打ち覆い
◆
数人の兵士を伴って入ってきたのは、豪奢な衣装を身にまとった初老の男である。
たっぷりの髭を蓄え、つばの広い帽子を被ったその姿は、いかにも魔術師然としている。
シアリスはその顔に見覚えがあった。ミクス伯のパーティが始まったばかりのとき、クライドリッツ公爵の名代として現れた、公爵付き魔術師のノルバクスである。
牢の前で立ち止まったノルバクスはオノンたちの方を向く。シアリスに気付いた様子はない。
彼は少しの間、主要貴族にだけ挨拶して、早々にパーティを辞したので、シアリスとは挨拶すらまともにしていない。顔を覚えられている心配はないだろうし、今のシアリスは薄汚れた貧乏一家の息子といった風貌だから見抜くことは難しい。
「精霊使いのオノン。出ろ」
兵士が牢の扉を開けると、別の兵のひとりが言う。オノンはゆっくりと立ち上がると、扉に近付いた。トピナも立ち上がろうとするが、他の者は動くなと怒鳴られる。構わず格子まで近付いて、ノルバクスの顔をまじまじと見つめる。
「久しぶりだな、ノルバクス先生。ずいぶんと老けたようだ」
「問題児オルセウス。いつかやらかすとは思っていたが、魔物を街に入れるとはな。期待通りに失望させてもらえたよ」
オルセウスはトピナの家名である。
トピナが魔術学校に在学していたとき、ノルバクスは教師として在籍していた時期があった。魔術学校の数は多くはないので、国内にいる魔術師はそのほとんどが顔見知りであったりする。
「あんた、学校では不死性の研究してたな。それで合点がいった。だけどエルフを食べたって、不老不死なんかになれはしない」
ノルバクスは片眉を上げて、その言葉を飲み込むように聴くと、少し間を開けてから顔を上げて笑い声を上げた。
「エルフを食う? 野蛮な発想だな。これだから冒険者などになる変人は困る。まぁ、ここで大人しくしているのだな。事が終われば、五体満足で出られるだろうよ」
オノンが牢から連れ出されるのを見届けて、ノルバクスは話を切り上げようとした。オノンがノルバクスを睨め付けて立ち止まる。
「それで? 私はこれからどうなるのかしら」
「……」
ノルバクスはその問いには答えず、彼女の体を下から上へ舐めるように眺める。
「怪我はしていないようだな。よし、連れて行け」
牢の鍵が閉められ、オノンは引き摺られるように連れて行かれる。トピナは訳の分からない抗議の言葉を姿が見えなくなるまで叫んでいたが、内扉が閉められとすぐに黙った。それからシアリスを見て口を開く。
「それで? これからどうする?」
打って変わって冷静である。
シアリスは、こういうときの彼女は猪突猛進になるのかと思っていたから、少し意外に感じた。だが、彼女は魔術師であり、命懸けの探検を何度も熟している高名な冒険者であることを思い出した。
「ここで手をこまねいていては、オノンさまの命はない……。我々は人質の意味もあるのでしょうね。……トピナさまは魔術が使えない状況なのですよね?」
確認をする。シアリスはこういったときに使われる道具などに詳しくない。魔術が使える者自体が少ないし、出会ってもの大抵は殺してしまうため、拘束することはない。
「見ての通りだ。トピナも同じだろうな」
彼女の手に嵌められている手枷は、魔術師などを拘束するための道具なのだというのは予測できていた。トピナの魔術も、オノンの精霊術も封じられてしまっているのだ。
「僕がここで力を使えば、脱出することは可能ですが……。ミラノルの力で暴走することになる。ミラノルは力を抑えることはできないのですよね」
ミラノルは肩を落として頷いた。
「ごめん……。力を使い熟せていたら……」
「いえ、気にしないでください。ルシトールさん、エヴリファイ、何か策はありませんか」
エヴリファイはルシトールに目配せして、何かを確認する。ルシトールは黙っているが、何かを考えている様子だ。
「何かあるんですね?」
シアリスがそれを察知する。だいたい考えていることはわかる。シアリスに情報を渡したくないのだ。彼らを説得するために、シアリスは言葉を続ける。
「無理やり脱出すれば、国から追われる立場になるかも知れませんが……。ノルバクスは無事に出られると言っていましたが、あの様子では我々を生かして返すつもりはありませんよ。
それに、あなた方は収集家との戦いで、オノンさまに助けられていますよね。このまま諦観を決め込むつもりであれば、人でなしのまま処刑されることになりますよ」
吸血鬼に人でなし呼ばわりされたルシトールは顔色を変えた。今にもシアリスを殴り倒したいといった表情だ。
だが、彼も馬鹿ではない。慎重に考える性格なだけだ。言われたことは理解している。しばらく腕を組んで黙っていたが、額に血管を浮かべて覚悟を決めた様子だ。
「牢を開けることはできる。エヴィがな。そのあとどうするのだ。看守室のあの扉はこちらからは開かないぞ」
確かに内扉は分厚く、反対側から閂を掛けられており、普通の体当たりではどうすることもできない。
「それについては考えがあります。この格子さえ何とかしてもらえれば」
シアリスは簡単に言ってのけるが、どうするつもりなのかルシトールは問おうとして止めた。聞いたところで何になるものでもない。
「エヴィ、頼む」
「わかった」
牢の隅に座っていたエヴリファイは、ゆっくりと起き上がると鉄格子から外に手を伸ばす。扉に付けられている頑丈そうな錠にその手のひらをあてがうと、何かをする。
シアリスの位置からはよく見えないが、手の動きがおかしくなり皮膚が波打ち、回転するのは見えた。
ガチャリ、という音とともに、錠前が外れる気配がする。エヴリファイは静かに錠前を取り除くと、格子から手を引き抜いた。頑丈な錠前は破壊されることもなく、その手に握られている。
「素晴らしい。皆さん、格子から僕の様子を見ていてください。看守から姿が確認できるように」
何がどうなったのか気になるが、今は訊ねている時間はない。
シアリスは牢に中から看守がこちらを見ていないかを確認すると、扉に手を掛けた。扉は錆ており、動かせば大きな音を立てるが、シアリスはそれをゆっくりと持ち上げるようにして慎重にずらしていく。小さい体がギリギリ通れるくらいの隙間を開けると、そこから滑り出て、開けたときと同じ要領で扉を閉めた。
看守室の覗き窓からは死角になる扉の前まで、猫のように這って近付く。
看守室の内扉をノックする。聞き間違いだと思われないように三回叩いた。中で驚いて椅子が倒れる音がする。
「だ、誰だ!」
看守のひとりが中から叫ぶ。気配で見張りは二人居るとわかった。
「すみません。お話があるのですが」
シアリスがそう言うと、看守は慎重に覗き窓から牢の方を見るが、誰もいないために眉を顰める。
「こっちです、こっち。下です!」
視界に入らなったシアリスは手を振りあげてアピールする。看守はシアリス以外の人間が牢にいることを確認すると、シアリスを見下ろす。
「貴様、どうやって抜け出した!」
シアリスは耳を塞ぐ。
「そんなに大声出さなくても聞こえますって。実はご覧の通りなのですが、あの鉄格子、僕の体ならすり抜けますよ。それは少しまずいのではないですか」
適当なことを述べる。
年齢の割りには小さなシアリスでも、さすがに鉄格子を抜け出せるわけがない。だが、実際シアリスは牢の外にいるのだから、看守からしたら信じざるを得ない。
幼い子どもだけが外に出ていることに安堵したのか、看守は「待ってろ」とだけ言うと、内扉の鍵を開け始めた。
扉が開いた瞬間、シアリスはその隙間に身を滑り込ませると、飛び上がり看守の耳の穴に人差し指を突き入れる。浮き上がった体を捻り、力尽きた看守の体を足場にして跳ぶ。その勢いのまま、もうひとりの看守の首に踵を叩き込む。
その間、一秒にも満たない。剣を引き抜く間もなく、看守らは明後日の方に曲がった首を垂れ下げて、床に身体を叩きつけた。
シアリスの体が扉の奥に消えた瞬間、ルシトールとエヴリファイは牢から飛び出し、徒手空拳でも戦おうとしたのだが、その必要はなかった。駆けつけたときには看守室は制圧されており、シアリスは既に看守の腰の鍵束を漁っていた。
「お前……、殺す必要があったのか」
「……彼らは悪人です。容赦する必要はありません。ああ、拷問して情報を引き出した方が良かったですか」
「いや……、まぁいい。それより本当に吸血鬼の力を使っていないんだよな」
ルシトールが疑わしげにシアリスに問う。
「もちろんです。とはいえ、人体の能力を限界まで引き出していますから、あなた達が霊薬を飲んだときと、同等くらいの力は出せますよ」
ルシトールはうすら寒そうに身を震わせた。
死体から鍵束を奪ったシアリスは、トピナたちの入っている牢屋の扉を開ける。ミラノルとトピナも外に出る。しかし、トピナの手枷に合う鍵はなく、魔封の手枷から解放することはできなかった。
シアリスは手枷を剣で断ち切るかと訊ねるが、トピナは拒否した。
「無理やり外すのは危険そうだ。そういったときのための魔術も掛けられている。炎上か、爆発か……、少なくとも無事に済むようなものではなさそう」
「どうしますか。ここで待っているという選択肢もありますが」
「そんなつもりはない。ノルバクスの首くらい、魔術がなくてもへし折れる」
確かにその腕なら折れそうではあるという感想は置いておいて、シアリスはミラノルに近付いてみた。ミラノルはそれに気付いて顔をこちらに向ける。武器や鎖瓶薬を漁っていたルシトールがそれに気付き、声を上げた。
「おい、何をしている!」
シアリスはその声を無視して手を前に出し、ミラノルがその手を取るのを待った。ミラノルも何気なくその手を取ると、シアリスは跪いて、その手の甲に口付けした。そして、顔を上げるとミラノルの顔をまじまじと見つめた。
「どうやら触れても問題なさそうですね」
「その実験⁉ 今するの?」
少し顔を赤らめたミラノルが呆れたように言う。
「離れろ!」
ルシトールがその間に文字通り割って入った。子どものカップルの間に割って入る大男という構図に、トピナが吹き出した。ミラノルはそれにも呆れて天井を仰いだ。ルシトールは年齢の割には老けて見えるので、兄妹と言う設定より、父子のほうが違和感はない。
「ルーシーさ。嫉妬するのもわかるけど、ちょっと露骨過ぎない?」
「なんで、そうなるんだ! 俺はお前を守ろうと……」
「はいはい。オノンが心配だよ、急ごう」
反論を封じられてルシトールは後頭部を指で掻く。ミラノルが生まれ落ちたときから、ルシトールは彼女に口で勝てたことはないのだった。
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