虎は死して皮を留め
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突如、オノンが震え、体が起き上がったので、驚いてトピナは手を離した。
オノンの口から生き物とは思えぬような不気味な音が聞こえ、黒い液体が溢れ出した。オノンは口を天に向け、何かの塊を吐き出す。それと同時に、全身に付いていた宝石が、灰となって消えていく。
宙を回転しながら舞う黒い塊は、重力に負け、大きな瓦礫の上に叩きつけられる。
それは黒い液体にまみれた臓器。脈打つそれは人の心臓のようにも、ブクブクと太った蛆虫のようにも見える。丸みを帯びた部分が、ゆっくりと開き、震えた。
「誰ぞ、わしの……体を……」
か細く聞こえる声で、それはしゃべった。
よく見るとその背中の穴の中には、不規則に小さな歯が並んでいる。その少し上には眼窩のようなくぼみと、鼻のような突起が付いており、赤子のようにも老人のようにも見える、醜く不快な顔が付いている。
オノンが地面に手をついて、咳き込んで喘いでいる。トピナはその背中を優しく撫でた。
黒い液体を一頻り吐き出した彼女は、腕でそれを拭いながら顔を上げる。
それと同じくして、スケルトンたちはまるで弾けるように崩れ落ちる。
瓦礫の山を囲んでいた、数百以上ものスケルトンが一斉に活動を停止し、バラバラと倒れこむ様子は、どこか滑稽にさえ思えた。
「オノン、大丈夫か?」
オノンの背中をさすっていたトピナが心配そうにその顔を覗き込む。
「ありがとう、オノン。何とか無事よ」
「……よかった。それにしても下手を打ったな。リッチに体を奪われるなんて」
「それについては言い訳もできない。それよりも、どうして頬がこんなに腫れてるの?」
静かな怒りを感じて、トピナは逃げ出そうとするが、後ろ首を取られてそれは叶わなかった。
「わ、あっ! 落ち、落ちる‼」
夢か何かを見ていたかのように、何事かを叫びながら飛び起きたミラノルは、彼女を抱えていたルシトールの顎に頭をぶつけて悶絶する。ルシトールも不意打ちを食らい、静かに顎を押さえている。
座っていたシアリスはその様子を見て、ひと息つく。
「どうやら二人とも無事みたいですね」
エヴリファイがルシトールに代わって、ミラノルに手を貸し立ち上がるのを手伝う。
「ここは……、現実、だよね。やった! 成功した‼」
ミラノルは飛び跳ねて喜ぼうとするも、体に力が入らず、倒れこんでしまいそうになる。エヴリファイがそれを支えた。
「どうやら、今回は、力が残っているようだな」
ミラノルが不敵に笑って言う。
「フフフ……、わたしはこの力をマスターしたわ。完璧に、ね。これでわたしは敵なしってもんよ!」
興奮したミラノルはエヴリファイに体を預けて喜ぶが、近付いてきた人物を見て、身を固くする。
デラウである。
スケルトンが動きを完全に止めたことを確認していた彼は、ミラノルなど眼中にないといった風に、一瞥もくれずに横を通り過ぎる。そして、瓦礫の上に力なく横たわる、不気味に脈打つ肉塊を鷲掴みにして持ち上げる。
トピナが悍ましいものを見るように、肩を震わせる。絶対に触りたくない。
「……リッチか。それなりに生きている個体だな」
黒い蛆虫は身悶えして、その手から逃れようとするが、デラウの猛禽のように発達した指からは逃れることなど誰にもできない。
シアリスはデラウが彼を潰してしまう前に、情報を伝えておく。
「その化け物は、自らをエタノリス・クライドリッツだと名乗りました」
デラウはその言葉を聞くと、ふむ、と言って何かを思い出しているようである。
「確か、五代ほど前の公爵がそのような名であったな。歴史書には、エタノリス公爵が屍霊術師の討伐を行ったという記述があった。とても偶然とは思えんな」
これは厄介な政治的問題を孕んでいると、シアリスも一瞬で悟った。
もし一族から凶悪な魔物が出てしまえば、その高潔であるはずの血脈に疑問が生ずる。
さらに屍霊術師は、魔術師と敵対している。国がその術者に甘い対応をすることは、魔術師たちとの軋轢を生むことになる。そうなれば国家運営にも問題が巻き起こるだろう。
同時に、公爵という王族の系譜に連なる大貴族を罰することになれば、国家自体の弱体化を招くことになる。国にとっては、どちらにしろ最悪の事態だ。
デラウが考えていると、蛆虫は声を絞り出そうと呻いている。だが、握られた状態ではうまく声が出せない。
デラウは手を開けると、それは糸を引いて瓦礫の上に落ち、悲鳴を上げた。
デラウは剣を振り上げとどめを刺そうとするが、それを止めたのは一番の被害者であるオノンである。
「待って。そいつには聞きたいことがある」
オノンはトピナの手を借りてよろよろと立ち上がる。デラウは手を止め、オノンを見た。
「これに答えられる能力があるとは思えんが……。如何なることを訊ねようというのかね」
オノンは何とか一人で立つと、デラウの足元の蛆虫を見る。近付こうとしないのは、賢明だ。
「私が……、ここに来るずっと前に、エルフがこの地を訪れたはず……、私の弟が……。どこに行ったか教えなさい」
黒い蛆虫の落ちくぼんだ眼窩が、わずかに動いた気がした。口を動かし、何かをしゃべろうとしていたが、そこから出てくるのは黒い体液のみで、言葉らしい言葉は出てこなかった。
「無駄だな。肉体を失った者の言葉など、譫言のようなものだ。例え知っていたとしても、正しいことは聞き出せまい」
デラウが剣を再度振り上げる。今度は誰も止める者はいない。
自身の危険を悟ったのか、蛆虫はその体をくねらせ何とか逃れようとするが、もはや前に進むことすら叶わず、ただただ蠢き、吐き散らすだけである。
だが、何を思ったかデラウの剣を振り下ろさなかった。その代わり、分厚いブーツを履いた足を蛆虫に乗せ、ゆっくりと体重をかけていく。
蛆は大量の体液を吐き出しながら、それでも死ねず、落ちくぼんでいた眼窩が内圧によって盛り上がり始める。ほとんどの体液が体から吹き出し、声も出なくなるが、まだ絶命していない。苦し気な痙攣のみが返ってくる。
デラウはようやく満足したのか、足をしっかりと踏み下ろした。嫌な音を立てて、蛆虫は瓦礫のただの染みと化した。
デラウの表情は、恍惚とした艶美な笑みを、満足気に浮かべていた。
◆
戦いの後、シアリスら六人は騎兵たちの馬に乗せられ、深夜の平原を進んだ。
馬たちも疲れ切っていたため、兵士たちは歩き、シアリス・ミラノル・オノン・トピナだけが馬に乗り、あとは徒歩である。
エヴリファイはまだ歩けたので馬には乗らず、ルシトールも重傷だったが、馬に乗ると折れた骨が痛いと言って固辞した。頑丈な男だ。馬も彼の巨躯を乗せずに済んで、どこかホッとしているようである。
そしてひとり、敵側で生き残った魔術師ノルバクスは、自ら置かれた状況を嘆いた。
彼は戦いの後、忘れ去られていることを期待し、骨の間を抜けて逃げようとしていたが、残念ながらトピナによって取り押さえられ、首を絞められ気絶した。
本当に首を折ってしまうのではと心配したが、トピナもそこまでの力は残っていなかったようだ。行きはオノンたちが虜囚となり、帰り道はノルバクスが虜囚となるという、なんとも因果な道程となる。
その後、要請していた応援の百人規模のオナイド防衛部隊が到着した。
既にリッチは倒されたことを知ったオナイドの街の兵士たちは、話に聞くデラウの威光を思い知った。
千ほどのスケルトンの軍団だと聞いていたのに、たったの五十人程度で被害を全く出さずに、討伐を成し遂げてしまったのであるから、どう考えても伝説級の活躍だ。
手持無沙汰となった増援の兵士たちに下された命は、後始末である。崩壊した城の周囲にある死体を回収し、然るべき処置をしなければならない。面倒ではあるものの、命を懸けて戦うよりは、随分と楽な仕事だ。
六人のうち、エヴリファイ以外の五人は重症であった。
ルシトールは背中の打撲に、肋骨の骨折。
ミラノルは怪我こそないものの、まだ体に力が入らない。
トピナは全身に擦過傷と、魔術師特有の魔力傷(魔術の反動によって、精神異常や傷を負うこと)を発症し、妙にハイテンションだ。
シアリスは利き手の骨折と全身の打撲。
オノンは衰弱が激しく、馬で運ばれているときも落ちそうになるので、結局、兵士が支えるために二人乗りすることになる。美人のオノンを腕の中に収めることができたのだから、兵にとっては役得だったろう。
帰りはほとんど誰も声を上げることなく(たまにトピナが奇声を上げる)、深夜の街道をひた進む。オナイドの街に付いたときには、疲労困憊は限界に達していた。
普通であれば街の城門は日が落ちれば閉められ、許可なく開くことはないが、今回はその許可を出すミクス伯本人が門にいるのだから例外である。城壁の上では防衛の準備が整えられつつあり、すぐ内部の広場にも兵士たちが集結しつつあった。
民間人たちも何があったのかと起き出しており、広場近くは昼間のよりも喧騒に包まれている。これにはウトウトしていたオノンたちも、目を覚ますことになる。
先に戻っていた伝令により、屍霊術師撃破の報は届いていたが、デラウたちが戻るまでは戦闘の準備は進められる。その報せのあと、何らか不測の事態が起こっている可能性もあるため、準備は止めないというのが戦の定石である。
それでもデラウたちが街道の向こうに姿を見せたときから、兵士たちは手を止めてしまっていた。上官たちもそれを咎めようとはしなかった。
デラウたちが門を潜ると大歓声に巻き起こり、深夜にも関わず、オナイドの街は興奮に包まれた。
デラウが馬を進めると、その脇にいたデラウの筆頭執事が大声で告げる。普段は落ち着いた雰囲気で、大声など出さない男だが、こういったときには広場全体に広がるほどの大声を出せる。
「オナイドの街の諸君、我が主デラウ・オルアリウスは、この街の安全を脅かした、不死の魔物リッチを打ち取った! リッチに捕らえられた、その息子シアリス・オルアリウスも無事である。今夜はその武勇を語りつつ、安心して眠りにつくが良い!」
屍霊術師としか聞いていなかった兵士たちに、一瞬動揺が走るが、すぐにそれは歓声に変わった。
リッチはかなり危険な魔物である。その存在は忌み嫌われ、この世界の仕組みに多くの影響を与えてきた。滅多に現れることはないが、その魔物を知らぬものはいないと言っても過言ではない。
筆頭執事もちゃっかりしたもので、こうして主の名声を高める機会を見逃すつもりはない。
実際にリッチを倒したのは、ミラノルでありオノンたちである。が、すべてを解決したのはデラウである、ということにすると、既に話し合って決めていたことである。ミラノルもオノンも、これ以上、貴族のあれこれに巻き込まれるのは願い下げであったからだ。
ルシトールは、デラウが手柄を得てさらなる権力を手に入れることを恐れたが、口は出さなかった。それにデラウが間に合わなければ、死んでいたかもしれないのは事実だ。
ミラノルの力による解放が間に合わなければ、エタノリスをオノンごと殺そうと思っていたという罪悪感も、大人しくしていることに影響していた。
リッチが出現し、オリアリウス伯爵が倒した。という英雄譚を吟遊詩人はこぞって歌い、あっという間に国内外に広がった。
そして、その噂話の中には、リッチと化したのは、クライドリッツの系譜の人間だということも語られることとなる。この件についてはミクス伯爵によって箝口令が敷かれたが、人の口に戸は立てられぬとは良く言われたもので、話は国王にまで届くことになる。
クライドリッツ公爵家はこれを否定したが、他公爵家からの突き上げにより国王は調査に乗り出し、今回の件のすべては明るみに出ることになった。これは、この事件以降のクライドリッツ家の活動が鈍化したことも、国王の重い腰を上げる一因となった。
唯一の生き証人であるノルバクスは、公爵家公認の貴族付き魔術師であった。
王の取り調べを受けた彼が、その後どのような末路を迎えたのかはわからないが、その捜査が円滑に進んだのは、彼の証言があったからだ。
この国の五本の指に入る権力者のスキャンダルは、様々な界隈に影響を与えた。
これにより多くの人間が路頭に迷い、死ぬことになる。だが、リッチや吸血鬼に支配され始めているこの国で、ただの人間が生き残るには、相当な運が必要になることも、また事実である。
シアリスが気にしてもいても、仕方のないことであった。身中の虫を取り出すには、皮膚を切り、肉を抉るしかない。できることは、なるべく自領内の安全を確保することくらいである。
デラウには褒賞として様々な宝物が国王より与えられた。
ミクス伯爵は図らずもリッチに手を貸してしまったという不名誉から、一週間の謹慎が申し付けられた。とても軽い処分ではあるが、現在の混乱した状況で、有力貴族を処分している時間はなかったのだ。あくまでも被害者として扱われたのは、デラウの口添えだ。
戦いの後、皆は魔術による治療を受け、少しの療養をすることになる。
シアリス、デラウは多少の予定の延長はあったものの、自領へと帰っていった。ルシトール・ミラノル・エヴリファイは傷が癒える前に姿を消し、オノンとトピナは、療養後、貴族のゴタゴタに巻き込まれる前に、さっさと出発してしまった。
療養の間、それら三組は会おうとはせず、連絡も取らなかった。シアリス自身、彼らに接触するのを避けたのは、下手な言い訳を作るのを避けたからである。
今回の一件で、なぜ黙ってトピナたちに会いに行ったのかという疑問を、家臣たちに説明するのに、苦心したというのもある。それにこれ以上のつながりをデラウに知られるのは、危険だと思ったからだ。
皆もそう考えたのかどうかは不明だが、結果としてはデラウからの追及もなかった。
たったの十日足らずの出来事であったが、シアリスは感じるはずのない疲労感を感じた。だが、それ以上に、次の行動を起こすための手応えを感じていた。
読んでいただきありがとうございます!
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