生き埋め、息を殺す、ゼク、
◆
オナイドの街を離れたオノンとトピナは、じっと待っていた。
クライドリッツのリッチとの戦いの後、表舞台には姿を見せず、存在を消した。
シアリスに言われた通り、人里離れた場所にある洞窟に身を潜める。ここはシアリスが以前から目を付けていた隠れ家とのことである。
そこには人気はなかったが、丁寧に手入れされた小屋があり、掃除も行き届いていた。シアリスの手配だろう。
何日そこに居ることになるのかわからないとのことだったので、食糧を多めに持ち込んだが、洞窟のさらに下には食糧庫が掘られており、その中に大量の食物が保管されていた。
その部屋は低い気温で保たれており、長期間の食料の保存を可能にしているらしい。
魔術による効果かとも最初は考えたが、トピナの見立てでは魔術の気配は感じられないという。横穴に設置された回転するなんらかの装置から冷気が噴出しているが、その機構は謎である。吸血鬼の知識なのだろうか。
そこでの生活は案外快適なものとなった。
何日もアトリエの迷宮に潜ることが当たり前のこのコンビにとって、この洞窟は快適そのものだ。トピナが魔物除けの結界を張り、洞窟の入り口にオノンが精霊の力で偽装を施して、完璧な隠れ家となった。
しかし、ひと所に籠っての生活には、限界はある。それは精神的な苦痛だ。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎると、トピナは限界が来ていた。オノンはトピナほどの問題なかったが、それでもストレスは溜まるのは変わりない。
元々、アウトドアを好む性質の二人である。デラウとの決戦に備えるためとはいえ、この時間はとても長く感じた。
そして三週間が過ぎたころ、ようやくシアリスが現れたときには、二人は怒りをぶちまけた。
「遅すぎる! いったい、何してたんだよ!」
「完全に忘れ去られていると思ったわ」
二人に詰められたシアリスだが、ニコニコして悪びれる様子はない。
「お待たせしました。ようやく事態が動き出したので、お迎えに上がりました。ここの暮らしは快適でしたか? 残念ですが、今度はもっと酷いところに籠ることになりますよ。まぁ、そこで過ごすのは数時間程度のものでしょうが」
「……」
二人は怒る気力もなくしてしまい、倒れるように椅子にもたれかかった。
「それで? ちゃんとできたんだろうな。入ったらいきなり襲われるなんて、嫌だよ、あたしは」
「ええ。こちらは、うまくいきました。そちらの首尾はどうですか。移動できるのであれば、すぐにでもしていただくことになりますが……」
トピナは机の上に置いてあった箱から、三角形の物体を何枚か取り出してみせる。それはまるで意思を持っているかのように自立して、彼女の手から離れて浮かび上がった。
それらはトピナたちとシアリスが出会った事件、盗賊団ノヴァトラの頭目モキシフが持っていた、出土品である。
シアリスは破壊されたそれの一部を回収しており、その修復を二人に任せていたのだ。シアリスはこれを『モキシフの鱗』と呼んでいたが、トピナたちは悍ましいと、ただ『鱗』とだけ呼んでいた。
「素晴らしい。試してみても?」
「いいけど。完全に修復できたわけじゃないし、試すのは一回だけにしておけ」
「問題は耐久性?」
「使い捨てだな。あたしがこの出土品に捕まったときみたいに、何時間も使えるもんじゃない」
「なるほど。それなら問題ありません。一瞬でも力を引き出させるができれば良いだけですから」
浮いている鱗は六枚。それが円を描くように旋回する。
トピナのしている腕輪が、それらを操るための装置のようだ。
受け取ったナバルとファスミラの研究結果と、それを身をもって味わった経験があったとはいえ、それらを修復するのに普通であればひと月で済むはずもないのだが、そこは天才魔術師のトピナと、精霊術を扱えるオノンである。
もし、この二人が本格的に研究を始めたら、古代魔術の研究は飛躍的に進むだろう。今のところそうなる気配は微塵もないが……。
トピナの解説によれば、この出土品は、発生する魔力の生成を促進させ、放出する効果があるらしい。
魔力はそのまま放出されると、あらゆる物体を貫通し、それが体を通り過ぎると、精神を崩壊させるという特性を持つ。普通のメネルは魔力を持っておらず、宝石などを触媒として体内の生命力を魔力に変換する。
鱗自体に触媒としての効果はないが、この出土品の効果内で一度でも魔力を変換すると、それを強制するようになる、という代物だ。
一度、強制されると魔術師は魔力を放出し続けることになり、体力を使い果たし、魔力による精神汚染により、最終的に死に至る。
トピナはこれを回避するために、防御魔術を唱え続けることで、放出する魔力を消費して、精神汚染を避けるという荒業を行った。なんとか精神崩壊は免れ、時間稼ぎして助かったわけだ。
本来の使い方としては、この鱗は何らかの別の装置の動力部に設置され、魔石と呼ばれる魔力を宿した石から、その魔力を効率的に取り出すための仕組みだったのではないかと、トピナは予想していた。少なくとも人に向けて使うものではない、との解説だった。
シアリスはそれを利用して、吸血鬼の力を強制的に引き出させることができないかと考え、彼女らに修復を依頼したのだ。影の力と魔力はほぼ同義である。理論上は可能なはずだ。
「今、力場を作り出す。そこに手を入れてみろ」
作り上げられた円の中に、歪んだ空間が生成された。そこにシアリスは少しの躊躇もなく手を入れてみる。
今のシアリスは完全にメネルを模倣している。この状態でも影の力を引き出すことはできるか試してみる。しかし、結果は無念。魔力の放出は起こらず、シアリスはメネルの形態のままである。
「ダメ……か」
オノンはその様子を近くでじっくりと見たあと、シアリスを見て、また鱗を見る。
「腕では意味がないみたいね。でも魔物ならば、魔力を保っている部分が必ずあるはずだわ。全身を通してみれば、どこかで行き当たると思うのだけど」
トピナは制御用の腕輪をした手を引くと、鱗はそれに従って回転を止め、今度はシアリスの頭上を回り始める。上から舐めるようにそれはゆっくりと降りてきた。モキシフが使っていたように三次元でこの力場を広げることはできないようだ。
ゆっくりと降りてくる力場を、CTスキャナーのようだなと、シアリスは呑気に眺めていたのだが、力場が胸部に差し掛かったところで、強烈な圧迫感がシアリスを襲った。
「ぐっ」
思わず口から空気が漏れる。
「オノン、下がれ!」
トピナが叫ぶと、オノンは後ろ跳んでシアリスとの距離を取った。その次の瞬間には、シアリスの全身から黒い粒子のようなものが溢れ出し始める。家具や机が粒子に押され、部屋の中は嵐のような状態になる。
トピナが手を握り、鱗に命令を出すとそれは収まり、シアリスは力尽きるように床に蹲った。
「シアリス、無事か」
トピナが訊ねると、シアリスは手を上げてみせる。
「ええ、問題ありません」
シアリスは何事もなかったかのように立ち上がると、膝に付いた埃を払う。
「どうやら、吸血鬼の急所は心臓にある、というのは、不滅者とて変わらないようですね。メネルに完全に擬態したつもりでも、心臓にある吸血鬼の力を完全に消すことはできない……。もっともミラノルの力に反応するほども、それは大きくはないということなのでしょうが」
トピナは鱗を手元に戻すと、損傷がないから確認する。オノンが代わりに話を続ける。
「つまり、成功した、ということで良いのかな」
「ええ、実験は成功です。あとはどうやってこの鱗の作り出した場に、奴を誘導するか、という問題ですが……。それについてはトピナさんに頑張ってもらうしかないですね。誘導に乗るような相手ではないので、状況を見てやってもらうしかない」
「行き当たりばったりだな」
「そうですね。気をつけて頂きたいのは、他の人を巻き込まないことですが……。とくに僕と、ホムンクルスの二人にはどんな影響があるのかわからないので、そこには絶対に当てないようにしてください」
トピナは箱に鱗をしまうと、シアリスに向き直って鋭い視線を向ける。
「お前には効いたが、これが奴に効くという保証はないんだろ。大丈夫なのか」
いつものお気楽なトピナではなさそうだ。籠りきりで苛ついているのもあるだろうが、生死に関わる問題でもあることに、ふざけたりはしない。
シアリスは気が付いていなかったが、今まで見てきたトピナは、酒や魔術によって、色々とおかしな精神状態のトピナだっただけだ。本来の彼女は、こちらである。
「ミラノルがいる以上、デラウだけでなく、僕もすべての力を解放するわけにはいけません。こちらは数で優位とはいえ、奴は強い。
こちらの想定通りの実力を持っているならば、戦いは膠着状態に陥るはずです。これは、そのとき役に立ってくれるはず。あちらが何も考えずに力を使ってくれるのが一番ですが、そうはならないでしょうからね」
鱗の力によって、デラウだけを暴走させることができれば、ミラノルの力の影響下に置くことができる。暴走した吸血鬼は、本来の実力を発揮できない。そうなれば戦いを優位に進められる。シアリスはそう考えているのだ。
シアリスが、デラウを討伐するために提案した作戦は、ひどく単純なものである。
ルシトールの持つ不死斬りの魔剣で、心臓を貫き、そのまま大地に縫い留める。そして、全身をくまなく粉砕しながら、デラウが塵となって滅びるまでそれを続ける。というものだ。
デラウを滅ぼすには、どれだけの時間、肉体を破壊し続ける必要があるのか。
不滅者同士の戦いが不毛な理由である。これほど再生能力を持つ魔物は他にいない。そして、その再生回数を長年貯め続けることができるという特異性で、無限にも思える戦いとなる。
その勝敗は最終的に、どれだけ人を食ってきたか、という一点に絞られる。つまり、生まれて二年と少しのシアリスが、二千年以上生きたデラウに勝つことは不可能だ。
シアリスは自らの身体を使って、その時間を計算した。
不死斬りの魔剣は、不滅者の再生を完全に防ぐ効果はないものの、その再生速度を緩め、必要とする生命力を増加させる。肉体の中央であり、吸血鬼の儀式的な弱点となる心臓を貫けば、効率は増すはずだ。
二千七百。デラウがシアリスに言った、生きてきた年数。
その間に殺した人数は? 貯め込んだ生命力は? シアリスの推測に過ぎないが、何万人という数の犠牲が出ただろう。
ひと月に一人の犠牲だったとしても、三万人に達するのだ。それは最低値に過ぎない。実際はその二・三倍の犠牲者がおり、日々消費する分を差し引いても、五から七万人分の生命力を貯め込んでいると予想される。
このすべてを吐き出させるには、不眠不休で七から十日間、デラウの体を破壊し続ける必要がある。それができるのは、同じく不眠不休で動き続けることができるシアリスだけだ。
これが作戦の全貌である。何とも力押しの作戦だ。
シアリスの伝えた言葉は、自らの弱点を晒すことになるが、彼はそれを惜しげなく披露したことで、ルシトールたちもこの作戦に同意した。未知の敵に対し、他に倒す方法を思いつかなかったのだ。
そして、時間は常に吸血鬼の味方である。
「さて、今からすぐにでも移動したいのですが、その前にオノンさまに話しておきたいことがありまして……」
シアリスは口籠り、トピナを見た。二人だけで話したいとの意図だが、トピナはそんなことに気を遣う質ではない。
「構わない。トピナに聞かせられないことは、私にはないから」
と、オノンは言う。そこでようやくトピナは出て行ってほしい、と言われたのだと気が付いた。
「そうですか……。実を言うと、僕が話しづらいことだったのですが、まぁ、良いでしょう」
シアリスは入り口近くの倒れた木椅子を直して腰掛けると、オノンに向き直った。
「吸血鬼の誕生の仕方と、それに使われる素材について、お話ししたいと思います。どうか最後まで、落ち着いて聞いていただけると助かります」
「随分な前置きだな」
オノンとトピナも席につき、話を聞く姿勢を示した。
トピナに至っては、興奮のあまり鼻息を荒くしている。吸血鬼の作り方の話など、魔術師にとっての餌のようなものだ。
「まず、吸血鬼の正体についてお話しします。一言で現わすなら、吸血鬼はホムンクルスと同義。古代魔術師のよって作られた、ひとつの兵器です。
その誕生の由来は、偶発的なもので、他者を蘇らせるために作られた屍霊魔術。それが失敗し、吸血鬼が生まれました。完全な吸血鬼を作るのには、大量の人の血液と膨大な魔力。そして、もうひとつ必要なものが、もっとも大切なのです」
ここでシアリスは少しの間を置いた。話を促すために、オノンが相槌を打つ。
「ホムンクルス……。そうなのね。色々と腑に落ちないこともあるけど、それは良いわ。それと私にどんな関係があると?」
「エルフの肉体です。吸血鬼の素材として、エルフの死体が必要なのです」
「……」
オノンは黙ってその言葉を聞いている。変わってトピナが話を始める。
「別に驚くことじゃないね。この間のリッチがオノンの体を乗っ取ったのも、エルフの頑丈な体を求めた結果だろ」
トピナは当たり前のように言ってのけるが、オノンの顔色が悪くなる。
シアリスは続けた。
「トピナさまはお忘れかも知れませんが、僕が生まれたのは二年と半年ほど前のことです。そして、吸血鬼作成の儀式には、それと同じ時間くらいの日にちを使います。
ですので、五年ほど前に、デラウはエルフの死体を手に入れたことになります。オノンさまがこの辺りの地を目指したのは、行方不明の弟を探すため……。僕の素材となったのは、オノンさまの弟君の可能性があるのです」
エルフは希少である。現代のメネル社会において、エルフの存在は目立つことになる。
その情報を追って、オノンはこの地を目的地としたのだ。アトリエ探索をすることも、彼女の弟が出土品に興味を持っていたため、情報集めと人脈作りのために他ならない。
トピナは反応に戸惑った。シアリスを責めるべきだろうか。だが、彼が望んでオノンの弟を素材にしたのではない。では、オノンを慰めるべきだろうか。それもまだ可能性の段階だ。しかし、否定するにはタイミングが良すぎる。
そうして言葉を選んでいる内に、先に口を開いたのはオノンである。
「シアリス、どうしてそのことを話してくれたの?」
トピナの動揺のした様子とは打って変わって、オノンは冷静である。むしろ優しさを称えた絵画のような雰囲気までを漂わせている。
シアリスはその空気に少し気圧されつつも、言い訳をするかのように話を続ける。
「僕は人として、話すべきだと思ったからです。
戦いの後では、話せる機会がないかも知れないので……。僕はあなたたちに戦いの後、僕の与えられるすべてを与えると約束しました。その前にこのことを話しておきたかったのです。それに……」
シアリスは言い淀んだ。なにか悲しいことを思い出すか、あるいは何かを恥じるかのような顔で、目線を下に向けた。
「それに?」
「それに……、僕は、あなたたちの仲間にしてほしかった。これを話さないでおくことは、不誠実だと思ったのです」
シアリスは、少しわざとらしい、ぎこちない笑顔を作った。オノンはそれを見つめた。
「あなたが与えられるものは、命も含めての言葉と解釈してもいいのかしら」
「オノン……」
トピナはオノンがシアリスを殺そうとするのかと思い、少し腰浮かしてオノンを止めようとするが、オノンはそれを手で制して、シアリスを見詰めた。
「シアリス、あなたの真心に感謝するわ。でも、安心してほしい。私の弟はあなたの素材などにはなっていないわ」
シアリスはその言葉を聞いて、怪訝そうな顔で質問する。
「どうして断言できるのですか」
「弟は生きているからよ。あなたの素材となったエルフのことを思うと気の毒だけれど、私の弟ではないわ。私と弟は、双子なの。その繋がりを、今でも感じるからよ」
「それは……、迷信でしょうか。それとも魔法的な話でしょうか」
「フフ……、そうね。それに近いけれど、実際にそうなのだから、迷信とは言い難いわ」
オノンは下穿きの片方を捲り上げてシアリスに見せる。
いつもは服とブーツに隠された場所には、何かを強く巻き付けたような跡が残っていた。黒く変色したそれは、膝のすぐ下にあり、過去に大きな怪我をした痕跡にも見える。
美しいオノンの脚に、醜い痣があることが、どこか煽情的にも思える。
「この痣はね、弟が……ソラルが脚を切断されたときに、私にも現れたの。
里から出て行こうしたとき、父がソラルの脚を切断した……。私は母に止められて家に居たのだけれど、突然、脚から血が流れ出してね。精霊術で治そうとしたのだけれど、この痣だけが残ったわ」
オノンは沈痛な表情を見せる。痛みを思い出すかのように、痣を指でなぞって見せた。
ただ、里の外に出ようとしただけで、脚を切断するとは考え難いが、それにしても自分の息子の脚を切るとは、随分と過激で野蛮な話だ。
「全部の怪我が共有されるわけじゃないけれど、私が知らないところで、ソラルが大怪我をしたときだけこうなるの。もし、ソラルが死んでいたのなら、私にももっと大きな傷ができたはず。吸血鬼に殺されたのなら、ここに痣でもできたかもね」
オノンは微笑しながら、自分の首筋を指で叩いてみせた。
「そ……そうだよなぁ! オノンの姉弟が、そう簡単に死ぬわけないもんな! オノンはバジリスクみたいにしぶといからな。双子なら、同じくらいしぶといだろ」
「……もうちょっと良い例えはないの? フィニックスとか……」
オノンは勢いを取り戻したトピナに、冷たい視線を向ける。この空気の読めなさに、オノンは救われることも多いが、同時に呆れることも同じだけある。
トピナはそんな思いを気にすることなく、新しい話題に取り掛かった。なぜか少し照れながらシアリスに問いかける。
「それで、吸血鬼の作り方なんだが……」
「……教えるわけないじゃないですか。何言ってるんです」
「ええ~! なんでなんでなんで! これは後学のためにも必要なことなんだよ! 絶対に使わないし……頼む‼ じゃあ、わかった。この仕事が終わったら、あたしの報酬はそれで勘弁してやろう……。どうだ?」
「ありえません」
シアリスはオノンと同じくトピナを冷たい目線で射貫くと、すぐに気を取り直して立ち上がった。トピナは、シアリスがうんと言うまでここを動かないという意思を見せるが、オノンに頭をはたかれる。シアリスはトピナを無視して言い放つ。
「それでは参りましょうか。覚悟はよろしいですか」
オノンは頷くと、いくつかの荷物を準備した。トピナはシアリスの説得を続けていたが、オノンにもう一度叱られてしまい、しぶしぶ荷物をまとめ始めた。
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