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憤死

 ◆


 崩壊の波が収まったが、高く舞い上がった土埃はまだ少し舞っていた。

 徐々に美しい月が辺りを照らし、雲ひとつない夜空が広がる。いつの間にか日はすっかり沈んでいた。

 城壁まで崩れているのは仕方のないことだ。定期的に手入れはされていたとはいえ、この城はずいぶん前から使われておらず、城としての役割は終えていた。昔の大きな戦いの後、この城はほとんど打ち捨てられた状態だった。


「無事か」


 エヴリファイの声が聞こえた。トピナが顔を上げるのと同時に、ルシトールとミラノルも降り積もった埃の中から顔を出した。


「どうなってんの、それ」


 トピナは、エヴリファイが右手を上に掲げているのを見て言った。彼の右肘から上は、木の枝のように分岐し広がり、屋根のハリのような形となって瓦礫を支えている。彼がトピナたちを崩壊する城から守ってくれたのだ。


「身動きが取れない。この石をどうにかしてくれ」


 エヴリファイが涼しい顔で言う。

 古い城であったがゆえに崩壊は全体に及んだが、幸いなことに上階にはあまり重い建材は使われていなかった。それでもエヴリファイが支える瓦礫には、巨大な切り出した大岩もある。

 トピナたちは枝の隙間から這い出すと、巨石を三人で何とかどかす。エヴリファイの腕は巨石から解放されると、鞭のようにしなって元の腕の形に戻る。


「その腕……、それで牢の扉も開けたんだな」


 命が助かった直後に、トピナがエヴリファイの変形する腕にすぐに興味を移すのは、さすがと言うべきだろうか。ルシトールは、呆れたような面白げなよう表情で、トピナを見やった。

 その後ろの瓦礫が崩れ、その下から何者かが出てくるのを見て、ルシトールは身構える。

 大きな瓦礫を押しのけて出てきたのはシアリスであった。手には一人の男の襟首が握られており、やせ細った男は埃にまみれて、完全に伸びてしまっているが死んではいない。


「そいつはノルバクスか」


 トピナが言った。シアリスは埃で真っ白になったノルバクスを、片手で持ち上げて見せる。


「かなり貴重な体験でした。魔法の防壁を複数張って、瓦礫が直撃しないようにしていましたよ。あのように手足のように魔術を扱えるものなのですね」


 ちゃっかり他人の防壁内で無傷でやり過ごしたシアリスは、崩壊が収まるとともに、ノルバクスを気絶させたのだ。シアリスはノルバクスの服を脱がせ、それを使って手際良く、猿ぐつわを作り、手足の自由が利かないように縛り上げる。慣れた動作だ。

 瓦礫がシアリスたちのところだけほとんどないのを見て、トピナは首を横に振る。


「そんな使い方できるのは、相当の使い手だけだ。普通に使っただけでは、こんな重いものを防御魔法では防げない」


 トピナたちの様子を見てシアリスは納得すると、自分の服に付いた埃を払った。


「さて、そうなると……、オノンさまは無事でしょうか」


 トピナは思い出したというように飛び上がって、辺りを見渡した。


「オノ~ン! どこにいるだぁ!」


 その声に反応したのかは分からないが、盛り上がった瓦礫の山の一部が崩れ、その下敷きとなっていたオノンが立ち上がる。

 彼女は瓦礫を投げて落とす。凄まじい怪力だがその力に耐えられなかったのか、彼女の左腕は明後日の方向に曲がり、力なく垂れ下がった。だが、すぐにそれは元の形に戻り、瞬間的な治癒を見せる。


「随分と散らかしてくれたな」


 降りてくるなりそう言うと、裾に付いた埃を叩いて落とした。


「待って待って! あたしのせいじゃないよ! やれって言ったのは、シアリスだから!」


「僕は床を崩してと言っただけです。全部崩せとは言ってません」


 丁寧に否定すると、トピナは何かまだ言おうとするも、オノンがそれを遮る。


「どうでも良いことだ。それでお前たちは何者だ。なぜここにいる」


 その質問にトピナたちは混乱する。シアリスはオノンの体にまばらに張り付いた輝石を見つけた。それらには宝石を固定するための台座はなく、皮膚の中に入り込んでいる。


「トピナさま、下がってください。どうやら彼女は、オノンさまではなさそうです」


 トピナがその違和感に気付いていないわけもなく、悪い足場を器用に跳んで、オノンらしき人物から距離をとる。


「何者なの?」


 トピナがエルフに訊ねる。


「よくぞ聞いてくれた。わしの名は、エタノリス・クライドリッツ。この国の王である。平服せよ、魔術師トピナ。許しを請うのであれば、この城の破壊のことは、目を瞑ってやろう」


 尊大な態度も話す内容も、いつものオノンではない。


「笑えない……。なんなの、こいつ」


 シアリスの記憶では、現クライドリッツ公爵は、エタノリスという名前ではなかったはずだ。さらに男性であったはずだし、少なくともエルフではありえない。ただ、クライドリッツ家は、公爵になる前は、小さな領地を持つ王家のひとつであったことを思い出す。

 この国の王家との婚姻で、地位を約束され、公爵に治まったはずだが……。


「その姿……。オノンさまをどこにやったのですか」


 シアリスの問いに、エタノリスはニヤリと笑った。


「オノン、オノンか。このエルフの名だったな」


 エタノリスは自らの体を指して言う。


「エルフの体は素晴らしい。メネルのものとは出来が違う。これでわしは完璧となった。これで……、わしは、わしは、永遠の命を手に入れたのだ! これでわしは、王も至れぬ力を手に入れた。世界を統べる神となったのだ‼」


「オノンさまの肉体を奪った、と? そんなことが……」


 そこまで言って、自分自身が本来の肉体に入っていないことを思い出す。

 ひとりで興奮するエタノリスを、冷めた目で見つめるトピナの後ろでルシトールが言う。


「こいつはリッチだ。他人の体を乗っ取って操る魔物だ。どうやらこの魔術師は、とんでもないものを呼び出していたらしいな」


 足元に拘束されて転がるノルバクスを指す。その言葉を聞いたエタノリスは、嬉しそうに不気味な笑みを浮かべる。


「よく知っておるのう……。その通り。わしはリッチとなり、長い時代トキを生きてきた。お前たちが考えも及ばぬほどの永い時間をな。ノルバクスはよく働いてくれたよ。そやつの知識は役に立った」


 エタノリスの言う長い時代(・・・・)など、デラウを知っているシアリスには失笑ものだが、今は横に置いておく。

 リッチとは、屍霊術シリョウジュツに傾倒した魔術師のなりの果ての姿である。

 屍霊術とは、魔術の一種で、死体や魂を操る術のことを指す。

 リッチは、その術を自分自身に使い、永遠に生き続けようとした魔術師が、肉体を失い、他者の体を乗っ取ることで生まれる魔物である。もともとの倫理観の欠如とともに、肉体を失った魂は壊れ、とても残忍で危険な魔物として、警戒されている。


「さて。お前たち、なぜまだ立ってお……」


 言い終えぬうちに、エタノリスは突然の嘔吐オウトをする。吐瀉物トシャブツは、黒い無数の粒であった。

 長細いそれは瓦礫の上を這うように蠢き、隙間に入り込んで消えていった。三人はその異様さに動けずにいる。

 オノンを人質に取られているような状況なのだ。エタノリスは嗚咽オエツしながら、地面に舐めようとするかのように前屈みになった。嘔吐が収まると膝に手をついて起き上がる。


「くそっ、エルフめ……」


 口元を腕で拭いながら、不機嫌そうに何事かをブツブツとつぶやいている。シアリスは冷めた目で、エタノリスを眺め続ける。


(肉体が魂を受け入れていない……。まだ、あの体の中には、オノンはいる……)


 トピナはその隙に、ルシトールに聞く。


「あんたのその剣なら、やつを斬れる?」


 トピナはルシトールの剣について訊ねる。取り返したばかりのその剣は、ルシトール曰く、聖銀で造られた『不死斬り』である。

 リッチは吸血鬼とも並べて語られることもある、不死者と呼ばれる魔物である。不死斬りは、それら不死者を殺すために作られた魔剣であり、不死の根源である不滅の力を破壊すると言われている。


「斬れるかもしれないが……、オノンの姐さんも一緒に斬ることになっちまう。まずはやつを体から追い出さないと」


「どうやって追い出すんですか」


 シアリスが訊ねた。


「そ……それは……、多分、あの宝石をどうにかすればいいじゃないか」


 なんとも頼りない返答である。


「専門家じゃないのかよ!」


 トピナが言うが、


「吸血鬼の専門家だ。リッチのじゃねぇ!」


 と、ルシトールが返す。


「とにかくだ。あれが、あの宝石があのリッチの核だと思う。あれを破壊しない限り、やつは何度でも復活する。普通ならあんな風に体に張り付いてるものじゃねぇが……」


「どうやって、オノンの体から追い出すわけ」


「そんなもんはわからん! リッチ退治は兵士の仕事だ。商会でも専門家くらいしか詳しいことは知らねぇよ」


 リッチの数は少ない。しかし、厄介さでいえばリッチは魔物の中でも上位と言われる。

 それはリッチが、魔術を扱い、死体を操り強力な不死者の軍団を作り出し、その死者の兵が新たな死人を作り出し、軍団を大きくしていくからだ。

 ひとつの大陸を、死者の軍団で埋め尽くした、と伝えられているほどである。こういった騒動が過去にあったため、現在ではどの国も土葬ではなく火葬し、骨を砕いて地に返すことを、暗黙の上で決め事としている。

 つまりは初動が大切なのだ。リッチ本体が雲隠れし、強力な軍団が作られてしまう前に、駆除する必要がある。

 エタノリスはまた咳き込んでいる。


「とにかく、逃げるわけにはいかねぇ。姐さん方には悪いが、殺してでも止めねぇと……」


「けど、今なら操れる死体はないんだから、とにかく無力化できれば」


 ミラノルが言った。シアリスは話を聞いていたが、そう簡単な話ではないことはすぐに分かった。


「死体……、あるよね。この下に」


 シアリスが足元を指して言うのと、同じくして周囲の瓦礫が持ち上がり始めた。顔色を悪くしてトピナとルシトールは、その下から現れたのは者たちを見る。

 瓦礫に圧し潰され、無惨な死を遂げた兵士たちが、光のない瞳でトピナを見ている。中には頭が潰れ、腕が明後日の方向を向き、上半身だけのものまでいる。

 暗闇の中、地面から這い出る死体の兵士たちは、見る者の正気を失わせる力がある。しかし、そこはその手のプロたちだ。

 トピナは破壊の魔術によって、這い出てきた死体が戦闘態勢になる前に、二度と動けないようにバラバラに破壊する。ルシトールは不死斬りを振るい、正確に死者の正中線上を切断し、完全に身動きを封じる。エヴリファイは腕を鞭のように変形させ、死体を遠くまで吹き飛ばした。

 動く死体は十数体程度である。大きな瓦礫の下敷きになり、身動きできない兵士たちもいるだろうから、この程度ならまだ問題ないとルシトールは考えていたが、ミラノルが袖を引っ張って後ろを見るように促してくる。


「ああ、これはまずいな……」


 ルシトールは遠くを見つめて、呟いた。

 崩壊した城の瓦礫の山から見下ろした先には、大きな平地が広がっている。そこにはこの城を廃城にしたであろう戦場痕がある。

 その場所に、過去が蘇ったかのような光景が広がっていた。

 激しい戦のあと打ち捨てられた死体たち。

 すでに白骨化している死体の兵士たちは、錆朽ちた武具を手に取って立ち上がっていた。その数、およそ千。いや、それでは足りない。もはや、数人で戦ってどうにかできる数ではない。

 その様子は壮観とも言える。月下に浮かび上がる、不気味な白骨死体の軍団。屍霊術師の力で蘇ったスケルトンの兵隊だ。

 こうなれば力を開放するしかないと、シアリスは覚悟を決める。

 ミラノルには申し訳ないが、死んでもらうことになるだろう。ミラノルと瞬間、目が合った。シアリスの考えが通じたのだろう。ミラノルはシアリスに一歩近づいて、その手を取った。


「わたしに……、わたしをオノンのもとに連れてって」


 その言葉を聞いたエヴリファイが、またひとりの不死者を吹き飛ばしながら向き直る。


「ミラノル、まさか……。あの力は危険です。それにリッチに通用するかも……」


「わかってる! でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ‼ オノンを助けて、ここから逃げるには、これしかない」


「ミラノルの力を使えば、オノンさまを助けられるのですね」


 もし、その力に巻き込まれれば、シアリス自身もどうなるかわからない。ミラノルが吸血鬼か、あるいは不死者相手に特効を持つ力があるのならば、シアリスが近くにいることは、それもまた危険な行為である。


「シアリス……。多分……、ううん、絶対できる。信じてほしい」


 ミラノルには、これは自分にしかできないことだという確信があった。何かが自分を突き動かしている。これはホムンクルスとしての性質なのだろうか。何らかの作意が自分の中にある。だが、不快なものではない。

 ミラノルの真っすぐな瞳を受け、シアリスは頷いた。


「わかりました。信じます」


「どうせ死ぬなら、やれることやり切ってから、死のうぜ!」


 トピナが楽観的にいうので、その言葉につられてミラノルは少しだけ笑った。ルシトールは溜息をつくと、皆に告げる。


「試すだけ試すのはいい……。けど、他の誰かの命が危なくなったとき、オレはオノンを殺す。厳しいことを言うようだが……」


 トピナの顔色を覗う。だが、トピナは当たり前だと言うように言ってのける。


「わかった。そのときの判断は任す。あたしだといざとなったら、やれるかどうかわからないから」


 全員が頷いた。誰もやりたがらないことをルシトールは買って出たのだから、その覚悟を皆受け取ったのだ。

 シアリスとトピナが二人で道を開き、ルシトールとエヴリファイが後ろを守る。

 自然と生まれた隊列で、嘔吐に苦しむエタノリスに向けて前進する。まだ肉がついている死の兵たちは、文字通り、肉壁と化してエタノリスを守る。しかし、シアリスの神速の剣技と、トピナの破壊的な魔術を止めることはできない。ミラノルはそれに引き摺られる様に、一歩一歩進んでいく。

 エタノリスは距離を取ろうとするものの、体が言うことを利かないらしく、黒い蛆虫を吐き続けている。

 トピナの腕から発せられたイカヅチが、前を塞ぐ不死の兵たちを吹き飛ばした。一瞬、ミラノルとエタノリスの間に道ができた。その隙間に滑り込むようにミラノルは駆け出した。

 左右から不死の兵がそれを止めようと腕を伸ばすが、シアリスとルシトールが、それぞれ左右を守り、ミラノルに一切触れさせない。そして、ミラノルの小さな手が、オノンの額に触れた。

 瞬間、二人の間に、光が迸る。


読んでいただきありがとうございます!

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