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鯨骨

 ◆


 騎士たちの先頭を走るデラウの剣は、まさに鬼神の如く冴えわたっていた。いつのも片手剣とは違い、愛用している騎馬戦用の大剣である。普通ならば片手で振り回せるものではないが、デラウはそれを棒切れか何かのように回転させる。

 デラウに付き従う兵士たちが、目の前にいる不死者の軍団にも、ひるまずに向かっていけるのは、デラウのその武勇に引っ張られているからだ。一撃で二・三体を吹き飛ばすデラウの剣を見て、兵士たちはいつもの数倍の力を発揮する。

 連れ従う二小隊・約五十人は、デラウの配下が十人、ミクス伯爵から借り受けた配下がほとんどである。そのいずれも精鋭であり、不死者の軍団にひるむことはなかった。

 それでも限界は存在する。人間は言わずもがな、走り通しである騎馬の体力は、限界が既に近い。

 このままではいずれスケルトンの数に圧倒されることとなる。すでに速度は落ち始めており、囲まれるのは時間の問題だ。

 スケルトンは不死者であり、血肉はなく、筋肉で動いているわけではない。骨格を利用して魔力による仮の魂を入れられ、意思を宿す。ただ斬り付けただけでは、動きを止めることはできない。骨を完全に砕き、脊柱セキチュウを破壊しなければ、延々と戦い続けることとなってしまう。

 デラウの大剣であればその重量によって破壊できるものの、他の騎士たちが持っている剣では、走る速度の落ちた馬上からの攻撃では、完全には倒しきることができなかった。

 乱雑に並んでいたスケルトンの軍団も徐々に隊列を整え始め、奥に進むにつれ騎馬隊を受け止める姿勢と成りつつある。

 このままでは身動きが取れなくなると感じたデラウは、馬首をり、走る方向を変える。正面から突撃するのではなく、斜めに走る。

 敵の隊列を撫でるように走り出した騎馬隊は自然と一列となり、前の味方が仕留め損ねた敵を、後ろの味方が仕留めていくというように、まるでのこぎりのように戦力を削り取っていく。

 防御側の隊列は、前方に兵力を集中させれば突撃に強くはなるが、横からの攻撃には弱くなる。

 迂回することで、正面の厚くなった場所を避け、受け止めることができなくなる。しかし、まだ数百もいるスケルトンの軍団を突破するには至らない。それに砦へ辿り着いたとしても包囲されるだけだ。

 デラウは後ろにぴったりと付いてくる騎士の横に並ぶ。彼はいつもデラウに付き従う筆頭執事である。

 普段は事務や予定の管理を行う彼だが、それは戦地にまで及ぶ。指揮官としてのデラウの右腕として、自身も戦士として戦うのである。


「私は徒歩で突破する。馬を頼む」


 端的な言葉を述べる主人を、執事は汗だくの顔で肯定する。

 まさかここで馬を捨てるなど普通の人間には考えられないことだが、デラウの武勇を間近で見てきた彼は、余計な質問などしなかった。

 デラウは馬上から跳び、スケルトンの群れに入り込む。執事はその姿が見えなくなるまで横目で追った。デラウが通り過ぎるところは骨片が散り、まるで小さな竜巻が舞うが如く、蛇行しながらも砦に向けて進んでいく。

 執事は騎馬隊の指揮を引き継ぎ、外側からスケルトンを削り取り、砦へ迂回して向かうことに集中する。彼にとってデラウが死ぬことなど想像することも難しいことである。それは正しく、例え何千の敵が相手だとしても、彼は必ず生還するのだ。

 まるで不死の如く。


 ◆


 ミラノルはゆっくりと目を開ける。

 暖かい日の光と爽やかな風が頬を撫でた。小川のせせらぎが近くで聞こえる。小鳥たちがせわしなく動き回り、小気味良い声で歌っている。

 自分は死んだのだろうかと思ったが、すぐに自分のやるべきことを思い出した。そして、この場所がどこであるかも。

 目の前に誰かが立っていることに気が付く。

 エルフだ。

 オノンだと思ったが、それは男である。彼が振り返って誰かに話しかける。話しかけられた人物の顔はカスミがかっており、よくわからないが、女性であることはわかった。おそらくはオノン本人だろう。

 二人はオノンがパーティのときに着ていた、風変わりなワンピースを身に着けている。あの血にまみれて台無しになってしまった服は、オノンの故郷の服だったのかと思い至った。


(これはオノンの記憶? 彼はだれだろう)


 今、ミラノルに体はない。魔力のみで作られた姿が、ミラノルを象っている。

 魔力だけの存在とは、すなわち精霊である。ミラノルは精霊となることで、魔術を読み解き、それを破壊したり、学習したりすることができる。これをミラノルたちは精霊化と呼んでいた。

 どうしてこんなことができるのかは、ミラノル自身にもわかっていなかった。

 それはこの世の魔術師が垂涎するほど価値のある能力だが、同時にとても危険な力でもある。

 精霊となったあとの抜け出した肉体は完全に無防備になり、どんな刺激にも無反応になる。少しずつ皮を剥がれ、バラバラに刻まれたとしても気が付けない。

 さらに精霊と化したミラノル自身も、あらゆる刺激を肉体という触媒を通さずに感じ取ってしまうことになり、精霊状態で攻撃を受けるようなことになれば、精神が崩壊する危険がある。

 前にこの力を使ったときは、起きた後も肉体と精神の乖離に悩まされ、手足は痺れ、食べ物すら碌に喉を通らず、眠ることすらできなくなった。衰弱したミラノルを助けるために、エヴリファイとルシトールはあらゆる手を尽くした。なんとか快復するも、この力は封印することに決めたのである。

 完全に肉体を抜け出すことは危険だが、体の一部を一時的に精霊化するというような使い方は、最小限のリスクで済むため今でも使っていた。

 トピナの魔封の手枷を外したのもその力である。封印することには決めたものの、その力を使わずにいられるほど、ただの子どもとしてのミラノルには、この世界は過酷カコク過ぎた。

 精霊化しエタノリスに触れたミラノルは、オノンの精神世界とも呼べる場所にも触れた。そして、中に入り込んだ。

 これはミラノルにとっても、予想していなかったことだ。エタノリスによって乗っ取られた精神に対して、ミラノルの力は確かに作用した。オノンの精神に入り込むという、屍霊術の一種とも捉えられかねない効果を及ぼした。

 エルフの男がオノンに何かを言う。

 その声は袋の中でしゃべっているかのように、掠れて聞き取れなかった。ミラノルが声に集中すると、徐々にはっきりと聞き取れるようになる。


「一緒に出ようよ、里から。オノン、一緒に行こう」


 彼はそう言った。顔はオノンにそっくりだが、声は男のそれであった。この男は、オノンの姉弟キョウダイ? ここはオノンの生まれた土地なのか。


「このままじゃエルフは……、この里は滅ぶ」


「どうしたの、ソラル。どうしてそんなこと言うの?」


 ソラルと呼ばれた彼は、懐から鎖に繋がれたペンダントを取り出す。鎖の先には、少し大きめの丸いチャームが付けられており、様々な模様が施され、地面に一番近い部分に小さな宝石が付けられている。

 それを中指に掛けて、地面に向けて垂らす。するとゆっくり揺れていたそれは、重力に逆らい、何かに引っ張られるように浮き上がる。


「それは?」


「面白いだろ、それに綺麗だ。精霊の力を使わずにこんなことができるんだ。しかもこれは、持ち主の思い描いた目的地を示すんだってさ。精霊にこんなことできないだろ? メネルたちはずっと発展しているよ。

 それなのに僕達エルフは、森の中で何もせずに過ごしている。いつかメネルたちはこの森に訪れて、僕たちを見て嘲笑うだろうさ。未開の部族がまだこんなところに住んでいた、ってね」


 ソラルの手に握られているものを、ミラノルは見たことがあった。羅針玉ラシンギョクと呼ばれる魔道具である。

 これは出土品ではなく、現代の魔術師が出土品を模造して作り出した品である。彼が言った通り、持ち主が念じた場所を示すものだ。

 魔術の道具らしく、本人のイメージに引っ張られるため、使い方には注意が必要だが、一度行ったことのある町などに向かうには、とても便利な品である。さらに地図の上で垂らせば、自分の位置を指し示すため、軍事・測量・行商においても重宝され、かなりの需要がある。

 ただし、手仕事にて作られる工芸品であるため、供給が追い付かず、かなりの高値で取引されるので、一般人が手軽に手を出せる品物ではない。

 ソラルはそれをどこでどうやって手に入れたのか。少なくともメネルの文明から離れていては、手に入れられるものではないはずだ。


「メネルって……、小人ナヌスのこと? それって、魔術……だよね。危ないものだって教わったでしょう」


「オノン、少なくともこれは危険なものじゃないよ。それに爺さんたちが危険なものだって言ってるのは、古代魔術のものだ。これは新しく作られた、まったく別の系統の魔術さ。ううん、ごめん。危険なものかもね。だって、これがあれば僕たちの里は簡単に見つかってしまうかも。使い方によっては、もっと……」


「ねぇ、わかってる? ソラルはその道具に取り憑かれているわ。その考えが毒みたいに広がって、森を出ようなんて言ってるんだわ」


 ソラルはオノンの言葉に虚を突かれたような表情をして、それから大声で笑い出した。オノンの表情はよくわからないが、その様子を見て憮然ブゼンとしているのがわかる。


「確かにそうだね。そうだよ。でも、これは毒じゃない。一度根付いた考えは、どんな薬草でも取り除くことのはできない」


 一頻ひとしきり笑い終えると、ソラルはオノンに向き合った。


「ここ数百年で生まれたエルフは僕らだけだろ、オノン。それも双子で生まれたエルフは、長老でも見たことも聞いたこともないって言うじゃないか。

 これはさ、エルフとしての種としての生存本能が告げているんだよ。このまま何もしなければ、緩やかな衰弱の中、悲惨な滅亡を迎えるって。だから僕たちは何かする必要があるんだ」


「ソラル……。それって、本音じゃないよね?」


「……」


「退屈な里から出たいだけでしょ。ひとりで出ていくのが不安なんだよね。お父さんお母さんが怒るのがわかってるから、面倒に思ってるんだよね」


「オノン……」


「二人で話に行こうよ。みんなに理解ワカってもらってから、里を出ればいい。正直に話せば、みんな理解してくれるわ」


「オノン。わかってないのは、君の方だ。絶対に老人たちは許さないよ」


 オノンはソラルを真っすぐ見つめ、手をとって言った。片方は顔が見えないものの、美男美女の双子のやり取りに、思わず見とれてしまうミラノルであったが、自分のやるべきことを思い出す。

 その場から意識を移すと、二人は霞となって消えた。


(幻影……。これはオノンの記憶なんだ。この幻影に構っていたら、時間がいくらあっても足らない)


 幻影は消えたが森は消えず、見知らぬ土地に独りとなったミラノルは、急に不安感に襲われる。

 あたりを見渡すと、木々の奥に何かが蠢くのを発見した。川のせせらぎに隠された、何かが這いずるような音が聞こえる。美しい森に似合わぬ不気味なその音が気になって、彼女は足を進めた。

 地面に暗い影が這っている。何かの刺激臭が鼻を突いた。不気味な音と異臭を放ちながら、黒い小川が森の中を這っている。ミラノルはさらにそれに近付いてみる。

 それは川なのではない。液体でもない。小さな黒い蛆虫のようなものが一塊になって行進しているのだ。エタノリスが吐き散らしていた、黒い液体に似ている。

 それは森の奥へ奥へと進んで、道のようになっていた。ミラノルはそれを辿って、森の中へと分け入っていく。

 少し進んだころ、いや、何時間も歩いたような気もする。奥に進むにつれて、足が重くなり、進む速度が遅くなっていく。

 その代わり、なぜか意識ははっきりしていて、思考からノイズが除去されていく。肉体から意識が離れたことで、肉体から受ける様々な不要な情報がなくなり、思考のみに集中できるようになったのだと考え至る。

 黒い蛆の道を辿っていくと、急に開け、森は消えた。その先の草原に一本の大きなニレの木がソビえている。

 黒い蛆はその木に蛇行しながら向かっていき、その幹に縋りつくようにして巻き付いている。蛆は何とかして枝葉を覆いつくそうとしているが、小鳥や鹿、蛇や小さな昆虫、狼に熊など、本来、敵対しあっているような様々な動物たちが、蛆を大樹から引き離そうと奮闘している。

 この大樹を守らなければと直感的に感じたミラノルは、前に進もうとするが、自身に足がないことに気が付く。いつの間にかミラノルという形もなくなり、意識のみの存在となった彼女は前に進むことも後ろに下がることもできなくなっていた。

 黒い蛆虫は、大樹を完全に覆いつくすことは難しいと考えたのか、枝葉に纏わりつこうとするのを止め、根元の手前に水たまりのように広がり、何かを象り始めた。


「話したな。僕を裏切ったな。裏切ったな、オノン!」


 黒い塊はソラルの声で叫んだ。怒気をはらむその声に、動物たちは驚いたように蛆への攻撃を止めた。蛆で象られたソラルは、何者かに取り押さえられているかのように、両腕を背中側に高く掲げている。


(違う……、裏切ってない……。みんなにわかってもらえれば……)


 その声はどこか遠くから聞こえた。


「オノン、僕の分身。お前を信頼していたのに……。いつか必ず……! 必ず……、必ず……」

 その嘆きとも怒鳴り声とも思えぬ声が、広場に響き、大樹の葉が揺れた。

 別の声が聞こえた。いつの間にかソラルの後ろには別のエルフが立っており、その手には剣が握られている。


「ソラル。オノンはお前を裏切ったのではない。我々、エルフを裏切らなかったのだ。お前はまだ若い。これからもお前に蔓延ハビコった魔術は、お前をサイナみ続ける。だが、この足がなければ、旅に出ることはできまい」


 ソラルの後ろに立ったエルフの男は、剣を振りかぶった。声にならない悲鳴が上がった。それはオノンのものなのか、ソラルのものなのか。

 二本の足が空を舞い、絶叫が聞こえた。

 手を止めてそれを見ていた動物たちが、毛を逆立てて牙をむき出しにする。狼がうなり声を上げ、熊が野太い声で吠えた。剣を持ったエルフに次々に襲い掛かる。


(ダメ!)


 だが、その声は届かない。ミラノルは叫ぶことができなかった。

 無防備になった大樹の枝に、蛆虫が登っていく。

 作り出した幻影に数を取られているからか、その動きは先ほどより緩慢だが、このままでは大樹は完全に食い尽くされてしまうだろう。守っていた動物たちは、尋常ではない様子で幻影を襲い、その事態に気が付いていない。

 自分が何とかするしかないとミラノルは考えるが、まるで重い水圧で圧し潰されたかのように、体は動こうとしなかった。

 体がないのだから、動くことはできないのは当たり前だ。だが、どうして見たり聞いたりすることはできるのだろうと考える。体がないから頭が冴えるようだ。

 そう思った途端、声が出た。どうやら精神世界では、自身の体を意識して保たないといけないらしい。自分の体を思い出して、その形を作り出す。

 叫んで動物たちを木の守りにつかせようとするが、聞こえていない。足の裏を意識すると、地面の感触がわかった。

 前に進める。

 木の幹に絡みつく蛆の群れに手を突きこんで払い除ける。けれど焼け石に水だ。こんな小さな手では、何の意味もない。箒でもあればと思うと、なぜか手に箒が握られていた。

 ミラノルは一瞬、躊躇トマドいを見せるが、今はそんなことを気にしている場合でなはい。その箒で蛆虫を払って落とす。だが、そんなものでは足りなかった。箒はいつの間にかミラノルの手になっており、まるでエヴリファイの変形する手のようだと思った。

 意識が体から離れてそれがまた溶けてしまい、思考のみの存在となると、今度もまた頭が冴えてくる。

 そうこうしている内に、黒い蛆は楡の木を完全に覆いつくしそうだ。

 最後のチャンスだ。

 思考が加速していくのを感じる。この蛆虫をオノンから追い出すために、自分にできることは何か考えた。

 自分ができることは、魔術を書き換えること。今、自分自身が魔術なのだ。

 箒を生み出したのも、その力に違いない。ならばできるはずだ。エヴリファイの右手のように変形する。手だけでなく、体まで完全に変形し、この蛆虫を洗い落とせば良い。

 突如膨れ上がったミラノルの体は、陸上生活には適応していない姿となる。ミラノルが想像しうる水を称える大きな動物。この世界にはいないはずの伝説上の動物。

 クジラだ。

 巨大な白鯨が草原に唐突に現れた。大樹よりも大きなそれは、頭頂部に付いた穴から潮を一吹きすると、その巨大すぎる口の中から大量の水を吐き出した。もちろん本来の鯨という生物にそんなことはできないが、今のミラノルには関係がない。無ければ生み出せば良い。

 辺り一面が水に覆われ、黒い蛆は堪えきれずに流される。不思議なことに動物たちには、この水は当たらないらしい。


(流されろ! この世界の外まで!)


 ミラノルが一吠えすると、黒い蛆たちは力なく流されるままになる。

 そして、水を吐き尽くした彼女は、息が苦しくなる気がした。

 皮膚に焼けるような痛みが走り、目がかすみ始める。

 何とか泳ぎ出そうと懸命に尾を蹴るが、陸上では空しく体が跳ねるのみである。鯨と化してしまったミラノルは、人間としての知能を失っていた。

 力を制御できず、ただ陸に打ち上げられた魚と化したミラノルには、何もできることはない。



読んでいただきありがとうございます!

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