告げているところであった。

 迎えが来たのだ。戦いが始まろうとしている感じ、ルシトールの筋肉が震えた。


「ミラノル」


 ルシトールが振り返って呼びかけた。


「何?」


「引き返すなら今のうちだぜ。馬車に乗ったら、最後だ。この戦い、生き残れるかどうかわからない。死人が出ることは確実だ。それでも行くか?」


 ルシトールは最後の確認をする。ミラノルは力強く頷く。


「もう引き返せないよ。シアリスと出会った時点で、わたしたちの運命は決まっていた。だから、覚悟はできてる」


 ルシトールも頷き、ミラノルとエヴリファイに目配せした。

 手荷物を持ち、装備の再確認をする。部屋の扉が叩かれるのを待ったが、誰も来なかった。

 気合を入れ直した三人だったが、結局、迎えが来たのはそのもっと後であった。さっきの馬車は、別の宿泊者のものであった。

 締まらない出発に、三人は笑った。


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